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天音花香の小説をUPするブログです。個人サイトの小説はこちらに移しました。現在二時創作と短編を中心に書いています。
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天音花香
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女性
職業:
主婦
趣味:
いろいろ・・・
自己紹介:
小学生のときに、テレビの影響で、小説を書き始めました。高校の時に文芸部、新聞部で文芸活動をしました(主に、詩ですが)。一応文学部でです。ですが、大学時代、働いていた時期は小説を書く暇がなく、主婦になってから活動を再開。

好きな小説家は、小野 不由美先生、恩田陸先生、加納朋子先生、乙一先生、浅田次郎先生、雪乃 紗衣先生、冴木忍先生、深沢美潮先生、前田珠子先生、市川拓司先生他。
もう一つのブログでは香水についてレビューをしております。
http://yaplog.jp/inka_rose/
こんな私ですが、宜しくお願いします。





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*こんばんは、天音です。
こちらのサイトは小説を扱っております。
こちらは「空(そら)の時間」の後編となっております。
できれば、前編からご覧ください。




     六


 (空! 今日はうろこ雲が見えるな)
 トスッ。
 隣を見ると、気持ちよさそうに口元をほころばせる立野の顔。その額には球のような汗。前髪も、短い襟足も汗でぬれている。
 こうしている間にも、思っていたよりも随分細い立野の首筋を汗がつたっていく。
 細い首。小さな肩。しなやかな肢体。
 はっとして、俺は視線をそらした。
(何を見ているんだ、自分は?)
 近くにいると立野の汗の匂いや、熱い呼吸を感じる。
 でも、男同士でいるときに感じたような、暑苦しいような、不快な匂いではなくて。ほんのり甘いような感じの匂いなのだ。
(なんか、俺おかしいぞ)
 ぶんぶんと頭を振っていると、不思議そうな立野の顔。
「空に酔った?」
 爽やかに笑うと、すくっと立って助走の位置に戻っていく。その姿は颯爽としていて、格好いいという表現が相応しい。
 そう、まるで男子のようなのに。
「疲れたなら、見学してなよ」
 霊体に疲れるも何もないのだが、もう一度一緒に跳ぶのは躊躇われた。何だか変な感じに俺は戸惑っていた。


 十一月になった。
 相変わらず俺は成仏できないでいた。何が問題なのだろう。
 黒板を見つめる立野の横顔を見つめる。どうして自分は立野の家に現れたのか。未だに判らない。
 ふと立野の眉間にしわがよった。
「ここ、ちょっとおかしくないか?」
 指摘をしてみる。
 ふむふむという目で、指された個所を見つめ、考え直している立野。
 一方、授業中に手紙などを回している女子が多いことに最近は気がついた。わけのわからない記号などが使われている。それはそれで楽しそうだが、授業中にこんなことが行われてたんだな、と不思議な気がする。
 そう、自分が前、属していたクラスだからこそ不思議なのだ。
 俺は思う。場にいても、場にいるから見えないことが多いのだと。
 ――しかし。
(もう、ここには俺の居場所はないんだな)
 改めて俺は感じた。
 休み時間に集まってきていた連中も、今ではそれぞれ違う人とつるんでいる。俺がいなくても、教室は何も変わらず、そして完全な状態なのだ。俺が死んだ今、転校先のクラスもこのような感じなのだろう。自分はすでに居場所を失っている。自分の意思はここに存在るのに、それとは関係なく時は流れていく。
 ふと窓に目をやると、木々がもう紅葉していた。空も晩秋へと移り変わっていっている。
 居場所のない自分はなぜここに存在なければならないのだろう。
 以前より冷たくなった風を感じながら、感じるからこそ俺は余計に思う。
 ふう。思わずため息がもれた。
「……?」
 立野が俺を見上げている。
 そう、この少女だけが俺の存在する事実を証明しているのだ。
「秋も終わるなと思って」
 そう答えると、立野も窓のほうへ視線をやって、少し寂しげな顔をした。
「冬は曇りが多くなるよね。曇りも好きだけど、跳ぶ時は晴れがいいな」
とノートに書いてくる。
「同感」
 俺は頷いた。立野はまた、視線を黒板に戻した。
 立野のショートの髪は見た目よりさらさらなようで、風が吹く度にふわふわと揺れる。姿勢も視線も凛としていて、漂わせる空気は柔らかさとはほど遠いのに、時折見せる憂いに満ちた表情などが妙に女っぽかったりする。

 立野は不思議だ。

(花のような香りより、俺は立野の汗の臭いのほうが好ましいな)
 最近、立野と一緒にハイジャンをしていると、俺は気が散ってしょうがない。自分はこんなにいやらしい男だったかと嫌になるのだが、立野の日に焼けた細くしなやかな四肢や、小さな双丘や、くびれた腰などに目がどうしてもいってしまうのだ。
 以前見かけは男子に近いなんて思ってしまったが、とんでもない。やっぱり自分とは完全に違う。
 立野は女だ。当たり前のことなはずなのに、今さら気付くなんて。今まで、女子を女だ、と感じたことは正直なかった。俺は幼かったのかもしれない。こんなに近くにてやっと気付いた。女は男とは違うということに。
(とにかく心頭滅却)
 そう思いはするものの、一緒に跳ぶ度にますます立野を女として意識してしまう、いやらしい自分がいるのだった。


