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小説をおいております。 『いざ、出陣 恋戦』シリーズの二次創作、『神の盾レギオン 獅子の伝説』の二次創作、そして、高校生の時に書いた読まれることを前提にした日記と、オリジナル小説を二編のみおいております。
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プロフィール
HN:
天音 花香
性別:
女性
職業:
主婦業メイン
趣味:
いろいろ・・・
自己紹介:
小学生のときに、テレビの影響で、小説を書き始めました。高校の時に文芸部、新聞部で文芸活動をしました(主に、詩ですが)。大学時代、働いていた時期は小説を書く暇がなく、結婚後落ち着いてから活動を再開。

好きな小説家は、小野 不由美先生、恩田陸先生、加納朋子先生、乙一先生、浅田次郎先生、雪乃 紗衣先生、冴木忍先生、深沢美潮先生、前田珠子先生、市川拓司先生他。

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こんばんは、天音です。

今日は「緋い髪の女戦士」7をお送りいたします。

この小説は、六道 慧さんの「神の盾レギオン 獅子の伝説」の二次創作です。
(かなり前の作品なので、知らない方はすみませんです)

少しはこちらも進めたいと思い、書いてみました。
短くてすみません。


拍手、とても嬉しいです。コメントいただければさらに喜びます。
それでは、お楽しみいただければ幸いです。

登場人物紹介はこちらから

最初から読む方はこちらから

ココから小説



 「なぜです? なぜこんなことを?」
 マーニは振り返らずに訊ねた。気配でソリスだと分っていた。
「まだ忘れてはいないんだな、ラミレスのおじさんのこと」
「ソリスさまだってリアファーナ王女のことを忘れてはいないでしょう!?」
 マーニは言葉をはいて、振り返った。すると静かな目をしたソリスがいた。
「!?」
「……ああ、忘れちゃいないさ」
 悲しみを含んだソリスの声に、マーニは黙った。
「だけど」
 ソリスはじっとマーニの目を見つめた。
「リアファーナは死んだんだ。それはどうしようもない事実で、受け入れるしかない」
「……どういう意味です? 私がローエングリン公爵の死を受け入れていないと? そんなことはありません。私……だって……、わた……しだっ……」
 ラミレスの最期が思い出され、マーニは声をつまらせた。
「わかっ……て、いる、から……だから、悲し……」
 マーニの目から涙が零れる。
「っ……」
 こんな姿をソリスに見られたくないと思ってもどうしようもなかった。
 悲しかった。悲しくて悲しくて。でも、悲しんでいる暇もないほどいろいろなことが起こりすぎて。いや、あえて向き合っていなかったのかもしれない。
「ああ。悲しんでいいんだ。自分の感情をときには優先していいんだ。泣くだけ泣いてしまえ」
 ソリスはそう言って、自分の短衣にマーニの頭を押し付けた。
「っ……」
 マーニは嗚咽をもらして泣いた。ラミレスのために、そして、自分のために泣いた。
 どれくらいの時間が経っただろう。ソリスの短衣を涙でぐしゃぐしゃにして、マーニは顔を上げた。
「……申し訳ございません……」
 恥ずかしくて、ソリスの目をまともに見られなかった。
「ん」
 でも、なんだかすっきりしている自分に驚いた。
「……ソリスさまも、泣いたんですか?」
「……ああ。泣いた。でも、俺は男だから、そんな姿を人にさらすわけにはいかねえからな。っと、えっと、いや、別に、マーニが女だということを侮辱してるわけじゃねえぜ? まあ、その、そっか、男だからじゃなくて、俺が嫌だからって言えばよかったのか」
「そうですね」
「難しいな」
 一人で泣いているソリスの姿を想像して、マーニは悲しくなった。ソリスはマーニのしらないところで、一人で悲しみを乗り越えたのだ。
「しっかし、死んだ人間を超えるってのは難しいんだろうな……。ラミレスのおじさん、めちゃくちゃ強かったしな……」
「……? 超えたいんですか?」
「あ? まあな。そりゃ、強くなりてえよな。誰にも負けないくらい。……エル・カルーの女は強い男が好きだしな……」
