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天音花香の小説をUPするブログです。個人サイトの小説はこちらに移しました。現在二時創作と短編を中心に書いています。
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天音花香
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女性
職業:
主婦
趣味:
いろいろ・・・
自己紹介:
小学生のときに、テレビの影響で、小説を書き始めました。高校の時に文芸部、新聞部で文芸活動をしました(主に、詩ですが)。一応文学部でです。ですが、大学時代、働いていた時期は小説を書く暇がなく、主婦になってから活動を再開。

好きな小説家は、小野 不由美先生、恩田陸先生、加納朋子先生、乙一先生、浅田次郎先生、雪乃 紗衣先生、冴木忍先生、深沢美潮先生、前田珠子先生、市川拓司先生他。
もう一つのブログでは香水についてレビューをしております。
http://yaplog.jp/inka_rose/
こんな私ですが、宜しくお願いします。





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こんばんは、天音花香です。

若干時期はずれになってしまいましたが、
こちらも、青春恋愛小説です。
楽しんでいただければ幸いです。

<登場人物>

木崎 りり(きざき りり)
・・・主人公。中学生のときの恋愛をひきずっている少女。ちょっとぼんやりしているかもしれない。

坂口 悠香(さかぐち ゆうか)
・・・りりの中学生のときからの親友。しっかりもの。

市野 健二(いちの けんじ)
・・・りりの小学生のときの好きな人。今は親友。悠香とも仲がよい。

徳山 誠人(とくやま まさと)
・・・陸上部に属する一年生。中距離ランナー。純粋な少年。その走る姿が、りりの癒しになっている。


<ストーリー>

 りりの学校の体育祭は恋愛イベントとして有名であった。
 
 体育祭のときに男子がキスをすると恋愛が成就する。
 長距離走で上位に入ったら、キスを拒まれない。

 そんな他愛のないジンクス。

 だけど。

 一生懸命になる彼らがいるのです。


    「体育祭(こいまつり)」



「りり、また見てるの? 徳山君」


 中学の時からの親友の坂口悠香が声をかけてきた。
「うん」
 私、木崎りりはまだ徳山君を見ながら、ぼんやりと頷いた。

 徳山君は陸上部の一年生。中距離ランナーだ。
 私は彼の走り方が好きだ。本当はきついだろうに、それを面に出さずに、一心に走る。走り終えた後だけ、呼吸を整えるため手を膝につき、肩を上下にゆらす。荒い呼吸にも関わらず、顔は爽やかで、額の汗を拭う姿が様になる。
 一つ年下の可愛い男の子。


 私が陸上部の練習を見るようになったのはいつからだっただろう。

 高校二年に進級するとき、別の学校の彼と別れた。

 彼は陸上部の短距離選手だった。

 彼は走るのが好きだったようだが、走っている時の彼は苦しい表情だったのを覚えている。

 中三のときから付き合いだして、一緒にいれる時間がとても嬉しかった。勉強をしているときでさえも。

 彼は陸上の有名な高校に入り、私たちは別々の学校に通うことになった。
 最初のうちは待ち合わせをして途中まで一緒に帰ったり、彼の部活を見に行ったりするのが楽しかった。好きだからお互い時間を割く。

 でも。

 好きだけど、時間を割くのが苦しくなっていった。

 きっとまだお互い好きだったと思う。だけど。

「まだりりが好きだよ。だけど、もう会う時間を作るのがきついんだ。りりもそうじゃないかな? もう、俺のために無理する事はないから」

 私たちは別れた。
 桜の花びらがさらさらと舞い落ちる季節。
 涙みたいだ。ああ、泣いているのは私か。



 それからの私は不安定で、ぼうっとする日が続いた。周りの景色さえ虚ろに映った。何もかもにもやがかかったような。生きながらに死んでるような。

 事情を分かっている悠香は私を酷く心配してくれたけれど、なんて声を掛けたらいいのか分からない様子だった。
 でもずっとそばにいてくれた。


 ゴールデンウィークを過ぎた頃、何気なく、帰りにグラウンドを見た。
 たくさんの部活の中で、練習する陸上部員だけが目に入った。
 私は自覚なしに、座り込んだ。そして陸上部の練習を久しぶりに見た。その視界がぼやける。頬を熱いものがいく筋も伝った。

 なんでこうなっちゃったんだろう。彼が走るのを見るのが好きだった。時間? 本当に好きなら、きっと割けたはず。
 お互いの想いが薄れた結果だ。


 ――私はもう、好きな人なんかいらない。

 私はそれからと言うもの、陸上部の練習を見るようになった。最初は泣きながら。
 夕日を受けて走る部員たちは輝いて見えた。元彼がそうだったように。

「おい。思い出すぐらいなら、見るのやめれよ」

 声を掛けて来たのは市野健二だった。小学生の時に好きだった人で、告った時には、
「他に好きな奴いるから」
と断られた。今は親友のように仲がいい。
「いいんだ。見るの好きなの」
「だったらいいけど、現実に戻ってこいよ?」
 それは嫌だった。


 徳山君が目に入ったのは偶然だとしかいいようがない。
 徳山君は元彼とは走る距離が違う。必然的に走り方も変わってくる。全力疾走の短距離、力の配分の難しい長距離。そのどちらにも属していて属さない中距離。徳山君のフォームは綺麗で無駄がなかった。