 今日は曇りだ。なんとなく一雨降りそうな空。
 その空の下でも、立野は必死で跳んでいる。
 バーを見つめる立野の眼はどこまでも澄んでいて、ときどき目が合うと、吸い込まれそうになる。何で気づかなかったのだろう。立野は中性的な顔をしているが、綺麗だ。
 駄目だ、今はないはずの心臓が早鐘を打っているのを感じた。
 そんな俺の熱を冷ますかのように、雨が降ってきた。大粒の雫があっという間に全てを濡らしていく。
 立野は先輩に言われ、マットやバーを片付けている。
 そんな立野を見て、俺は自分の頬が熱くなるのを感じた。
 あわてて目をそらす。
 何も解っていない立野は、俺を見つめて、
「どうしたの?」
と訊いてきた。
「……風邪、ひくよっ。
それにっ」
 俺の口から出た言葉はこんな言葉で……。
 でも、違う、本当に言いたいのは。
 俺以外に、こんな立野を見られたくない。俺だけが立野のよさを解っていたい。
 自分の中の感情に少し驚いた。独占欲の塊ではないか。もしこれが立野じゃなかったらどう思っただろう。
 とにかく、その姿は目のやり場に困る。
 俺は、立野のほうに向き直って、
「あ、雨でぬれて、下着が透けて見えてる! ジャージかなんか、着ろよっ」
と、不機嫌に言ってしまった。
 立野は俺の声に従って、ジャージを羽織った。
 それでも、なんだか形容しがたい空気が流れた気がした。


 立野は愛しむような目で空を見上げる。空を見上げていると思えば、ふと気づくと眩しいかのように、目を細めて俺を見上げているときもある。そんなとき、俺はくすぐったいような、嬉しいような変な気持ちになる。でも、悪い気はしない。むしろ、最近思う。

 もっと俺を見て欲しい。
 俺だけを見て欲しい。
 空よりも、俺を見ろ!

 そう思っている自分に気づき、戸惑う。俺はいつからこんなにわがままになったのだろう。
 でも、仕方ないといえばそうなのかもしれない。今の俺の世界は立野が中心で、立野の周りしか物理的にもよく見えないのだ。だから、立野が自分と違う世界にいる、と感じるとき、耐え難い寂しさに襲われる。
 だから、立野にもそれを願う……?
 それは間違っている。解ってはいるのだが、どうにもならないこの気持ちはなんだろう。他の人間のところに幽霊として現れていたとしても、このような気持ちになったのだろうか……?
 立野はすれ違う女子達に目を向け何かを思っているようだが、立野は立野だ。立野の中性的なところでさえ、彼女の魅力としか思えなくなっている俺がいる。
なんでこんなに立野が気になるのか。一緒に過ごしているからなのか。それとも他に何か理由があるのだろうか? 少なくとも、他の女子にこんな気持ちをもったことはなかった。
 でも、俺は最近思う。
 ――立野を独り占めしたい。
 この感情をなんと呼ぶのだろうか。
 初めてのことばかりの俺は戸惑っていた。


 トスッ。
 マットに背を預けて立野は笑顔になっている。昨日のことがなかったかのようないつもと変わらない部活の時間。
 ――ああ、こんなにも立野の笑顔が眩しい――
「なんか、安心する。空に支配されているときは、時間に支配されてない気がするから」
 ふと出された立野の言葉に、俺は違和感を覚えた。
「時の流れは速すぎて私にはついていけない。変わらなくていいものまで変わっていくのだもの。あたしはどうすればいいか解らなくなる」
「……」
 俺が跳ぶときに感じていることと、立野が感じていることには微妙な差があることを俺はこのとき感じた。
 それは何か重要なことのような気がした。
 立野は時間を留めるために跳んでいる?
 それはあってはならないあり方だと俺は感じた。時間を止める。それは生きていることを否定することではないのだろうか。
 生きている立野と死んでいる俺。時間が進んでいる立野と止まっている俺。
 もう少し。もう少しで何かが解りそうだ。


    七


 空に――
「――堕ちる」
 ふと隣からこぼれた言葉にあたしは青木のほうを向いた。あたしの頭にも浮かんだ言葉だ。
 空に堕ちる。それは不思議な感覚だ。でも、マットに落ちた衝撃を感じながら、でも視界には空だけが映っているこの感覚は、まさに、空に堕ちるという表現がぴったりだと思った。
 青木の笑顔が眩しい。先程みた空より勝るかもしれない。つられるようにあたしも笑顔になってしまう。
 ――ああ、やっぱり青木の笑顔は綺麗だ――


 空と書いて、「から」なんて読み仮名をふったやつは誰だろう。
 空は空っぽなんかじゃない。こんなにもいろんな表情をみせるのに。
 あたしの一番好きな空は、快晴の空で、それは青木の笑顔を思い起こさせるからでもあり、そして、跳んでいて、一番気持ちいい空だからだ。一日の変化が一番わかる空だからでもある。
 だが、あたしは雨や曇りが嫌いというわけではない。垂れてきそうな曇り空の雲、雨が降る前の独特の匂いや、音もなく降る小雨、ざあざあ振りの雨。他にも挙げると限のない表情をもつ空。そんな空に地球の営みを感じる。
(営み……)
 ふと思考が止まった。
 何だか心がちくんと痛んだ。
 それを振り払うように空を見上げる。今日のような曇りなのにどこか明るい空のときは、空が鳴くのを知っている。
 予想通り、ほどなく神鳴りとともに、スコールのような雨が降り出した。竜神が空を這っている。ああ、綺麗だ。
 あたしは、一瞬、全てを忘れたように空を見上げて、その大粒の雫を体いっぱいに浴びた。気持ちよかった。
「ほら、立野! 早く片付けないと!」
 先輩の声に我に返って、バーやらマットの片づけを手伝う。そのとき気づいた。
(あれ?)
 青木がさっきから黙ってる。そっとその表情を伺うと、青木はあたしから目をそらすようにしていた。
「どうしたの?」
 小声で話しかける。
「……風邪、ひくよ。
それにっ」
 顔を赤くした青木があたしの方を向いた。
「あ、雨でぬれて、下着が透けて見えてる! ジャージかなんか、着ろよっ」
 青木に言われて、自分の体操服を見ると、確かにブラの線がかすかだが見えた。 いつもは目立たない双丘が、ちょっぴり高く感じられた。
 ジャージの上を羽織って、青木を見る。青木はやっぱりそっぽを向いたままだった。
 あたしは、そんな青木を見て、なんだか急に恥ずかしくなった。
 どうしてだろう。
 あたしは女子で、青木は男子だから?
 思いついた理由を頭から払う。でもやっぱり恥ずかしさは消えなかった。
 他の男子に見られても平気な自信がある。でも、こんなに恥ずかしいのは、青木に見られたからなのだろうか。
 解らない。