「? なんですか?」
 後ろの方が聞き取れず、マーニは訊ねる。
「いや、まあ、こっちの話だ」
 ソリスはそっぽ向いてそう答えた。
「?」
「とにかく、俺もマーニより強いってことはわかっただろ?」
「まあ、そうですね」
「ラミレスのおじさんのように」
「ローエングリン公爵は汗すらかいてませんでしたが?」
「う、ま、そーだな」
 痛いところをつかれて、ソリスは言葉をつまらせる。
「でも、私よりも強いことは分りました。私ももっと鍛錬しなければならないと思いました」
「そうくるか」
「は?」
「もういい」
「はあ?」
「それはそうと、だ」
「はい」
 ソリスはマーニの目をまっすぐ見た。
「マーニ、お前、最近平和呆けしすぎじゃねえか?」
 いつも平和呆けのソリスに言われたくないとは思ったが、マーニはその言葉に少しぎくりとした。
「ミレトスの相手は俺の相手より楽だろうな」
「まあ、そう、ですね」
「……ミレトスの剣技の稽古のとき、俺に気づかなかったな」
「……はい」
「確かに俺は気配を消していたが、らしくないんじゃねえか?」
「……はい……」
「俺が敵だったらミレトスは死んでいる」
「!」
 マーニは息が止まりそうになった。
「ま、少しは気合が入ったろ?」
 ソリスの行動はいつも理解できないとマーニは思う。だが、最近は思う。ソリスはただの馬鹿ではない、と。
「しばらくアルベルトを仮の従者と認めてやることにした。あいつ、俺とお前の手合わせを見てなんて言ったと思う?」
「……さあ?」
 ソリスはにやりと口の端を上げた。
「俺と同じことを言いやがった」
「あ……」
「しばらくはアルベルトで我慢してやる。マーニ、ミレトスの従者である限り、お前がミレトスを守るんだ」
「は」
 マーニは気持ちを引き締め、頷いた。
「なんか、柄にもないことばかり言ったから疲れちまった」
 ソリスはそう言って大きなあくびをした。
「娼館にでも行くかな」
「……」
 疲れて娼館に行くというのもどうなのだろうとマーニはため息をつく。でも、まあ、ソリスらしいといえばソリスらしい。
「あまりフランドル少将を困らせては可哀相ですよ、ソリスさま」
「へいへい」
 ソリスの生返事にマーニは苦笑する。でも、まあ。
「今日は、その……ありがとうございました」
 マーニの言葉にソリスは悪戯っ子のように笑った。
「俺に借りができたな、マーニ。いつか返してもらおっと。
まあ、マーニが号泣したことは誰にも言わないでいてやるから安心するんだな」
 ソリスの言葉にマーニは赤面する。
「か、借りは返しますが、今日のことは忘れてください!」
「やーだね」
 楽しそうに言ってソリスは歩き出し、そして、ふと足を止めて振り返った。
「何か?」 
「マーニ。ミレトスは俺や姉上の弟だ。それを忘れるな」
 そう言ったソリスの目は鋭い光を帯びていた。
「じゃあな」
「はあ」
 マーニはソリスの言葉を反芻する。
 ソリスやレイミアの弟……。いやな予感しかしないのはきっと気のせいではない。
 


 ここまで読んでくださりありがとうございました。
 まだまだ続くと思われます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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 次は短編になるかどちらか分りませんが、できれば近いうちに!                                 天音花香

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こんばんは、お久しぶりの天音です。


今日は以前書いていた「日本の四季について」をこちらにあげようと思います。

これを書いたのは二年ほど前になりますが、
最近は四季が本当に狂ってきている感じがしますね。
梅雨もなんだか、しとしとと長雨という感じではなく、スコールかと思うような雨が降っていて、なんだか心配になります。
各地で大きな被害もでているようで、胸が痛みます。
なんだか、気候が温帯じゃなくなってきているような気がして怖いですね。
これからどうなるんでしょうね……。
そう思いまして、こちらを載せようと思いました。