 私は次第に徳山君を見るようになった。徳山君をというより、徳山君の走る姿を。見ているときはすべてがスローモーションのように見え、時間がゆっくり流れているかのように感じられた。それは今の私にとっては心地よいことだった。


 ある日、部活が終わったようなので帰ろうとすると、
「ずっと練習を見ていますよね?」
と、徳山君に声を掛けられた。
「……」
「陸上好きなんですか?」
 徳山君の声は高めで、スポーツ刈りをした髪は日にすけて茶色に光っていた。そして、色素の薄い優しい瞳をしていた。
「すみません。以前、泣きながら見学されてたので、気になって……」
「うん。でももう大丈夫。大丈夫なの。
あなたはとても綺麗な走り方をするのね」
「え? 恥ずかしいなあ」
 徳山君は照れたように視線をうろうろさせた。

 可愛いな。

「あの、先輩? ですか?」
「そう。二年」
「お名前は?」
「木崎 りり」
「僕は徳山 誠人といいます」
「よろしく。今日も練習お疲れ様。じゃあね、徳山君」

 ーーもう人を好きにはならない。だからこの距離ぐらいが傷つかなくていい。なんて都合のいい、名前のない想い。

「……」
「でもこのままじゃ徳山君、勘違いしちゃうかもよ? いや、もうしてるのかも」
 悠香がそう言った。
「大丈夫だよ。多分……」
 私はそう答えながら、正直、微妙なところかもと思う。

 最近徳山君は、部活中こっちをよく向くし、部活中じゃなくても、校内で会ったときは笑いかけてくる。そんな純粋な笑顔を痛く感じることもある。
「りり、……徳山って奴が好きになったのか?」
 健二が話に加わって来た。
「だから、違うんだよ。そういうのじゃなくて、目の保養」
「……って、好きなんじゃん」
「違う。もう人は好きにならない。あんな思いはしたくないから」
「……ふーん。でも、それ、寂しくないか?」
「だよね! 私もそう思う。世界中にはいろんな人がいるんだよ? 元彼と同じ結末になるとは限らないよ?」
 悠香も健二の言葉に頷いた。
「……まだいいや」
 私の返事に、悠香と健二は顔を見合わせ、溜め息をついた。
「でも、りりにはりりの事情があるけど、徳山君を勘違いさせてるんだったら、やっぱり可哀相だよ。それは考えてあげなよ?」
 悠香の言葉に、
「……うん……」
と私は頷いた。苦い思いが広がる。
 私は徳山君が「好き」ではないのだ。でも、彼の走りを見ることで、癒されている自分がいる。この感情をどう表現すればいいのだろう。
「でも、そんな簡単に誤解するものかな?」
 私は自己弁護の言葉を口にする。
「視線って意外に気付くものだよ?」
 健二が私の目をまっすぐ見て言った。その言葉には力があって、私は自分のしていることに罪悪感を覚えた。

「分かった。やめる」
 私は徳山君をこれからも好きになるとは思えなかったし、見ることで一方的に迷惑をかけることになるのであれば、やめることは仕方ない結論なんだろう。

 私はその日からグラウンドに座り込むのをやめた。時々、廊下の窓から徳山君を見ることはあったけれど。


「先輩、最近部活見に来ませんね」
 廊下で偶然徳山君とすれ違ったときだった。悲しげで、それでいて責めるような瞳が私を捕らえていた。
「……」
「ま、体育祭も近いし、走りこみしてる男子が多いからな。いづらいよな」
 横にいた健二がさりげなくそう言った。
「う、うん。そう。創作ダンスの練習もあるし……」
「創作ダンスね。いまいちよくわかんないんだよな、あれ、抽象的過ぎて。男子はタンブも長距離走もあるから大変なんだぜ」
 健二が私の言葉の後を引き継ぐ。


 うちの高校の体育祭は変わっている。

 ビル街にある学校のグラウンドは小さくて、体育祭のときだけ、少し遠くにあるグラウンドを借りる。
 泊まり込みで二日に渡る体育祭。恋愛イベントとしても有名だ。
 その二日のうちに男性からキスをされると恋人同士になれるという言い伝えがあるからだ。
 また、体育祭の目玉は他校が応援コンテストや男子のタンブリング、女子の創作ダンスなのに対し、うちの学校の目玉は、それらにもう一つ、全学年男性長距離走というものが加わる。
 グラウンドを五周、外周を三周。約八キロに渡る長距離走。
 そして、この競技で上位になった男子はキスを拒まれないというジンクスもあって、男子は体育祭が近付くと、みんな走りこみをするのだった。

「でさあ……」
 健二は他の話をふるようにして、そのまま通り過ぎようとした。だが。
「その人と付き合っているんですか?」
 徳山君は私たちを逃がしてくれなかった。
 私と健二は一瞬目を合わせた。健二は私から目をそらして、徳山君を見た。

「そうだって言ったら?」

 え? 私は驚いて健二を見る。健二は挑戦的な視線を徳山君に送っていた。
 ?!
「……」
 徳山君は一瞬黙って、健二の目をじっと見つめた。
「そう……ですか……」
「……すみませんでした」
 と目伏せ、言うと、徳山君は歩いて去った。その背中は少し寂しく見えた。私は自分が傷つけてしまったことを後悔した。
 