 この感情をなんというのだろう。

 あたしはこの感情を本当に知らないのだろうか? 知らないふりをしているだけなのではないか?
 眩しい笑顔を見せる青木。
 一人ひとりを意外によく見ている青木。
 何事も楽しみに変える青木。
 近くにいると青木のいろいろな面が見えてくる。
 でもなぜだろう。今までは純粋に、青木と一緒にいれることが嬉しかった。
 でも今は。
 自分の知らなかった青木を見つけると辛いと思うときがある。これまでに他人とこんなに深く関わったことがなかったからだろうか。
 ――違う。
 青木に対する感情が変化するから? どのように?
 もし、青木があたしでない女子と、一日中一緒にいるとしたら? あたしは平然としていられるだろうか? あたしは……。
 あたしは大きく頭を振った。
(別に、なんともっ!)
 否、そんなはずはない。この感情は。好……。
 ――思考停止。そんな感情、知らないし、恥ずかしくなんかない。別に青木に見られても、他の男子に見られても平気だ。

 ――駄目だ、思考が停止できない。何もかも、どうして進んでいくのだろう。あたしだけ、あたしだけ取り残されている。
 そう感じるのは気のせいでは、ない。
(跳んでいるとき……そのときだけは、時間に支配されない。あたしは取り残されたのではなく、自由だ。跳んでいるときだけは!)
 あたしががむしゃらに跳ぶ理由は、そこにあるのかもしれない、とふと思った。


「立野!」 
 その日も部活を終え、あたしが先輩とバーやマットを片付けているときだった。同じように、部活が終わったのだろう。野球ボールの入った箱を抱えながら、後ろから声をかけてきた人物にあたしは足を止めた。
「?」
 誰だっただろうか。なんとなく見覚えがあるような。
「おい、つめてーな。高倉だよ。高倉 久(たかくら ひさし)。小学校のときよく一緒に遊んだじゃねーか。ドッジや、キックベースで」
「!」
 高倉の背が以前より伸びていたので、あたしは彼が高倉だと気づかなかったのだ。
「久しぶり。随分背が伸びたな、久。あたしなんか中学に入ってからめっきりだよ」
「はは。小学生のときは、立野に負けてたからな。
……中学生になってからはしゃべる機会もほんと減ったよな」
「……」 
(それは違うだろう?)
 あたしは眉間にしわを寄せ、黙った。
 中学生になってから「俺」と言わせなくしたのは、男子だったのに。集団に入れてくれなくなったのは男子だったのに。
 溝ができたように感じた。その溝は埋まるどころか深くなるばかりだ。
 高倉もその一人だったじゃないか。
「久しぶりに一緒帰らねえ? 家、近かったよな?」
 意外な展開にあたしは驚いた。そんなあたしを青木はじっと見ている。
「……いいけど……。なんか変な感じだな。制服着て一緒に帰るのって」
「はは。確かに。じゃ、着替えたら校門な!」
 高倉は爽やかに言って、走っていった。


 最近は日が短くなってきていて、帰るころにはもう、日が沈んでいた。風も冷たい。秋が終わろうとしている。
「……」
 日が沈んだ直後の空は、南国の海を思わせるような、碧色をしている。もう一番星が輝いていた。次に空を見上げる頃にはきっと、群青の空に、金星は今以上に光を増しているに違いない。夜が足早に辺りを包んでいく。
「まーた空見てんのか?」
 声に振り返ると高倉がいた。
「わりい、遅くなって」
「いや、そんなに待ってない」
「そっか、じゃ、よかった。最近寒くなってきたからな」
 言いながら歩き出す。
 しばらく無言が続いた。
 小学生のころはこんなに息苦しくなかったのに。今では、何を話せばいいのかさえわからない。
「……最近どうよ?」
 高倉が不器用に声をかけてきた。
「変わんないよ。朝錬、授業、部活の毎日」
「ははっ、そうみたいだな。いつも遅くまで跳んでるの見えてるよ」
「野球部も厳しそうだな」
「ま、好きで入ったからな。立野もそうだろ?」
「うん」
 そしてまた沈黙。
 破ったのはまた高倉だった。
「今は空に何見てんだ?」
 高倉はあたしを見ずにそう言った。真剣な声だった。
 どういう意味だろう。
「小学生のころから、立野は空が好きだったよな。
でも、中学生になって少し経ってから、空を見る立野はどこか変わった」
「え?」
 ますます意味が解らなかった。
「野球部の部室、陸上部の隣って知ってた? 空を見る立野、よく見えてたよ」
「……」
「ついでに、ハンドボール部の練習をよく見てる立野も」
「?!」
 あたしはかなり動揺した。
 ハンドボール部のコートは、ハイジャンをするスペースのすぐ隣だった。青木のことを見たいとは思っていた。でも、なるべく見ないようにしていたはずだ。
 これ以上高倉と会話をしてはいけない。
 あたしの頭で警告が響いた。
 逃げないと。逃げないと。
 一方、青木はというと、あたしたちの会話に一心に耳を傾けているようだった。
「色真っ黒けで、ショートカットで。ちっとも、ガキのころと変わんねえなあと、思ってたんだけどな。やっぱり立野も女だったんだなと思ったよ。好きな人ができるなんて……」
(……女? 好きな人? 久までそんなことを! 人の心を自分のものさしで勝手に解釈するな。あたしは、違う!)
 あたしは全身が熱くなるのを感じた。
 青木は複雑な顔をしてあたしを見ていた。
 あたしは無言だ。
「立野?」
 悪びれもなく、高倉があたしに声をかける。
「……それ以上言うな」
 低い低いあたしの声。青木が驚いたようにあたしを見た。
「? どうしたんだよ。別に、冷やかしてるわけじゃないぜ? 好きな人ができるって、ガキのころより大人になったんだなと思っ」
「好きな人とかじゃない!」
 あたしは高倉の言葉を遮るように叫んでいた。
「違う。あたしの想いはそんなんじゃない! そんなちゃらちゃらしたものなんかじゃない!!
 女? あんな女子たちと一緒にするな! あたしはあのころと変わってなんかいない! 変わったのはお前たちじゃないか!」
 怒りに足を踏ん張り、あたしは叫んだ。
 あたしがここまで怒る理由は、青木にはもちろん解らない。
 でも、青木はじっと考えているように黙っていた。
 高倉はあたしを静かに見ていた。そして続けた。
「つらいんだろ? 空、まさにあいつの名前だよな。重ねて見てたんだろ? でも、もう奴は……」
「やめて!!」
 悲鳴に近いあたしの声。
 判ってしまう。
(青木はすぐ隣にいるのに! 違うのに。そういう感情じゃないのに!) 
 高倉がなぜそこまで解っているのか判らなかった。でも、とにかく止めさせなければ。
「二度と言うな! あたしに好きな人などいない。なぜ、昔のように扱ってくれない? 久。昔は一緒に遊んだのに。昔は女扱いしなかったのに。急にやめろよ。気持ち悪い。
不愉快だ。あたしは帰る。じゃあな」
「立野!」
 高倉の声を背に、あたしは駆け出した。
(違う、違う、違う! 好き? そんな軽い感情じゃない! 自分は男子の目を気にして、態度を変えるような女子と一緒じゃない! 
嫌だ! どうして、みんな変わっていくの? 昔のままでいられないの?)
 あたしは泣いていた。泣きながら走っていた。