四季の変化に富んだ日本。守っていかなければなりませんね。



ココからエッセイ


   日本の四季について思うこと


 日本にははっきりとした四季があり、それはとても美しく、また私にとっては、その季節による印象が決まっていて、毎年毎年心がその色に染まります。

 春。春の風。お日様のかけらが溶け込んでいるような、そして、花の香なのか、どことなく甘い香のする優しい風ですね。眠気を誘う不思議な風。高校生の頃、こんな風が吹く5限はうとうとしていましたっけ。冬の灰色の風(私のイメージなのですが)とは違った心地よい風は、でも私の幼い記憶を呼び起こして、少しだけ寂しい気持ちにもなります。春は別れと出会いの季節ですものね。私にとっての春は別れです。小学校卒業後、私は父の転勤で引っ越すことになりました。だから卒業式には大泣きをして、友人と別れた帰り道、春風を感じながら、寂しい、寂しいと心が泣いていました。そんな寂しさがぼんやり蘇るのです。また中学生の時、部の先輩が卒業するのを見送ったときにも、春風が吹いていて、桜の花びらと砂埃の舞う、先輩たちのいなくなった正門は、本当に寂しく見えました。春風はそのような寂しさを誘うものですが、空は好きです。一年で、一番優しい色のような気がします。冬の分厚い灰色の雲のカーテンがレースの美しいカーテンに変わって……。春の太陽はレース越しに見え隠れ。その光はやさしく生命あるものを眠りから起こしてくれます。体に自然とエネルギーが満ちていくような感覚が好きです。

 夏の空は最も薄い青の気がします。そして、低く感じます。入道雲がたくさん立ちこめる空。龍の巣ができる時期(ラピュタ)ですね。暑さの中で時折感じる風は、どの季節の風より涼しく感じます。夏は小学生のときの夏休みが思い出されます。虫取り網を持って駆け回った遠い日々。今では暑いとしか感じなくて、そのようなエネルギーはないですが、暑さを感じないほど遊びまわりましたね。毎日が新鮮でした。そして、たくさんの可能性と時間があった気がします。八月末に近づくと宿題に追われていましたが……。自由研究に一番苦戦したのを覚えています。夏はそのように、私にとって昔の自分に出会う季節です。歩いていると、いろんな歳の私が、歩いている自分の中を通り抜けていく感じがするんです。その私に「あっ」って今の声をかけそうになる……。昔の私、一生懸命がんばってたかな? 今もがんばってる、よね? と……。不思議な感覚。ああ、夏の薄い空に、クリームのような雲に漂い、酔う、そして、夏の夕方の蒼い時間に溶けていくよ。ほら、自分の感覚がなくなっていきそう……。夏はそのように暑さで少々自分を見失う季節です。

 秋の空は高く最も青く澄んで見えます。雲も高く見える気がします。乙女心と秋の空というように、雲ひとつない空は実はあまり見られませんが、快晴のときの青は紅葉との対比が見事です。秋には果実も実り、紅葉で様々な色に葉が染まりますが、初夏の新緑の青々していた葉とはまた違いますね。鮮やかで、でも統一感のないもの。同じ鮮やかでも、春の花より寂しいのは、冬、枯れ散る前の美しい最後の輝きだからでしょうか。だから夕日を見たときのように切なくなるのだろうと思います。夕日も太陽が沈む前の輝きだから……。その夕日が最も綺麗な時期でもありますね。紅く滲んだ空は見ているだけで心が震えます。ただ、日が落ちるのが早いので、夕日を十分楽しむ時間が少ないのが残念です。その代わり、金星や月が短時間で輝きを増していくのが印象的です。日の沈んだ直後ぐらいの、夜には満たない時間に見える金星が一番好きです。ふと気付くと、風がひんやりしていて、冬の訪れを予感させます。夏に感じた涼しさとは違った涼しさを秋風には感じます。そんな風に混じる甘い香りは金木犀ですね。春の沈丁花とはまた違った香り。離れていても漂うこの香りがすると秋を感じます。