 ごめんね、徳山君。

 それにしても。

「……健二」
 私は戸惑って、健二を見つめた。
「ばーか。ああ言えば、ひくと思ったんだよ。ま、あれでひくようじゃ、それぐらいの気持ちってことだな」
 健二は私から目をそらすようにして、歩きながらそう言った……。


「え? 気づいてなかったの? 健二はたぶんりりが好きだよ」
 一連の出来事を悠香に話すと、悠香は逆に驚いて言った。
「……!」
 だって、健二とはずっと友達で。親友で。
「りりのことずっと心配して、見守ってたけど、ライバルが現れちゃ、黙ってはいられないよね」
 私は混乱した。健二が? これからどう接したらいいんだろう。
「ああ、気づいてないふりしときなよ。これまでそうだったんだし、健二はりりが鈍感だと分かってるからさ」


 私は、その後健二をまともに見ることができず、当たり障りのない会話をするという関係が続いた。
「りり? なんか最近俺のこと避けてね?」
「うううん、避けてない」
「……ふうん。まあ、いいけど。
それともなんだ、何か悩んでるのか? 徳山のこと?」
 言われて、はっとした。あの後、健二にどう接すればいいかばかり考えて、徳山君のことは頭の隅に追いやられていたからだ。なんて薄情なんだろう。
「……違う。なんでもないよ」
 あくまで、悠香の予測……。
 そう思いたくなってきた。だって、近くにいる健二を意識するのは結構辛い。
 それより。
 最近、元彼のことを思い出す回数が減っていることに驚いた。
 会えない人より、会える人の方が印象が増すのは仕方がないのかもしれない。

 私が薄情なのかな……。
「いいんじゃない? 最近りり、元気になってきたから、私も嬉しいよ」
「そっか……」
「徳山君は、もう、いいわけ?」
「え? どういう意味?」
「もう何も思わないの?」
 難しい質問だった。
「うーん、もともと恋愛対象ではなくて、走る姿を見てどきどきするのが至福のときだったの……。だから、今でも廊下の窓から見ることあるよ。やっぱり綺麗なフォームだと思うし……」
「はた迷惑な感情だねえ、それは」
「だね」
「体育祭、もうすぐだね。今年はりりの周りは荒れそうだ」
「ちょっと、そんなこと言わないでよ! 何も起こらないよ」
「私にも恋来ないかなあ」
「悠香。おばちゃんみたいなこと言わないでよ」
 そう言った私に、悠香は真剣な瞳を向けてきた。
「?」
「……りり。
……もし、健二が何かアクションを起こしてきたら、真剣に考えてあげてね」
「え……?」
「別に、付き合えとは言わない。ただ、茶化さずちゃんと考えてあげて。でないと私が救われないから」
 私の胸がどくんと鳴った。悠香、もしかして……。
「悠香……!」
「いいの。私のことは。好きな人が自分を好きになるなんて奇跡はそうないってことぐらい分かってるから。それから、りりは自分を責めないでいいから! りりが悪いわけじゃないから。仕方ないことなんだから」
「……ごめんね」
「何に対して?」
「……わからない。でも、ごめん、悠香」
 悠香はじっと我慢していたんだ。自分の好きな人が、自分の親友を追う姿を見るのはどんなに辛いだろう。
 私は泣いていた。
「なんでりりが泣くのよ。もう、本当に仕方ない子だねえ」
 いつも強気な悠香の声が震えていた。
「うまくいかないね。心って」
「そうだね」
 私も傷ついた。でも、私はいろんな人を傷つけているのも事実なのだ。
「みんな両想いの世界があればいいのに」
「そうだね」
 私たちはしんみりとしながら、七月になった空を眺めた。
「眩しいね」
 そう言って二人で泣いた。


 体育祭一日目。

 その日はよく晴れていた。九月になって始めてのの土曜日。保護者や、近辺の人々が見学に来ていた。
 始まってすぐに行われたのは男子のタンブリングだった。
 集中力とスタミナを要する競技だから始めに行われるのだ。男子たちは長距離走の練習とともに、このタンブリングの練習を懸命にしていたのを思い出した。
 小学生のときには組み体操をしたのを覚えているが、それとは迫力が全然違う。鍛え抜かれた上半身は彼らの勲章だ。

 男子たちの太い掛け声がグラウンドに響く。
 少人数から、段々と組む人数が増えていく。一つ一つが決まるごとに拍手が贈られた。
 一番の見所は七ピラと呼ばれる七段のピラミット。支える腕が振るえ、苦痛に顔をゆがめ、それでも彼らは七段のピラミットを成功させるために耐える。
 そして、四ブロックのうち、成功したと同時に崩れるブロックが三組だった。残った一組も、何秒かで崩れた。だが、青空に聳え立つ七ピラは本当に見事だった。
「息をするのを忘れちゃうよね」
「うん。健二一番下だったね」
「きつかっただろうね。本当にがんばったよ」
 私は悠香と同じブロックの応援席で隣同士に座りながら、彼らを見ていた。


 それからは、百メートル走や女子の棒引きなどが行われた。七、八月、補習の後に、毎日練習があったが、今日が本番だ。
 二年目の私は一年生だったときの用にがむしゃらに練習はしていなかったけれど、でも、今日はやっぱり必死になっていた。
 棒がどちらに引かれるかなんて、本当にどうでもいいことなんだけれど。それでも裸足の足を棒と垂直にして、頭をからっぽにして引き合っている自分がいた。
 男女が一緒に行う綱引きも白熱した。
 点数が得点版に書かれていく。だが、競技をしているときは点数のためというより、なんだか何もかもを忘れて、没頭していた。