      八


「立野!」
 部活も終わり、立野が片づけをしているときに、その男子は声をかけてきた。立野は誰か判らないようだった。
 そんな彼女に彼は、「高倉 久」だと名乗った。次の瞬間、立野の口調が変わった。まるで、男言葉のようだ。
 俺はそんな二人のやり取りをただ黙って見ていたのだが、立野の表情が変わっていくのに気付いた。
「空に何をみているのか?」という、高倉の言葉あたりからだ。
 それが何を意味するのか、俺にはさっぱり分からない。だが。
(立野の好きな人?)
 どきりとした。知りたいような、知りたくないような……。
 とにかく、気になり、動揺した。が。
 立野を見ると、俺以上に動揺しているようだった。何だろう。殺気のようなものが立野からゆらめいているのが感じられた。

「……それ以上言うな」

 立野が発したその言葉は、今まで聞いたことのないような低い声だった。
 どうしたというのだろう。何が立野を怒らせたのだろう。
 俺には解らない。
「好きな人じゃない!!
違う。あたしの想いはそんなんじゃない! そんなちゃらちゃらしたものなんかじゃない!!
女? あんな女子たちと一緒にするな! あたしはあのころと変わってなんかいない! 変わったのはお前たちじゃないか!」
(え……?
 ――あたしの想い――とはナンダロウ? 
どうして、立野はこんなにも怒っているのだろう?)
 そんな立野を無視して、高倉は言葉を紡ぐ。そのとき。
「やめて!!」
 今度はヒステリックな立野の高い声。
 そして見ている俺までもがつらくなるような立野の表情。
 俺が幽霊じゃなかったら、高倉を制していたところだ。
 立野は言った。
「二度と言うな! あたしに好きな人などいない。なぜ、昔のように扱ってくれない? 久。昔は一緒に遊んだのに。昔は女扱いしなかったのに。急にやめろよ。気持ち悪い。
不愉快だ。あたしは帰る。じゃあな」
 そして、立野を呼ぶ高倉の声を無視して、立野は走り出した。
(いや、あれは女の顔だ)
 瞳に怒りを孕ませてさせて叫んでいた立野を見て、俺はそう感じていた。
「……」
 ふと、横で走っている立野を見て、俺ははっとした。
 立野は泣いていた。そんな立野に声をかけられるはずもなかった。
 自分は無力だと俺はこのとき思った。
 そして、立野の力になりたい、立野を助けるのは俺でありたい、と心底思った。


    九


 高倉との件以来、立野は普段どおりを装っている。しかし、あの夜から部活時、バーを落とすことが多くなった。
 立野はあのとき、確かに怒っていた。でもなぜあんなに怒る必要があったのだろう。
 ――あたしはあのころと変わってなんかいない! 変わったのはお前たちじゃないか!
 立野の言葉が甦る。
(変化……)
 そう、立野は変化を恐れているように思える。時間を留めようとするのも、女性扱いをされるのを嫌がるのも、全てはそこから来ている様に思えてならなかった。
 立野は不安定だ。
(不安定……)
 どこにも属していない。今の立野は見ていて危なっかしい。立野を助けたい。
 自分に何ができるかは判らなかったけれど、それが自分にとっても大きな意味を持つように思えた。
 そう、俺は自分が立野の前に現れた意味がそこにあるような気がするのだ。