 冬は灰色。私の中ではこの一言。曇天。雪。でも、人工の光が最も輝きますね。街灯が暖かそうに見えます。クリスマス前はイルミネーションが綺麗ですね。その時期だけ、灰色のイメージが払拭されますが、恋人たちのシーズンというか、一人のときはそれが逆に寂しく感じたものでした。冬風は冷たく、心までも灰色に染められそうで、怖くなります。だから、温かいものは逆に温かく感じますね。肉まんとか、おでんとか、こたつとか……。小春日和の日も。冬の太陽は待ち焦がれるものの一つ。冷え切った体に、じんわりと染み入る陽の光。心までほわっと暖かくなる。小春日和の太陽はそんな太陽。冬の夜空は好きです。冷たい夜風の中、空を見上げると、星たちが神話を描いています。空気が澄んでいるので、星が輝いて見えるのですね。星座を見つけると、星に名前をつけた人は想像力が本当に豊かだったんだろうなあ、とつくづく思います。

 最近は、四季が狂ってしまったようで、残念です。四季があるこの国に生まれたことは私にとって幸せなことなんだと思います。ですので、いつまでも四季のある国であったらいいな、と思います。そのためには地球温暖化が進まないように、協力しなければ、と思うこのごろでした。



以上です。


 いろいろ書きたいものはあるのですが、長編を書くのが最近できない感じです。
書きながら、以前書いたのもこちらに移しながら……というながらながら作業が続きそうですが、読んでいただけたら幸いです。


 ときどき拍手いただいております。
 更新していないのにありがたいです。
 励みになります。
 一言あればもっと喜びます(笑


 ここまで読んでくださりありがとうございました。

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 それではまた必ず!               天音花香

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こんばんは、天音です。

前回書いたように、「未来の誰かに贈る日記」を公開していこうと思います。



ココから


前書き

私は高校生のとき、自分の生きた証を残したいと思い、読まれることを前提とした日記「未来の誰かに贈る日記」というものを書いていた。その一部を本家サイトに公開していたのだが、意図的に、受験の悩みと恋愛の悩みを公開しなかった。恥ずかしいという思いがあったからだ。しかし、「それが私でしょ?」と当時の私が笑うので、改めて全てを公開しようと思う。
当時悩んだことは無駄ではないと思うからだ。読んでくださった方が少しでも何か感じてくだされば幸いである。



<よく登場する人物>

O君;高校一年のときに同じクラスで、新入生のときのイベントのときに偶然隣の席になり、背が180センチ以上はあるだろう、彼に「中学でバスケか何かやってたの?」と聞いて、無視をされ、感じ悪いと思っていた。口数が少なく、女子が苦手のよう。ただ、ある日、音楽の時間に先生が花瓶を割ったのを片付けているときに、黙々と手伝っているのを見て、印象が変わった。文化祭の時に廊下で偶然会い、無理やり展示室に連れ込んだことが。二年に上がり、クラスが変わって自分がO君のことが気になっていることに気づく。この日記ではO君、もしくは「あの人」と書かれている。

K子;中学のときに塾が同じで、高校に入り、同じ文芸部に入ったことで仲良くなり、登下校を一緒にしている人物。理系でとても頭がよく、冷静な意見をくれる。当時一番影響を受けた。

N子;中学三年のときに同じクラスで友達になった。高校二年から理系で、東大、京大クラスの6組になり、O君と同じクラスのため、私によくO君のことを話してくれた。

S子;高校二年のときに同じクラスになり、仲良くなった。人見知りがあり、容姿がすごく女の子っぽいため、おとなしい子だと思っていたが、いい意味で(いい意味で!)裏切られた。口より手が出る、はっきり自分を持った子。おはようの挨拶は、お腹にげしっと一発である。これはかなり痛い。