 そして、初日最後の競技が始まろうとしていた。
 男子長距離走だ。

 傾き始めた太陽が、男子たちを照らしている。男子たちはストレッチなどをしてスタート地点に立っていた。

 パン! と乾いた音が響いた。

 いっせいに走り出す男子たち。
 徳山君はやっぱり綺麗な走り方をして、先頭グループの中にいた。そして、意外なことに健二もその中にいた。
「健二、ずっと走りこんでたんだよ」
「……そうなんだ」
 彼らの瞳はとても澄んでいて、まっすぐ前に向けられていた。何が見えているんだろう。
 規則的な息遣いが聞こえてきそう、こんなに遠いのに。
 多くの声援が飛び交っているのに、私には聞こえなかった。時間が止まっているような気がした。その中で長距離走をする男子たちだけが動いているように思えた。
 グラウンド五周の間に、段々差がついていく。
 私の目は徳山君を見ていた。彼の走りに乱れはなかった。
 陸上部と競争は他の男子はきついよね、と思う。ふと健二を見ると、先ほどより口が開いていた。
 ジンクスなんて、もうどうでもよかった。
 がんばれ! がんばれ!
 その言葉しか頭に浮かばなかった。

 先頭集団がグラウンドを出て行った。
「どうなるかな」
「わかんないね」
 自然と口の前で指を組んで祈っていた。心臓がうるさい。
 がんばれ!
 外周三周の時間が酷く長く感じられた。太陽が段々と沈んでいく。
「……ねえ、りり、どうするの? キスされそうになったら」
 悠香が遠慮がちに聞いてきた。
「今はわかんない。そのときになってからじゃないと」
「どっちに勝ってほしいの?」
「それもわかんない。二人ともがんばってほしい」
「……そっか……」
 悠香が自分の足の指先を見つめながらそう呟いた。
「酷い女だと思う?」
「うううん、そういうんじゃない。ただ、どんな気持ちなのかなと思って……」
「考えないようにしてるだけかもしれない。それに、本当にキスされるかなんてわかんないよ。徳山君はあれから何も言ってこないし、健二だって本当は私のこと思ってないかもしれないじゃん。」
「それは、違うと思うけどな。だって、でなきゃあんなに必死にならないよ」
「……悠香……」

 悠香が寂しく微笑んだので、何か言おうとしたときだった。
 大きな歓声が上がった。
 先頭集団が戻ってきたのだ。
 健二は? さっき苦しそうだったけど……。
 ――いた!
 徳山君はやはり先頭集団にいて、健二もその中に残っていた。
 ラストスパート。みんなのペースが上がる。二人とも苦しい顔だ。
 走る。走る。走る。
 がんばれ!!
「あ……!」
 終わりはあっけなかった。先頭集団はそれほど差がなくゴールした。ゴールした男子たちは、きつそうにグラウンドに倒れこみ、呼吸を整えていた。
「!」
 強い視線を感じた。
 熱い息を吐いている健二だった。
「どうしよう。健二が見てる」
「……。前、私が言ったこと覚えてるよね?」
 健二に負けずと真剣な悠香の瞳が私を映していた。
「……うん。考える。考えてみるよ」

 結局、健二は八番だった。
「健二ってバスケ部だよね?」
「うん。がんばったね。あいつ」
 凄い健闘だった。
 徳山君はというと、なんと三番だった。
「徳山君も執念だね。一年なのに、三番って……」
 少し呆れたように悠香が言った。
「さて、期限は明日の解散まで、か……。どうなることやら……」
「……」
 先ほどまで、がんばれ! としか思えなかった頭がようやく回転しだした。
「どうしよう……」
「こればかりは、私が変わってあげられないからね。自分の気持ちとちゃんと向きあいなよ」
「そう、だね……」

 その日解散になり、近くの宿泊先の寺院に向かうころには自分の影が長く伸びていた。
「見てた? 俺、八番! すごくない?」
 健二が声をかけてきた。
「すごかった、すごかった」
 悠香が笑顔で健二を褒めた。
「……。頑張ったね」
 私もそう口にした。
「誰のため? ぐらいつっこめよ」
 健二は笑ったけど、目は笑っていなかった。鋭いとさえいえるような視線を私に送っていた。
「聞けないよー、ねえ、りり」
「う、うん」
「……まあ、うまくいくように祈ってて」
 そう言って去っていった健二の表情は分からなかった。

 健二、本当に私にキスしようとするのかな……。
 男子の真剣な視線があんなに怖いなんて思わなかった。視線って、凄い力なんだ……。
 私は今更、自分が徳山君にしていた行為を思い出して、申し訳ない気持ちで一杯になった。信じられないことだが、もう、元彼を思い出すスペースが私の頭にはなかった。
 どうしよう……。 
 私は悠香と食堂とされる場所に向かった。すると、ちょうど食事をする学生たちで賑わっていた。
 徳山君もその中にいた。一瞬目が合う。けれど、徳山君はすぐに目を伏せてしまった。 
「……」
 そんなとき、また刺すような視線を感じ、私は振り返った。
 そこには健二がいた。目を逸らしたいのだが、健二の瞳がそれを許さない。
「……」
 息ができない。
 ……。