「っ痛っ! 」
 今日も立野はバーを落としている。
「大丈夫か?」
「……平気よ。こんなことでめげていたらハイジャンなんかやってられない」
 苛立たしげに顔を上げると、また助走の場所へ駆けていく。見ていて痛々しかった。
「立野、今の立野は、ハイジャンを楽しんでないよ。何かを振り払おうとしているみたいだ」
 俺の言葉に、立野は唇を噛んだ。
「そうかもしれない。
でも、あたしは違う! 違うんだ!」
 立野が助走に入る。
 跳ぶ。
 そして、またバーが落ちた。
「っ」
 立野は両腕で顔を隠すようにして、落としたバーの上で泣いていた。
「立野!」
「見ないで! こんなあたし、見ないで!」
 空が紅く滲んでいた。立野の目のよう。もう耐えられなかった。
「立野、今日はもうやめたら? 跳ぶのは気持ちいいものでないと」
 立野はうつむき、頷いた。
「そうだね。空にまで見放されたら、あたしはどこへ行けばいいのか」
 立野は途方にくれたように大きな空の下で泣いていた。
「大丈夫。見放したりなんかしないよ」
 「俺は」、とつけたかったが、それはやめた。
 立野は自分の小麦色の腕を一度見て、ふうとため息をついた。そんな立野はいくら小麦色の肌をしていても、いくら髪が短くても、頼りない、一人のか弱い少女でしかなかった。
 俺は立野の後ろからそっと抱きしめるように手を伸ばした。もちろんその手は立野を抱くことは出来なかった。すり抜けてしまうだけだ。立野はそんな俺に気付いていないようで、泣き続けている。
 立野はこんなにも不安定で……。
 ――どこにも属していない。
 立野の言葉がよみがえる。俺が自分のいない教室を見たときに感じた、悲しさや、居心地の悪さ、そして疎外感に似たものを立野も感じているのではないか。居場所がないとはなんと寂しいことだろう。

 でも。
 俺たちはとても似ていて、でも決定的な違いがある。

 立野は男女どちらにも属していないと思っているが、俺の目から見ればちゃんと女に属しているし、俺の時間は止まらなくてはならないが、立野の時間はこれから進ませないといけないということだ。
 生きている人間と死んでいる人間のどちらにも属さない、幽霊の俺だからこそ、きっと立野を理解できる。
 だが……。
(立野……。泣かないで……)
 自分が幽霊であることをこんなにも切なく思ったことは初めてだ。
 立野を抱きしめて安心させたい。 
 ――いや、思いっきり抱き締めて、抱き締めることで思いを伝えたい。
 今まで女子に特別な感情を持ったことなどなかったが、今のこの少女に対する想いは特別なものであると俺は確信した。

 俺は立野が好きだ。

(泣かないで……)
 泣いている人の体温はこんなに熱いと初めて気付かされた。
 立野の吐息が熱い。
 こんなにも近くにいて、立野を感じることができるのに、触ることが出来ないなんて……!
 神様は残酷で、優しい。
 恋を知らずに死んだ俺と、恋を拒む立野に、神様は切ないプレゼントをくれた。
 絶対に結ばれぬ恋。
 それでも、それでも恋することが出来てよかったと思えた。
 俺はこの感情を知らずに死ななくてよかった。立野と過ごせたひと時は、本当にかけがえのない時間だ。

 ――それは眩しい空のような時間――。

(今夜、立野を救いに行こう)



   十



「立野、部屋、入っていい?」
 俺は立野の部屋の外から声をかけてみた。
 夜に部屋に入るのは、幽霊になった日以来だ。
「……いいよ」
 風呂上りなのか、立野の上気した顔と、濡れっぱなしの髪から漂うシャンプーの香りは、俺を動揺させた。  
 しかし、今日は。
 立野を救うんだ。
 気を取り直して言葉をかける。
「あのさ、最近、調子悪いよな。高倉って奴と話してから。
高倉とはどんな関係なわけ?」
「……。
小学生のとき、あたし、女子のグループ戦争とかが嫌で、男子の仲間に入ってたんだ。男子もあたしのことを女と思ってなかったし、あたしは男子の考えや、遊びのほうが理解できたから。
久もそのとき遊んでた男子の一人」
「ふーん。男子の仲間か。
じゃあ、女子のことを立野が嫌ってるのは、小学生のときからってことか?」
 立野は、は? という顔をした。
「……別に、嫌ってるわけじゃない。ただ、理解ができない。
 グループを作ることもその一つだけど、同じ女子なのにあたしは彼女たちの気持ちが解らない。
 あたしは香水や、口紅や、短いスカート、華やぐような声、そういうのが、男子に媚びているような、そんな気がして、自分は絶対にしない、と思っているだけ。だから同じと思われたくないの。
 中学生になって、男子も女子もお互いを意識しすぎているっていうか。なんかそういうの気持ち悪い。
 あたしはセーラー服を着せられてから、男子は仲間に入れてくれなくなって、でも女子の仲間にも入れないあたしははみだしちゃった。
 どっちにも属せず本当は戸惑っているのかもしれない。自分だけ取り残されたような。
どうしてみんな変わっていくんだろう」
 途方にくれたような立野の声。
「そっか……。
媚びてる、か……。それはどうなんだろうな」
 居場所がない辛さは分かる。でも。
「立野の偏見もあるんじゃないか? 好きな人に好きになってもらいたい。きっとそういう気持ちが行動にでているのかもしれないよ?」
「その、好きっていうのも理解できない。
男子も女子も、簡単に誰々が好きだのなんだのって言ってるけど、好きって何? その人のどこが好きなの? 全部を知り得るわけないのに好きなんてどうして簡単に言えるの?」
 確かに立野の理論は正しい。
 でも、好き、というのは感情であって、理論で説明できるものじゃないのではないか。
 俺も異性を好きになるという感情は、よくわからなかったのは事実だ。でも、好きな人の話をする友人の顔を思い出すと、あれが嘘の感情だとは思えない。