A子;クラスは違ったが、部活が同じで、部室によく寄る私たちは仲良しになった。小説を書くのがうまい。ゲームの趣味が似ていて、よく話していた。

T先生;中学三年のときの塾の担任の先生で、私の理想そのものであり、今も敬愛してやまない数学の先生。「T先生」「先生」「あなた」といった書き方をされている。




 一九九五年 六月四日


 突然どうしてこのようなことを記そうと思ったのかは分からない。しかし、時々不安になるのである。私は何が怖いのであろう。
 ふと思うことがある。私は綺麗なものが好きだ。心に残る一場面は、どうしてもいつでも見られるようにしたいと、写真にして手元に置く。お気に入りのものもだ。気に入ったものを集めるものが好きらしい。しかし集めて一体何になるのか。私はいつか死ぬ。それらのものが永久に私のものであることはありえないのだ。たとえ墓に入れても、私とともに死後の世界に持っていけるものではない。私の死後、他の者に渡っても、その者もいつか死ぬのだ。ものだけではない。私のした事というのが、もし、時代の流れに影響を及ぼすことであったとしたら、それは歴史となって残るだろう。そして、未来のあなたたちが、私が現在歴史を習っているように習うのだ。しかし、それだけである。結局残るものは「歴史」や「物質(これはいつか無くなる)」だけで、それを活かす者は次々に去るのだ。そういえば私は大切なことを忘れていた。あなたたちが生まれたように、時代も移り変わっていくのだったね。なんだか馬鹿らしくなってくる。私は何のために生まれてきたのだろう。そうは思うが、私はだからといってこれからの人生を棒に振ろうといっているのではない。まだ、私は高校二年生だ。もちろん自分なりに一生懸命に生きるつもりである。だからこれを書いているのだ。文字は残る。いつかこれを読んでくれる人がいるといい。そして、私が生きていたことを知ってほしいのだ。高二のくせに気が早いと思うかもしれないが、人間いつ死ぬか分からない。不思議なものだ。幼いときは、自分が死ぬなんて考えもしなかった。ところが、死の存在を知り、怯え。まず、身近な人、親などが死んだら、と考えるようになった。しかし、やはり死の対象は自分ではなかった。高校生になって、車と接触する体験をした。足を痛めた程度だったが、初めて死の対象が自分に移った。人間はいつ死ぬか分からない。それを実感した。恐ろしいことだ。今、考え、これを書いている自分が存在しなくなるなんて。死の世界はどんなものなのか。できれば楽に死にたいとまで思うようになった。狂っていると思うだろうか? その通りかもしれない。しかし、考えずにはいられないのだ。
 あなたは輪廻を信じますか? 今、日本に生まれて生きている私が、異なる国で生まれ、異なる両親と暮らす……。もしかすると、犬や猫になっているかもしれない。どちらにしても信じられないことだ。もしかしたら、これを読んでいるあなたになっているかもしれない。でも、そうすると、この輪廻は繰り返し繰り返し……。永久に続くのだろうか? 地球が滅んだら終わる。しかし、地球の終わりは宇宙規模で見るとなんともちっぽけなものでしかない。宇宙が消えるとき、それが全ての終わりであるのだが、起こり得るかも分からないことだ。まあ、とりあえず、私は今を生きるとしよう。そして、この文を残そう。
(死の話題ばかりで申し訳ない。今、現代文の授業で『城の崎にて』をやっているのだ)

 


 一九九五年 六月五日


 日記はつけるとよい。後で読み返すと面白い。馬鹿らしいと思うときもあるが、きっとこのときは、一生懸命だったんだろうなと思うとほほえましい。半年間好きな人のことをつけている日記があった。本当に好きだったんだなと感じた。今もその人は心の中にいるけれど、読んでも、懐かしいと思うだけで、当時と同じ思いを味わうことはできない。今は違う人が気になっているし。人の心はなんていい加減なんだろう。しかし、ときにそれは生きていくうえで、助けになることもある。でも、ずっと同じ思いでいたいとも思う。一生ものの恋をしてみたいもの。あなたには好きな人がいますか? 後悔しないように愛してください。

 