 ……はあ!
 私は息苦しさに目を逸らして、息を吐いた。
「りり?」
「健二が、健二が見てるの。どうしていいかわからない」
 私の言葉に悠香はちらりと健二の方を見た。
「気にしなくていいよ。健二は何も言ってこないんでしょ? そしたら、りりだってどうしようもないじゃん」
「そ、そっか……」
 私はため息をついた。好きという感情はなんて強いのか。そして、怖いのか。付き合っていた彼がいたにも関わらず、私は今更そう思った。
「それにしても、断るのも辛いよね。実は私もさっき告白された」
「!」
 驚いて悠香を見ると、悠香は照れたように一度笑い、そして真顔になった。
「でも、まあ、私は健二が好きだからさ。こればかりは仕方ないもんね。相手を傷つけてしまったけれど、でも、自分に嘘ついて付き合うのはどうかと思うし……。そっちのほうが相手に失礼じゃない?」
「うん……」
「って、りりは落ち込まなくていいのよ? 私が健二が好きだからって、別にりりは気にしなくていいんだから。そのうち私にも他に好きな人ができるって!」
 悠香は強い。笑いながら背中をたたいた悠香に私は適わないなあと思った。
 それなのに、健二の視線は私に向いている。現実ってうまくいかないな。


 二日目、この日は、男子の騎馬戦から始まった。
 ドン、ドンという太鼓の音がよく晴れた空にこだまする。
 朝日を浴びた騎馬たちがゆっくりと所定の場所に移動していく。
 健二は馬の先頭だった。身長百七十七センチ、体格もそれなりにがっしりしているからだろう。まっすぐ相手の騎馬を見つめていた。私を見つめる目とはまた違った目で。
 ドドドドドドド!
 太鼓の音と同時に相手に向かって歩みを進める。
 上に乗っている男子同士が懸命に鉢巻を取り合いする中、健二は苦しい顔をして、耐えていた。

 男子の競技は苦しそうなのが多くて、可哀相だ。でも、そんな彼らの姿はこんなにも心を打つ。知らず知らず両拳をにぎり、応援している自分がいた。
「さて、次は私たちだね」
「うん……」
 男子の競技と比べると、地味かもしれない創作ダンスは、練習は結構大変なものだった。
 時間はたった四分。でも中身は濃い。
 三年生の選曲、振り付けを夏休みの間、ずっと練習した。健二が抽象的といったように、確かに見ていても分からない細かい動きなどが実は重要な意味をもっていたりする。時に一人ひとりで。ときにグループで。そして、全体で。
 四分の間に三年生の作った思いが表現される。動きをや配置を覚えるのは結構大変だし、踊り終わった後は疲れがどっと出る。でも、その達成感はすがすがしく、自然と顔に笑みが広がった。
 退場してから一時は女子同士で、声を掛け合った。よかったね! とか、やったー! とか。とにかく興奮していた。

「やっぱりわからんな、何を表現しているのか」
 ブロック席に戻ってきた私たちに健二が声をかけてきた。
「失礼ね、がんばったのに」
「うん。それは伝わった。みんなすっげー真剣。そして、華があった」
 にっと笑って言った、健二の言葉に悠香と私は同じようににっと笑った。
「そうそう、男子は怖い競技ばかりだからね。女子が華を添えないと」
 悠香が言うと、
「ブルマだったら、なおいいかもしれん」
 と遠い目をして健二は言い、悠香が、
「すけべ!」
 と健二を小突いた。
 私は、ふと気づいた。二人はこんなに仲がよかったんだ。
「……」
 小学校からずっと一緒の健二。中学から仲良しになった悠香。そっか。自然と一緒にいる時間があったからだよね。
「りり?」
 健二が怪訝そうな顔をして私を見た。
「お昼だね。お弁当食べよう!」
 私は悠香の手を引っ張った。
「りり?」
「お昼の後は応援コンテストだよ! しっかり食べないとね」
 私たちは弁当を配っている場所に歩く。
 途中で徳山君の姿が見えた。
 私の視線に気付いてか、こちらを向いた。
 目が合う。徳山君は何か言いたそうな顔をしたけれど、でも、思い直すように視線をそらしてしまった。
 どうしていいかわからない。でも、徳山君の視線には健二のような力はなかった。
「ちょっと待ってて」
 悠香は私を置いて、二人分の弁当を手に戻ってきた。
「一緒に食べようって」
 そして、後ろを指差して言った。同じブロックの女子三人が手を振っていた。
「これ、男子と同じサイズだよね。こんなに入るかな」
「だね。多すぎ」
「次、応コンだねー」
「緊張する~」
 応援コンテストは、パネル操作と応援歌の音量で審査が決まる。
 男子も女子も、この応援コンテストのためにかなり時間を割いてきた。大人数いるとはいえ、一人でもパネル操作を間違えば、結構目立つことを、一年生の体育祭後、ビデオを見たときに学んでいた。
「結構恥ずかしいよね、失敗したら」
「ね」
 練習のときに間違わなくても、本番で間違ったら終わりなのが結構プレッシャーになる。
 タンブリングもダンスもだが、応援コンテストも、やっているとき自分たちがどうなっているか分からないというのは緊張する。
 タンブリングは女子は見れる。ダンスは男子は見れる。でも、応援コンテストは誰も見れない。どんな字や絵が出されているのか、教えられないまま競技が終わる。後で、体育祭のビデオを見せてもらえるのだが、男子は自分たちのタンブリングの出来に、女子は自分たちのダンスの出来に、そして、みんな応援コンテストのパネルの出来を楽しみに見る。競技中の緊張感の消えた顔で。