 それに。今は判る。

 自然と視線が行ってしまうこと。その人を知りたくて、理解したくて、その人で頭がいっぱいになること。独り占めしたいとまで思うこと。
「……じゃあ、立野は好きな人がいないんだな? 高倉にもそう言ってたもんな」
「いない。あたしの想いをその一言で片付けるなんて、嫌だ」
 なぜか、立野は泣きそうな顔で言った。
 俺はどきりとした。
「『あたしの想い』? それは……」
 高倉が言ってたハンドボール部の奴なのか。
 俺は胸にちりちりと焦げるような痛みを感じた。
 立野の想う人。いるのは事実なのではないか。それだけでこんなにも胸が苦しい。
「……もう、判ってるんじゃない?」
 そんな俺に、立野はいつもとは違う、か細い声でそう言ってきた。
「全然判らないよ」
 俺が、訳がわからずにそう言うと、立野はぬれた瞳で俺を見た。
「――嘘!
とにかく、あたしは笑顔が眩しいと思ったのよ。快晴の空みたいって。その笑顔を見れば幸せになれた。
好き? わからないよ!
異性だからとかを超えた、眩しい光のような存在だった。だから、「好き」という簡単な言葉で片付けたくなかった。
届かないからこそ神々しく、綺麗な……。そんな想いなんだから。他の女子とは違うの。違う想い。そう思いたい。
――だから青木、あたしを気持ち悪いと思わないで!」
「……え?」
 最後の一言はいったいどういう意味なのか。
 聞いていて、恥ずかしくなるような、純粋な賛美。それは誰に向けられたものなのか……。
 高倉の言葉が蘇る。
 ――「空、まさにあいつの名前だよな」――。
 空の好きな親父がつけた空を表す名前。ハンドボール部。
 もしかして。それは……。
 それは?
「俺、だったのか?」
 呆然と呟く。立野は耳まで真っ赤にして、俯いている。それは肯定。
 こんなときなのに、そんな立野が可愛いくて、抱きしめたくなりそうだ。
 だが。同時に覚えた違和感を、俺は放って置くわけにはいかない気がした。
「立野。立野は空を見るとき、俺を想ってくれていたんだな?」
「……そう」
 嬉しさに胸が震えた。立野が自分を……。
 でも。
「それがどうして気持ち悪いとか思うという結論になるんだ?」
「え?」
 立野は捨てられた子犬のような瞳で俺を見上げた。
「だ、だって。青木はあたしのことを、知らないし、あたしに対して特別な感情も持っていないんだよ? それなのに、あたしは毎日青木の笑顔を思い出して、幸せに思ってたんだよ? 気持ち悪くないの?」
 立野は自分の想いは崇高だと思う一方で、その想いを否定しているのか?
「想うことは自由だろ? そんな風に考えなくていいよ。現に、俺は立野の想いがとても嬉しいよ?」
 立野は、珍しいものを見るように俺を見た。完全に予想外の言葉だったようだ。
「ただ。ひとつ聞きたい。立野の想いは、俺の笑顔だけに対する想いなのか?」
 もし、そうであるのなら、それは、好きという感情ではないような気がした。好きというより、憧れとかのほうが近いのかもしれない。立野はそれに気づいているのだろうか。それが疑問だった。
「……」
 立野は混乱していた。
「ああ!」
 立野は小さく声をあげ、俺をまっすぐに見た。そして、涙を流した。
「立野?」
「笑顔だけでよかったのに。それで満足しなければいけなかったのに。
 青木が近くにいるから。青木がいろいろ見えてきてしまったから。青木は予想以上に優しいし、予想以上に可愛いし、だから」
 息をするのも忘れたように立野は早口にそう言った。
「だから?」
「幽霊の青木はあたしだけの人のようで」
 涙でぐしゃぐしゃの立野の顔。
「それをどう思ったんだ? 立野!」
「嬉しくて、誰にもあげたくない! 独り占めしたいと、恐れ多いことを!」
 俺の誘導のままに、震えながら叫ぶように立野は言葉を放った。
 ふう、と俺は力を抜いた。俺が霊体でさえなければ、立野の頭をぐしゃぐしゃになでて、ぎゅっと抱きしめていたところだ。
「恐れ多くなんかないよ。
好きになったら誰だって思うことなんじゃないかな。俺も今まではよく分からなかったけれど。
好きというのは、さっき立野が言ってたような難しいことじゃなくて、もっと単純な感情なんだと思うよ。独り占めしたい。ずっと一緒にいたい。抱きしめたい、とかね?」
「これが、好き? なの? じゃあ、あたしもあの女子たちと一緒?」
「そんなに女子と自分を区別しなくてもいいんじゃないかな? 立野は自分で女子に属さないように思っているだけだよ。俺から見たら立野はちゃんと女性だよ。立野は男子になりたいの?」
「え? わからない。男子に属していたころが楽だったから……」
 立野は困ったように呟いた。
「うん。楽だったんだな。でも、今は男子とも分かり合えなくなった……」
「そう……。
あたしは変わらないでいたいのに、周りがどんどん変わっていく。あたしだけ置いてけぼりのような気がして。どうしていいかわからなくなる」
 俺はずっと考えていたことを言うことにした。
「本当は羨ましいんじゃないか? 変わっていく、女性らしくなっていく女子たちが」
「?!」
 同じセーラー服の少女たち。でも立野とは変わってきた。それを立野は見ていた。自分は変わっていないと思いながら。 
「そんな。分からないよ。
でも……変わっていく彼女たちを確かに羨ましく思っていたのかもしれない。ただ、あたしはあんな風には変わりたいとは思わなかった」
「うん。そうだったんだな。変化に戸惑い、さらに変化の仕方も受け入れられなかった。もともと女子と分かり合えなかったのに、さらに変化されちゃ、ますます分かんないよな」
 俺の言葉に、自分の考えていたことが、今やっと判ったかのように、立野は素直に頷いた。
「でも、西月先輩は素敵だと思う。
あの方は、かっこいいけど女性だと感じる。あんな風にならなりたいと思ったことはある。
でも、あたしはいつまでたっても男子みたいなままで……。
なのに男子にも属せなくなってあたしはどうすればいいかわからない」
 でも、この少女は自分も既に変化し出していることが判っていないんだな。
「立野。男子に属せなくなった立野は、それを悲しく思うかもしれない。でもそれは仕方ないことなんだ。
立野。立野は間違いなく女性として変化しているよ」
「え?」
「判ってないのは自分だけ。ショートカットが、なんだ。日焼けがなんだ。立野の考え事をしてるときの横顔。凄く綺麗だぞ?」
 俺の言葉に、かあっと立野は頬を染めた。
「うん。そんな顔も可愛い。それに、正直俺は、ハイジャンで一緒に跳んでるとき立野の体に目が行くのを止められなかった」
 立野はさらに赤くなり、俯いた。
「空を見上げている立野も好きだ。
そして、今日、話してますます思ったよ。立野は純粋なんだって」
 俺も言ってて恥ずかしいのだが、立野に判らせるためには仕方ない。もう、この際だから全部白状してしまおう。
「もっと立野が知りたいし、俺が生身の人間なら触りたいとか、抱きしめたいとか、思ってたよ。どうだ、気持ち悪いか?」
 立野は真っ赤な顔をふるふると左右に振った。
 俺は思わず笑顔になった。
「あー、残念。幽霊で。
でも、立野が空のように仰いでた人間は実はこんなごく普通の人間だったんだよ?」
 その俺の笑顔をやはり眩しいものを見るように、立野はただじっと見た。
「普通? でも、やっぱり青木は特別。あたしの中は青木でいっぱいだ」
 立野は両手をきゅっと胸のあたりで組みながらぼそぼそとそう言った。
 やっぱり、立野はこんなにも可愛い。
 心残りなんてなかったはずなのに。
 生きているときに立野と仲良くなりたかった。 死んでから初めて恋をするなんて。
 立野の魅力に気づいてるのは自分だけではない。
 高倉久。あいつは立野が好きだから、あんなに立野のことを知っていたのに違いない。立野のそばにこれからいる男が、自分でないことがかなり癪だが、こればかりは仕方ない。