 一九九五年 六月六日


 人間は難しい。一人一人基準が違うから、どう接していいのか分からなくなるときが多い。できるだけ相手を傷つけないように、と思うと言いたいことがほとんど言えなくなってしまう。私は女だが、女子に接するのが一番苦手だ。なぜか目立つらしく、そのせいで勝手にレッテルをはられ、誤解される。それを剥がすのが難しい。一度仲良くなればずっと続くのだが、どうも一部の人に限られる。みんなに好かれるのは難しい。自分を隠すのはずるいことだとは思うけれど、そうするしかないのだろうか。でも、私は生きていくうえで、嘘はつきたくない。やはり、みんなに好かれるというのは無理なんだろうな。


  
 一九九五年 六月八日


 聴覚と視覚、失うとしたらどちらがいい? 私は耳で得る情報の方が多いような気がするので、どちらかという究極の選択だったら、聴覚を残したい。しかし、視覚をなくした場合を考えて、困ることがなんて多いのだろう。読書ができない。漫画も読めない。楽譜も読めない。大好きな空が見られない。花の鮮やかな色もだ。ああ、目の不自由な人はなんて大変な生活を強いられているのだろう。でも、やはり音楽のない生活のほうが私には耐えられない気がするのだが、あなたはどうですか?



 一九九五年 六月八日


 私は花が好きだ。香で言えば、「薔薇」「木蓮」「月下美人」「ゆり」。名前は「桔梗」と言う響きが好きだ。色は「露草」や「桜」がいい。総合的に好きなのは「向日葵(花が大きくて、背が高いほどいい)」「藤(色は淡く、香がいいものがいい)」「薔薇(色は薄いピンク。香はきついぐらいがいい)」「たんぽぽ(明るい色ほどよい)」「つつじ(色は淡いほうがよい)」。全く自然の美は美しい。綺麗な花を見ると、欲しくなるが、摘むのは気が引ける。実は動かないだけで、意志があるのでは?などと思うこともある。結局写真に撮るのだが、香が撮れない。どうあがいても、何か欠ける。毎日通って、花の姿と香を覚えるしかない。が、花はいつか枯れる。残念だ。美しいものは美しいままでいて欲しいと思う私は、おろかな人間である。自然の摂理に反している考えだからだ。しかし、考えてみる。枯れない花を見て、私は美しいと感じただろうか?花が自分の季節を精一杯生きているのが分かるからこそ、私たちは花を美しいと感じるのかもしれない。



 一九九五年 六月十日


 善い人になりたいと思う。偽善者ではなく、根から善い人になりたいと。今の私は、分からない。少なくとも、人によく思われたいから善行をしているわけではない。ただ、何かをするとき、心の中で、もう一人の自分が言ってくる。「こうするべきだ」「それはするな」と。「面倒くさい」という自分と、前者が戦って、どっちが勝つかで行動が変わる。今のところ、善行が多い、かな?でも、何か違うと思う。迷うことなく、意識せず、善いことができたらいいと思う。そんな人って凄いと思う。

 

 一九九五年 六月十三日


 理想は高いほうだ。私の中では、その基準が決まっていて、なるべくそれに近づけようとする意思が働く。だから善悪も、その理想によって分けられているし、最善の方法を言うことができる。これがまた厄介で、私の口はそれをもっともらしく話してくれるので困ってしまう。当然聞いている人は、偉そうに、と言う。別に偉くはないのに。当然のことを言っているだけなのに。でも、その、当然ができないのが人間で、私もその一人だ。分かっているが、人に言われるとむかつくのも人間だ。しかし、お互い言い合って、切磋琢磨していくのが、もっとも利口だと思うのだけれど。人間うまくいかないものです。

 

 一九九五年 六月十三日


 年上とはなんとも嫌なものだ。
 今、私には一つ年下の高校一年の弟がいるのだが、なんとも難しい。でも曲がった人間にはなってほしくないので、がんばってさとす。弱みは見せてはならない。できるだけ冷静に。逆なでないように。がポイントだ。弟、妹の諸君。なんだかんだいっても君たちはラッキーなのだ! いつも考えている兄や姉にときには感謝してあげてね。そして、何よりも、自分を生み、育ててくれた両親に感謝すること!