 それにしても、こんなに大人数で弁当を食べるのは、体育祭シーズンだけだな、と私は思った。
「今日で、このブロックも終わりだね」
「うん。ダンスもさっき終わったし、なんだかあっけないよね。体育祭」
「練習のときはさ、すっごくきついのに、終わるとなんだか……」
「寂しいんだよね~」
 最後の言葉は見事に五人重なった。私も含んで。
「男子の七ピラ」
「騎馬戦」
「かっこよかったよね~」
「でも、うちらのダンスも今日の出来は上々じゃなかった?」
「うん」
「でも、どのブロックも同じこと思ってるよね」
「だね~」
 だから得点版にあがる数字に、不満があがったりする。それはきっと一生懸命やったからなのだろう。
「……」
 幽霊が通った。と、小学生のときはこんなときに言ったな、と思う。
 みんなが無言になる一瞬。
「悠香さ、あの後キスされたの?」
「な、なんで知ってるの? されてないよ!」
「えー、だって見えちゃったんだもん」
「もう、馬に蹴られてしんじゃうよ?」
「木崎さんは何かあった?」
「……」
 何かあったかというと何もない。けれど。
 徳山君の態度。健二の視線。
 私は、返答に困ってしまった。
「もう、いいじゃん、そんなことより、この後の競技、がんばらないと!!」
 悠香が私をかばうように早口に言った。
「だってさあ」
「キスされたいもん」
 二人の言葉に、
「好きじゃない人からされても意味ないじゃん。それとも、その場の雰囲気でキスしちゃうの?」
 悠香が冷めた声で言った。
「そっか……それは」
「微妙だよね……」
「でも、言い伝えもあるし、その人が運命の人かも、なんて……」
「は、あほらし~」
 悠香がまた冷めた声で言った。
「ま」
「ごめん。そういうのが気になるお年頃なんです」
「それは分かるけど、好きって感情はデリケートなものでしょ? 興味本位で聞かれたらいい気しないよ。はい、この話題はおしまい。後は、自分の心の中で思ってなさい」
 悠香がお姉さんのように言い切った。それがあまりにも悠香らしくて、私はちょっとだけ笑うことができた。
 なぜか少し心が軽くなって。
「こら、りり、何笑ってるの?」
「あ、木崎さんも思った? 今」
「悠香って……」
「お母さん」
「お姉さん」
「みたいだって」
 あれ、少し言葉が違った。でも。
 四人は一緒に笑う。悠香だけは、
「お母さんって、何よそれ! 酷いじゃない!」
 とわざと怒るように言った。

 悠香って、本当にいい子だな。私は今度は寂しくなってまた笑った。
 寂しい? なぜかは分からなかった。

 ブロック席に戻るとき、
「ごめんね。二人で食べればよかったね」
 と言ってきた悠香に私は頭を振った。
「うううん。いい。ブロック違ってたら話せなかった人たちだし……。
悠香は凄いね。誰とでもすぐ友達になっちゃう」
「そう? お母さんだけどね」
「私はお姉さんって言ったよ?」
「よしよし、愛いやつめ」
 悠香は私の頭をなでた。
「さて、応コンだよ」
「うん。がんばらなきゃね!」
 うちの学校の応援コンテストの練習が聞こえてくると、周囲の住民たちは、夏を感じるという。それだけ声が響いているらしい。
 去年は声ががらがらになるまで歌った記憶がある。
 なんでそんなに熱くなれるのか、二年目の私はそんなことを思う余裕があるけれど、でも、だからと言って、負けたくはない。
「うん。がんばろう。今日のために練習してきたんだもんね」
「だね~。何でこんなにがんばるのかわからないけど。がんばったもんね」
「悠香、私も同じこと考えてた」
 私はくすりと笑った。
「お、何笑ってんだ?」 
 健二だ。
「なぜ、体育祭に熱くなれるのかなって」
 悠香の答えに、
「それは愛のためだ!」
 片手を胸にもう一つの手を天にかざして、わざとらしく叫んだ健二を、ばしっと悠香が叩いた。
「あんた、暑苦しい」
「酷いよなあ、りり。
この、俺の熱い愛を受け止めるがいい、愚民ども」
「は? 何が愚民よ! 頭おかしいんじゃないの?」
 まだ言う健二に突っ込む悠香。
 夫婦漫才みたいだ。と思って、私は寂しく笑った。
 また、だ。
「とにかく、がんばろーな、応コン」
「うん」
「あんたに言われなくてもがんばるわよ」
 そして、応援コンテストは始まった。

 他のブロックの声は聞こえ、パネルは見える。
 凄い音量。そして、面白いパネル。
 競技の中に入ってはいるけれど、応援コンテストは他のブロックがどんなパネル技術を使ってくるか、つい楽しんで見てしまう。
 秋の高い空に、応援歌が響き渡っていた。私たちも負けられない。
「次だね」
「うん」
 私は結局、今年も声が出なくなるほど歌ってしまった。パネルもがんばったと思う。ミスは……考えるのはよそう。15分ぐらいはあるのに、あっという間だった。
「?」
 ふと視線を感じて、振り向くと、健二の目があった。私の目と合った瞬間、健二は一瞬目を伏せて、その後、にかっと笑った。よくわからなくて、私はとりあえず、笑い返した。

