小説をおいております。
『いざ、出陣 恋戦』シリーズの二次創作、『神の盾レギオン 獅子の伝説』の二次創作、そして、高校生の時に書いた読まれることを前提にした日記と、オリジナル小説を二編のみおいております。
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こんばんは、天音です。
前回書いたように、「未来の誰かに贈る日記」を公開していこうと思います。
ココから
前書き
私は高校生のとき、自分の生きた証を残したいと思い、読まれることを前提とした日記「未来の誰かに贈る日記」というものを書いていた。その一部を本家サイトに公開していたのだが、意図的に、受験の悩みと恋愛の悩みを公開しなかった。恥ずかしいという思いがあったからだ。しかし、「それが私でしょ?」と当時の私が笑うので、改めて全てを公開しようと思う。
当時悩んだことは無駄ではないと思うからだ。読んでくださった方が少しでも何か感じてくだされば幸いである。
<よく登場する人物>
O君;高校一年のときに同じクラスで、新入生のときのイベントのときに偶然隣の席になり、背が180センチ以上はあるだろう、彼に「中学でバスケか何かやってたの?」と聞いて、無視をされ、感じ悪いと思っていた。口数が少なく、女子が苦手のよう。ただ、ある日、音楽の時間に先生が花瓶を割ったのを片付けているときに、黙々と手伝っているのを見て、印象が変わった。文化祭の時に廊下で偶然会い、無理やり展示室に連れ込んだことが。二年に上がり、クラスが変わって自分がO君のことが気になっていることに気づく。この日記ではO君、もしくは「あの人」と書かれている。
K子;中学のときに塾が同じで、高校に入り、同じ文芸部に入ったことで仲良くなり、登下校を一緒にしている人物。理系でとても頭がよく、冷静な意見をくれる。当時一番影響を受けた。
N子;中学三年のときに同じクラスで友達になった。高校二年から理系で、東大、京大クラスの6組になり、O君と同じクラスのため、私によくO君のことを話してくれた。
S子;高校二年のときに同じクラスになり、仲良くなった。人見知りがあり、容姿がすごく女の子っぽいため、おとなしい子だと思っていたが、いい意味で(いい意味で!)裏切られた。口より手が出る、はっきり自分を持った子。おはようの挨拶は、お腹にげしっと一発である。これはかなり痛い。
A子;クラスは違ったが、部活が同じで、部室によく寄る私たちは仲良しになった。小説を書くのがうまい。ゲームの趣味が似ていて、よく話していた。
T先生;中学三年のときの塾の担任の先生で、私の理想そのものであり、今も敬愛してやまない数学の先生。「T先生」「先生」「あなた」といった書き方をされている。
一九九五年 六月四日
突然どうしてこのようなことを記そうと思ったのかは分からない。しかし、時々不安になるのである。私は何が怖いのであろう。
ふと思うことがある。私は綺麗なものが好きだ。心に残る一場面は、どうしてもいつでも見られるようにしたいと、写真にして手元に置く。お気に入りのものもだ。気に入ったものを集めるものが好きらしい。しかし集めて一体何になるのか。私はいつか死ぬ。それらのものが永久に私のものであることはありえないのだ。たとえ墓に入れても、私とともに死後の世界に持っていけるものではない。私の死後、他の者に渡っても、その者もいつか死ぬのだ。ものだけではない。私のした事というのが、もし、時代の流れに影響を及ぼすことであったとしたら、それは歴史となって残るだろう。そして、未来のあなたたちが、私が現在歴史を習っているように習うのだ。しかし、それだけである。結局残るものは「歴史」や「物質(これはいつか無くなる)」だけで、それを活かす者は次々に去るのだ。そういえば私は大切なことを忘れていた。あなたたちが生まれたように、時代も移り変わっていくのだったね。なんだか馬鹿らしくなってくる。私は何のために生まれてきたのだろう。そうは思うが、私はだからといってこれからの人生を棒に振ろうといっているのではない。まだ、私は高校二年生だ。もちろん自分なりに一生懸命に生きるつもりである。だからこれを書いているのだ。文字は残る。いつかこれを読んでくれる人がいるといい。そして、私が生きていたことを知ってほしいのだ。高二のくせに気が早いと思うかもしれないが、人間いつ死ぬか分からない。不思議なものだ。幼いときは、自分が死ぬなんて考えもしなかった。ところが、死の存在を知り、怯え。まず、身近な人、親などが死んだら、と考えるようになった。しかし、やはり死の対象は自分ではなかった。高校生になって、車と接触する体験をした。足を痛めた程度だったが、初めて死の対象が自分に移った。人間はいつ死ぬか分からない。それを実感した。恐ろしいことだ。今、考え、これを書いている自分が存在しなくなるなんて。死の世界はどんなものなのか。できれば楽に死にたいとまで思うようになった。狂っていると思うだろうか? その通りかもしれない。しかし、考えずにはいられないのだ。