 ……青木、青木、死んじゃったの?……

 もう俺は思い出していた。自分が立野の部屋に現れた理由。
 自分を強く呼ぶ声が聞こえたんだ。だから来てしまった。
 そして、今、自分の役割はもう終わろうとしているのにも気づいた。
 自分がどこにも属せないことに戸惑いと苛立ちを感じていた、細い少女。
 女性でありながら、そのことを受け入れられず、自分の感情さえ否定し続けてきた幼い少女。
 だから、時を留めたいと、一心に跳び続けていた少女。
 そんな彼女をもう解放してあげてもいいのではないか。
「立野、俺は立野を好きになったよ。だから、そばにいられなくなるのはとても哀しい」
「え?」
 立野の黒い瞳が戸惑うように揺れる。
「立野。もう、気づいたよな? 
変化は悪いことではない。生きているからこそ起こることなんだよ。
もう、俺には起こらないけど、立野は日々、女として、人間として変化していってるんだ。それは恐れることじゃないんだよ。
そして。好きという感情は、決して汚いものではなく、むしろ尊く美しいものなんだよ。恥ずかしいものなんかではないんだ。もう、自分を許してあげなよ」
「許す? 
青木?」
 立野は何かを予感したのか、不安な顔で俺を見つめてきた。
「俺はもともと現世にいてはならない人間なんだ。そんな顔をしないでくれよ。心が痛む」
 立野は再び泣きそうな顔になった。そしてぶんぶんと頭を振る。すがるような目で俺を見た。
「青木、まだ、そばにいてくれるよね? 
まだよく解らないけれど、自分が凄い偏見を持っていたことが分かった。この自分の感情が「好き」ってことなんだと……。
そう。あたしは青木が好き! だから一緒にいてほしい。まだまだ、たくさん話をして……。
現世にいてはならないって何? 青木はここにいるじゃない! あたしは青木なしじゃ生きていけない!」
「立野……。そんなこといわないでくれ。俺もそうしたいのは山々なんだけど、体が言うことをきかない。
もう、俺の役目は終わったんだ。こんな、損な役目なら……。
……いや、でもやっぱり立野のもとで一緒に過ごせてよかったと思えるよ。
立野。もう俺はすでに死んだ人間なんだ。幽霊という状態は自然の摂理に反している。
でも、不安定な存在だからこそ、不安定な立野を救えた。そして、生まれて初めて、恋することができた。
俺は満足だよ」
 俺は笑顔で言った。
「こんなに短い人生で満足なんて! そんなはずない! こんなに短い一生があるというのなら、なぜそんな短い時間のために人は生きるの? まるで人は死ぬために生きてるみたいじゃん! おかしいよ! なぜ人は生きなきゃいけないの!?」
「立野、人はいつかは死ぬ。でも、だからこそ人の生き様は美しいんじゃないか? 
俺はたまたま人生が短かった。でも、悔いなど微塵もないよ。
ハイジャンは短い時間に全てをかけるだろ? 俺の人生もそんなものだった。でも、いい景色が見られたと思っているよ。だから悲しまないでくれ。
立野はまだ生きていて、これから未来が広がっているのだから。時間を留めるために跳ぶのではなく、未来のために跳んでおくれよ」
「そんな……!」
 涙でぐしゃぐしゃの立野の顔。
(そんな顔するなよ。
神様。いるというなら一度だけ)
 俺は立野の体を抱き寄せた。軽い重みが確かに腕にかかった。
(神様、感謝します)
「じゃあな」


      十一


 一瞬、青木の体が光の煙のようになり、次の瞬間、その光がぱあっとはじけて温かい光が、あたしの部屋を満たした。
 そして、あたしの他には誰もいなくなった。
 軽く唇に触れた感触はなんだったのか。
 あたしは呆然として、消えてしまった青木を探した。
「青木? 青木?
青木……逝っちゃったの?」
 青木は取り残されたようなあたしの存在を救ってくれた。
「青木……。
あたし、青木のこと大好きだよ。自分が女であることも少しずつ受け入れていくよ。それから、これからも毎日空を見るよ。だって青木は天国にいるんだからね」
 ポタポタと零れ落ちる涙は、終わりを知らないようで。
 あたしは一晩中そうしてベットの上で泣いていた。泣いて、青木が死んでしまっていたことを受け入れたのだった。