 応援コンテストの後は騎馬戦の決勝が行われた。
 うちのブロックは残念ながら午前の試合で負けたので、三位決定戦に望んだ。
 順位がなんだ。がんばっている男子はかっこいい、それでいいじゃないか、と思えた。
「意外に点数の差、ついていくよね」
 得点版を見やり、悠香は言った。
「ほんとだあ。うちのブロック三位か……。あ、でも二位とはまだ次の男女混合リレーで勝てばなんとか、ならない、かな?」
「うーん、そうだね。でも、もう、一位は無理だねー」
「……そうだね、残念だけれど」
「でも、得点がすべてじゃないって思える」
「私もそう思う。がんばることが大切なんだよね」
 社会に出れば、がんばっても報われないこともあるということを、得点版は示しているようではあったが、まだ高校生の私たちは、逆に得点が全てじゃないと思うのだった。
「次、男女混合リレーだね。八百と四百」
「……徳山君、たぶん八百に出るんだ。練習してたもん。違うブロックだけど、応援してもいいよね。それとも応援しないほうがいいのかな」
 私は自分の手の指先を見つめながら言った。
「馬鹿ね、応援されたほうが嬉しいに決まってるじゃない!」
 悠香が微笑む。
「うん」
 あ。
 また視線だ。もう、何度目だろう。また健二だ。
「……」
 少しの間、見つめ返す。健二の視線は昨日とは違って、鋭さはなかった。ただ、真剣さは変わらなかった。
 私は手で、グラウンドを指し、リレーが始まるよ! というジェスチャーをした。健二は少しの間、まだ私を見つめていたけど、分かった、と言うように頷いて、視線をグラウンドに戻した。
「健二?」
「……うん」
「っもう、あいつも女々しいね。何が愛よ。自分はちっとも行動しないじゃない」
 悠香が苛立たしげに言う。私は複雑だった。行動されても困るし、このままでも困るし、正直どうしていいか分からなかった。
 ただ、悠香にこんな言葉を言わせるのは悲しかった。
「あ、始まった。八百からだね。徳山君は?」
「えーっと、どこかな、あ、三番走者みたい」
 陸上競技はあっという間に終わってしまう。しっかり見なきゃ。
 バトンが、徳山君に、わ・た・る!
 早い!! そして、やっぱり綺麗なフォーム。
 私は知らず知らず泣いていた。
 一生懸命走る徳山君。
 久しぶりに思い出した元彼が徳山君と重なる。
 ……誰でもよかった。失恋を癒してくれるのであれば。そして、それが徳山君だった。
 私は徳山君のおかげで、現実に戻ってきた。なのに、徳山君を傷つけてしまった。徳山君に対する気持ちは恋ではなかったから……。
 ごめんなさい。
 徳山君は一人抜いて、一位になって、次の走者にバトンを渡した。
 バサッ。
 タオルが上から降ってきた。
 もう、分かる。健二だね。当の健二はタオルをかけてどこかへ行ってしまった。
 私はありがたく、そのタオルで涙をぬぐった。
 少しして、
「あれ? りり、あれ健二じゃない? って、だよ!! あいつ、四百に出るんだ!」
 興奮気味の悠香の声に、私はグラウンドに目を凝らす。
 本当だ。健二が一番走者のところに並んでいた。

 パンッ!
 スタートを告げる空砲。
 健二が走り出した。私は瞬きも忘れて見た。健二の走る姿を。
 それは徳山君のフォームとは比べものにならないほど、乱れたフォーム。
 でも、早い! 早いよ!
 がんばれ! がんばれ!! 健二、がんばれ!
 一位の走者に後もう一歩というところでバトンを第二走者に渡し、健二は肩で荒く息をして、トラックから出た。その顔は悔しそうで。
 でも、すごくかっこよかったよ、健二。
 私は再びあふれ出した涙を健二のタオルでぬぐった。
 息を整えた健二は遠くを見ていた。それは、いつもの健二とは違って見えた。その健二が、こちらを、向いた。
「……」
 なんて目をするんだろう。
 健二は眩しいものを見つめるかのように私を見ていた。まっすぐすぎる視線。
 息が、できない。
「りり?」
「健二が……」
 見てるの。
 どうしよう。音がする。もしかしたら、もっと前から……?
「あ、手を振ってるね」
「うん」
 私たちに手を振る健二を見つめながら、私はなぜかまた泣いた。健二のタオルに顔を埋めて……。