あなたは輪廻を信じますか? 今、日本に生まれて生きている私が、異なる国で生まれ、異なる両親と暮らす……。もしかすると、犬や猫になっているかもしれない。どちらにしても信じられないことだ。もしかしたら、これを読んでいるあなたになっているかもしれない。でも、そうすると、この輪廻は繰り返し繰り返し……。永久に続くのだろうか? 地球が滅んだら終わる。しかし、地球の終わりは宇宙規模で見るとなんともちっぽけなものでしかない。宇宙が消えるとき、それが全ての終わりであるのだが、起こり得るかも分からないことだ。まあ、とりあえず、私は今を生きるとしよう。そして、この文を残そう。
(死の話題ばかりで申し訳ない。今、現代文の授業で『城の崎にて』をやっているのだ)
一九九五年 六月五日
日記はつけるとよい。後で読み返すと面白い。馬鹿らしいと思うときもあるが、きっとこのときは、一生懸命だったんだろうなと思うとほほえましい。半年間好きな人のことをつけている日記があった。本当に好きだったんだなと感じた。今もその人は心の中にいるけれど、読んでも、懐かしいと思うだけで、当時と同じ思いを味わうことはできない。今は違う人が気になっているし。人の心はなんていい加減なんだろう。しかし、ときにそれは生きていくうえで、助けになることもある。でも、ずっと同じ思いでいたいとも思う。一生ものの恋をしてみたいもの。あなたには好きな人がいますか? 後悔しないように愛してください。
一九九五年 六月六日
人間は難しい。一人一人基準が違うから、どう接していいのか分からなくなるときが多い。できるだけ相手を傷つけないように、と思うと言いたいことがほとんど言えなくなってしまう。私は女だが、女子に接するのが一番苦手だ。なぜか目立つらしく、そのせいで勝手にレッテルをはられ、誤解される。それを剥がすのが難しい。一度仲良くなればずっと続くのだが、どうも一部の人に限られる。みんなに好かれるのは難しい。自分を隠すのはずるいことだとは思うけれど、そうするしかないのだろうか。でも、私は生きていくうえで、嘘はつきたくない。やはり、みんなに好かれるというのは無理なんだろうな。
一九九五年 六月八日
聴覚と視覚、失うとしたらどちらがいい? 私は耳で得る情報の方が多いような気がするので、どちらかという究極の選択だったら、聴覚を残したい。しかし、視覚をなくした場合を考えて、困ることがなんて多いのだろう。読書ができない。漫画も読めない。楽譜も読めない。大好きな空が見られない。花の鮮やかな色もだ。ああ、目の不自由な人はなんて大変な生活を強いられているのだろう。でも、やはり音楽のない生活のほうが私には耐えられない気がするのだが、あなたはどうですか?
一九九五年 六月八日
私は花が好きだ。香で言えば、「薔薇」「木蓮」「月下美人」「ゆり」。名前は「桔梗」と言う響きが好きだ。色は「露草」や「桜」がいい。総合的に好きなのは「向日葵(花が大きくて、背が高いほどいい)」「藤(色は淡く、香がいいものがいい)」「薔薇(色は薄いピンク。香はきついぐらいがいい)」「たんぽぽ(明るい色ほどよい)」「つつじ(色は淡いほうがよい)」。全く自然の美は美しい。綺麗な花を見ると、欲しくなるが、摘むのは気が引ける。実は動かないだけで、意志があるのでは?などと思うこともある。結局写真に撮るのだが、香が撮れない。どうあがいても、何か欠ける。毎日通って、花の姿と香を覚えるしかない。が、花はいつか枯れる。残念だ。美しいものは美しいままでいて欲しいと思う私は、おろかな人間である。自然の摂理に反している考えだからだ。しかし、考えてみる。枯れない花を見て、私は美しいと感じただろうか?花が自分の季節を精一杯生きているのが分かるからこそ、私たちは花を美しいと感じるのかもしれない。
一九九五年 六月十日
善い人になりたいと思う。偽善者ではなく、根から善い人になりたいと。今の私は、分からない。少なくとも、人によく思われたいから善行をしているわけではない。ただ、何かをするとき、心の中で、もう一人の自分が言ってくる。「こうするべきだ」「それはするな」と。「面倒くさい」という自分と、前者が戦って、どっちが勝つかで行動が変わる。今のところ、善行が多い、かな?でも、何か違うと思う。迷うことなく、意識せず、善いことができたらいいと思う。そんな人って凄いと思う。
一九九五年 六月十三日
理想は高いほうだ。私の中では、その基準が決まっていて、なるべくそれに近づけようとする意思が働く。だから善悪も、その理想によって分けられているし、最善の方法を言うことができる。これがまた厄介で、私の口はそれをもっともらしく話してくれるので困ってしまう。当然聞いている人は、偉そうに、と言う。別に偉くはないのに。当然のことを言っているだけなのに。でも、その、当然ができないのが人間で、私もその一人だ。分かっているが、人に言われるとむかつくのも人間だ。しかし、お互い言い合って、切磋琢磨していくのが、もっとも利口だと思うのだけれど。人間うまくいかないものです。
一九九五年 六月十三日
年上とはなんとも嫌なものだ。
今、私には一つ年下の高校一年の弟がいるのだが、なんとも難しい。でも曲がった人間にはなってほしくないので、がんばってさとす。弱みは見せてはならない。できるだけ冷静に。逆なでないように。がポイントだ。弟、妹の諸君。なんだかんだいっても君たちはラッキーなのだ! いつも考えている兄や姉にときには感謝してあげてね。そして、何よりも、自分を生み、育ててくれた両親に感謝すること!