 いつもと変わらぬ朝がきた。
 変わったのは青木がそばにいないということと、今までとは少し違う自分がいるということ。
 やはり黙々と朝ご飯を食べて、あたしは家を出た。
「いってきまーす」
 今日は十二月にしては珍しく、雲のない快晴だ。きっと青木の機嫌がいいのだろう。
(青木、見てる? あたしはまたいつもの毎日を繰り返すよ。でも、昨日のあたしと今日のあたしは、ちょっと違う。青木が変えてくれたから)
 校門をくぐろうとすると後ろから声をかけられた。
「立野!」
 高倉だった。
「おう、おはよう、久」
「お、おう。あの……、こないだはごめんな。あんなに怒るとは思わなくて……」
 本当にすまなそうに高倉が謝ってくる。
「いや、こっちこそ、取り乱して悪かった」
 なんだか、あのときの自分が妙に子供じみていた気がして、あたしは素直に謝罪した。
「そんな……。俺こそ、触れられたくない領域に踏み込んじまって悪かったと思ってるよ」
 高倉は優しい。
 あたしはにっと笑って、
「じゃあ、こないだのことは忘れよう」
と言った。
「そう、だな」
 高倉は戸惑いながらも頷く。まだ何か言いたげだった。
「ん? どうかしたの、久?」
 あたしが不審に思って問いかけると、高倉は明らかに動揺した様子を見せた。そして、何度か息を吸い、決心したように口を開いた。
「あ、あのさ。実はほんとはあのとき言いたいことがあって」
 高倉の様子に、不思議に思いながら、あたしは、
「うん?」
と先を促す。
 すると、高倉は困ったようにもじもじと坊主頭を掻いた。そして、もう一度大きく息を吸い込んだ。
「お、俺、立野が好きなんだわ。
でも、立野が好きだった奴、知ってるし、気長に待つつもりだから」
 叫ぶように言って、高倉は口を閉ざした。
「?!」
 あたしは、真っ赤になっている高倉をまじまじと見た。
 ――私を好き? 
 確かに高倉を見ていると、自分がいかに「好き」ということに対して偏見を抱いていたかが解る気がした。どうやら、高倉は本気らしい。
 純粋にその好意を嬉しいと思える自分が今はいた。
「久、変わった趣味だな」
「っ! なんなんだよ、立野。いーだろ個人の趣味の問題なんだからよ」
 あたしの言葉にちょっとむっとした高倉に、あたしはにやりと笑いかける。
「……、なんか企んでるだろ。立野?」
「あたしの好きな人を知っているなら話は早い。
あたしが青木を思い出にできるか、久がそれまであたしを想い続けられるか。根競べだ、久。どう?」
 むうと高倉は顔をしかめた。
「亡き人がライバルってーのは、ちと辛いな。奴はかっこいいまま立野の心に残ってるんだろ?」
「まあね。でもそんなんで、びびるぐらいなら、告白なんかしないことね」
 あたしは意地悪く笑ってみせた。すると高倉はあからさまに怒った顔をした。
「なにおう? 誰がびびってるって? こっちはガキのころからの付き合いなんだぜ? 負けてたまるかってーの!
のってやるぜ、その根競べ!」
 勢いよく高倉は言葉にした。そんな高倉に、あたしはくすりと笑う。
「青木と過ごした時間より、これからは久と過ごす時間が長くなるんだ。逆に有利かもしれないよ? ま、せいぜい頑張ることね」
 事実、いろんな面が見えれば見えるほど好きになる場合だってある。青木がそうだった。
 でも、その青木はもういない。あたしはあたしの世界を生きていかなければならない。
(そうだよね、青木)
 晴れた朝の空を仰ぎ、あたしは心でつぶやく。
 青木が悔いを残さず生きたように、自分も自分らしく精一杯生きなければならない。
 それが残された者にできることだ。
「なるほど、ようし、今日から早速実行だ。帰りは俺が送るからな!」
 高倉は納得したように笑って言ってきた。
「張り切ってるね、久。
いつ終わるかわからない部活の間、待つ根気があるなら頑張りな! っと、朝錬に遅れるよ! 走れ走れ!」
 あたしは部室に駆け出した。
 そして、今日も居眠りをしながら授業を受け、その後、部活に行くのだ。
 それがあたしの生き方だ。


「立野、フォームよくなってきたぞ、その調子! 」
 西月の言葉。
「はい!」
 嬉しくなって返事をした。
「バー上げてみようか。百四十一センチ。大丈夫二センチぐらいどうってことないよ」
 からからと笑う西月に、あたしは、
「それは先輩だからですよ」
とぼそりと呟く。
「何か言った?」
「いいえ、何でもありません!」
 新しい未来があたしにはある。
 まずはこのバーから。
「立野、跳びます」
 一言自分に告げるように言った。
 助走にも力が入る。バーが近づいてくる。大丈夫。きっと跳べる。
 トッ、地面を蹴る。背中を反らす。
(ああ、綺麗な空だ)
 最後に足がバーに引っかからないように上げて……。
 トスッ。
 かすかに揺れるバーが上に見えた。
 ひんやりしたマットの感覚。
(ああ、青木、初めて百四十一センチ跳べた! 見てる? 青木!)
 喜びが沸き起こってくる。しばらくマットに背を預けたまま、あたしは空を見た。
 どこまでも広がる青い空と白い雲。でも。
 空は止まってなどいない。雲は流れ、日々は移ろい、未来へと続いているのだ。
「跳べたじゃん! 立野お!!」
 西月の嬉しげな叫び声。
 こうやって、日々、空に段々近づいていく。やっぱり、この感覚はやめられないな。
「感覚残ってるうちに、もう一度跳びます!」
 あたしは笑顔になって西月に叫ぶ。
「おう! 頑張れ!」
 西月の声を背に、助走に入る。
 ……「空」……
 初めてのハイジャンの感想を述べた青木の言葉が蘇る。
 そして。
 あたしは跳躍した。視界には青木の全開の笑顔のような……。
 ――空!――


                          おしまい


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