「四百出るなんて知らなかったよ」
 戻ってきた健二に悠香が声をかけた。
「ああ、俺も出るとは思ってなかったよ」
「え?」
 悠香と私の声が重なる。
「俺、補欠だったの。
ほんとに偶々出ることになっちまって、いい迷惑だ、まったく」
「その割には悔しそうだけど?」
 悠香の言葉に、
「まあね。戦うからには勝ちたいんすよ。男は」
 すねたように言う健二。
「でも、がんばったよ。すっごくかっこよかったよ」
 私が自然とこぼした言葉に、下を向いていた健二が顔を上げた。
 視線が合う。健二はちょっと意外そうな顔をしていた。
「そ? まじで? そりゃ、ま、嬉しいけど」
「うん。かっこよかったよ、健二の割には」
 悠香が笑顔で言い返す。その笑顔が寂しく見えた。
「悠香、お前、一言多いんだよ。
って、りり、このタオル、すげーことになってるんだけど」
 涙でぐしゃぐしゃになったタオルを見て、健二が言う。
「しょ、しょうがないじゃん」
「まったく、泣き虫」
 健二はそう言って、私の頭をぐしゃっとなでた。そして、得点版を見る。
「あーあ、あと少しだったのになあ」
 二位との点差はわずか四点だった。
「でも、みんながんばったよね」
「うん」
「おうよ」
 私の言葉に悠香と健二は頷く。その顔には満足げな笑みが広がっていた。
「また、次は来年だね」
 私が言うと、健二は表情を変えた。ふっと目を伏せて、
「来年、ね……」
 と小さく言った。
 それは酷く不本意そうに響いた。

 ……あ。また音が。
 ……さっきから音が止まない。

 反省会のために、それぞれのブロックは所定の場所へ集まろうとしていた。
 また健二の視線を感じた。
 今は息苦しいのではない。
 音が。
 するから。
 だめ。
 私が逸らそうとすると、健二は近づいてきた。
 健二が段々近くなる。音が大きくなる。健二が。
 どくん。
 音が……!

「この鈍感!」
 反射的に逃げようとした私の手を健二が掴んだ。
「!」
 それからは何が起こったかよく分からなかった。振り払おうとしても、健二の手は離れず、そして。
 息ができない!!
「俺はお前が好きだ! いい加減気づけ!」
 やっと離れた健二の唇がそう言葉を紡いだ。
 ヒュー
 と回りにいた学生がはやし立てている。なんだかいろいろ言われているが、何も耳に入ってこなかった。
 私……。
 瞬きも忘れて、私は自分の唇に手を当てた。キスは初めてではない。でも、健二は初めてだったのかもしれない。
 こんなに拙いキス。なのに。
 拒めなかった……。うううん、拒もうとしたよ? 無理やりだったから、だからだよ。
 ――本当にそうだろうか。じゃあ、どうして私何も言えないの? 怒らないの?
 考えなきゃ。悠香のためにも。

 もし……健二に彼女ができたら?

 今まで考えたことなかった。
 それは、寂しい。うううん、寂しいなんてものじゃない。

 いやだ。

 もし相手が悠香だったら? 悠香は大好きな親友。健二も親友。大好きな二人が付き合う……。

 だめだ。

 私、悠香でも、悲しい。
 健二はいつも私のそばにいて、親友みたいで。でも、だからこそ、私から離れてほしくない。いつもそばで笑っていてほしい。
 それに。音が。
 どくん。
 するのはなぜ?
 ちゃんと考えて。
 健二を。
 私は。
 本当は。

「悠香! 私……」
「……うん。分かっていたよ。本当に鈍感な子だねえ、りりは。行っておいで」
「うん! ごめん、悠香」
「もう何度も聞いた。ほら早く!」
 私は寂しそうに歩いている健二の背中に向かって走った。

「健二!」
 健二は振り向いた。不機嫌そうな顔をして。
「なんだよ。悪かったな。無理やりキスして。
どうせ断るんだろ? ほら、聞くぜ」
 開き直った言い方の割りには寂しさがにじんでいた。
 私はそんな健二の目をしっかり見つめた。
「? なんだよ、早く言えよ」
「うん。じゃあ言う。
私も健二が好きみたい」
 健二は、一瞬理解ができなかったらしく、だらしなく口を開けた。
「まじ? それ」
「まじ」
 私は恥ずかしくてうつむきながら答えた。
「! やったー! まじで? まじで? やべー、好きだ! りり!」
 健二は私を抱きしめた。
 健二の汗の匂いがする。でも嫌じゃない。
 大きな腕の中にすっぽり包まれて、私はどきどきして、それなのに安心した。

 帰りの電車がにぎやかだったのは言うまでもない。


 そして、私と健二は付き合っている。
 親友のときもよく一緒にいたわけで、あんまり変わりがないといえばそうなのかもしれないけれど。
 でも一緒にいるとどきどきする。
 そんな一瞬一瞬が愛おしい。
「どうした? りり」
 健二の声が頭上からする。この低い声が好きだと思う。
「幸せだなって」
 腕を絡ませ答える。
 温かい健二の体温が伝わってくる。
 こうやって健二と腕を組むのは私だけでありたい。
 今はそう思う。

「親友の別れを願うほど落ちぶれてないわよ。というか、別れたときのりり見てるから余計に別れてほしくない」
 そう言っていた悠香。そんな悠香が最近私に耳打ちしてきた。
「好きな人、できたかも」
「! よかったね!!」
「よーし、来年、キスしてもらうよう、頑張るぞ! っていうか、こっちからするのもありなのかな?」
 それはよく分からないけれど、今回私たちは大勢の前でうまくいったため、体育祭でキスをすればうまくいくというジンクスはますます知れ渡った。

「なんか、やっぱり納得いかないんですよね。もし、別れても、僕がいますから」
 私と健二を前にして、徳山君がさらりと言った。
「ばーか、別れるかよ」
 私を後ろに隠すようにして、健二がほえている。
「こんなあほっぽい先輩でいいんですか?」
 私は笑う。
 いいんです。と心の中で言いながら。

                  おしまい
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