一九九五年 六月二十七日
私の祖父は寺の住職なのだが、祖父の家へ行くとよくお経を読まされる。お経を読むのに集中すると、それ以外のことがふっと消えて、心が落ち着くので、今では気に入っている。一度読んでみては?
一九九五年 六月三十日
私はとても弟にいらついている。ピアノのコンクールまで後1ヶ月しかないのだから、練習量が増えるのは当然だ。なのに、うるさいだの、ヘタイだの言うし、ファミコンするし、口笛ふくし、本当にむかつく。終いには外で弾けなどという。コンクールは今、私の中で一番重要といってもよい。このコンクールの結果で、進路を変えようと思っているからだ。だから、遊んでいる暇はないのだ。曲だって先生が選んだのに、その曲うるさいだなんて、本当に頭にくる。友達なんか、5時間練習してるってのに、たったの一時間でなんであんなに言われなくてはならないの?! もう、腹立つ!
(結局コンクールは予選落ち。高校のコンクールも、友達が金賞をとったのに、私は銀賞しかとれなかった。力の差を思い知らされた。そして、私は音楽教師になる夢を諦めることになる)
テスト前日だ。
一九九五年 七月一日
<嬉しきもの>
久々の便り
雨が続いた後のお日様
朝日に照らされ、光る露
青空に向かって精一杯伸びる稲
街中の小さな親切
笑顔でのお礼
友達のちょっとした気配り
何年ぶりかの偶然の再会
新しい出会い
<心騒ぐもの>
稲光と共に降り出す雨
生暖かい風
数秒差で変わった信号
静かな授業中に響く白墨の音
真夜中の時計の音
想い人の視線の行方
突然舞う花びら
道草
<心安らぐもの>
昼間のコーヒーの香
小学生のたわいのない会話
教室のざわめき
ゆっくり流れる雲
午後の転寝
ゆれるカーテン
飛行機雲
ということで、枕草子の模倣といったところか。毎日は不思議に満ちていて面白い。<嬉しきもの>は思わず微笑んでしまうようなちょっとしたhappiness。<心騒ぐもの>はどきどき、わくわく、普段より少し心が乱れること。イライラや不安も。<心安らぐもの>は退屈。平和なひと時。
もう、テストなんてどうでもいいほど世界はすばらしい(テストが悪かったらしい)。
一九九五年 七月二日
私は中学を転校したので、母校が二つあるのだが、一、二年を過ごした中学で最もお世話になった先生に偶然遇った。私は学校に行っている途中で、先生は信号待ちをしていた。無愛想な先生だったが、久々に会った先生は嬉しそうに微笑んでいた。これは凄い偶然だと思う。一分遅かったら、そこに先生はいなかったわけで。本当に偶然って凄い。こんな奇跡は何度も起こって欲しいものだ。
一条ゆかりの『砂の城』を読んだ。漫画で衝撃を受けたのは『BNANA FISH』に続く二回目。幸せは続かない、という内容だが、考えてみれば、人間とは本当に悲しい生き物だといえる。得られるかさえ分からない幸福を、他人まで踏みにじって、狂ったように追い求める。万が一それが手に入ったとしても、永遠であるはずがないのに。そう、先に述べたように、この世に永遠なものなどない。苦労して手に入れても、いつかは消えるのだ。なんだか虚しくなる。鴨長明の思うことも分かるような気がする。
一九九五年 七月二日
生まれ変わるなら、男性になりたい。うんと強くなって、命いっぱい勉強して、ピアノも練習して、性格は優しくて頼りになる人になりたい。そして、いつか運命の人に出会って、そばで守ってあげるんだなんて思ったりする。
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