 一九九五年 六月二十七日


 私の祖父は寺の住職なのだが、祖父の家へ行くとよくお経を読まされる。お経を読むのに集中すると、それ以外のことがふっと消えて、心が落ち着くので、今では気に入っている。一度読んでみては?

 

 一九九五年 六月三十日


 私はとても弟にいらついている。ピアノのコンクールまで後1ヶ月しかないのだから、練習量が増えるのは当然だ。なのに、うるさいだの、ヘタイだの言うし、ファミコンするし、口笛ふくし、本当にむかつく。終いには外で弾けなどという。コンクールは今、私の中で一番重要といってもよい。このコンクールの結果で、進路を変えようと思っているからだ。だから、遊んでいる暇はないのだ。曲だって先生が選んだのに、その曲うるさいだなんて、本当に頭にくる。友達なんか、5時間練習してるってのに、たったの一時間でなんであんなに言われなくてはならないの?! もう、腹立つ!
(結局コンクールは予選落ち。高校のコンクールも、友達が金賞をとったのに、私は銀賞しかとれなかった。力の差を思い知らされた。そして、私は音楽教師になる夢を諦めることになる)

 テスト前日だ。



 一九九五年 七月一日


<嬉しきもの>
久々の便り
雨が続いた後のお日様
朝日に照らされ、光る露
青空に向かって精一杯伸びる稲
街中の小さな親切
笑顔でのお礼
友達のちょっとした気配り
何年ぶりかの偶然の再会
新しい出会い

<心騒ぐもの>
稲光と共に降り出す雨
生暖かい風
数秒差で変わった信号
静かな授業中に響く白墨の音
真夜中の時計の音
想い人の視線の行方
突然舞う花びら
道草

<心安らぐもの>
昼間のコーヒーの香
小学生のたわいのない会話
教室のざわめき
ゆっくり流れる雲
午後の転寝
ゆれるカーテン
飛行機雲


 ということで、枕草子の模倣といったところか。毎日は不思議に満ちていて面白い。<嬉しきもの>は思わず微笑んでしまうようなちょっとしたhappiness。<心騒ぐもの>はどきどき、わくわく、普段より少し心が乱れること。イライラや不安も。<心安らぐもの>は退屈。平和なひと時。
 もう、テストなんてどうでもいいほど世界はすばらしい(テストが悪かったらしい)。



 一九九五年 七月二日


 私は中学を転校したので、母校が二つあるのだが、一、二年を過ごした中学で最もお世話になった先生に偶然遇った。私は学校に行っている途中で、先生は信号待ちをしていた。無愛想な先生だったが、久々に会った先生は嬉しそうに微笑んでいた。これは凄い偶然だと思う。一分遅かったら、そこに先生はいなかったわけで。本当に偶然って凄い。こんな奇跡は何度も起こって欲しいものだ。
 一条ゆかりの『砂の城』を読んだ。漫画で衝撃を受けたのは『BNANA FISH』に続く二回目。幸せは続かない、という内容だが、考えてみれば、人間とは本当に悲しい生き物だといえる。得られるかさえ分からない幸福を、他人まで踏みにじって、狂ったように追い求める。万が一それが手に入ったとしても、永遠であるはずがないのに。そう、先に述べたように、この世に永遠なものなどない。苦労して手に入れても、いつかは消えるのだ。なんだか虚しくなる。鴨長明の思うことも分かるような気がする。

 

 一九九五年 七月二日


 生まれ変わるなら、男性になりたい。うんと強くなって、命いっぱい勉強して、ピアノも練習して、性格は優しくて頼りになる人になりたい。そして、いつか運命の人に出会って、そばで守ってあげるんだなんて思ったりする。


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こんにちは。天音です。


暑い日が続いておりますね。
夏はやはり私にとっては何だか懐かしさを感じる時期です。

高校生の私は、物凄く物知らずで、ある意味ピュアで、そして熱いですね。
なんだか自分で言うのも変ですが……。


というわけで、前回の続きをお送りいたします。
大体、1年間の日記になりますね。
毎日書いているわけではなかったので、そこまで量はありませんが、
前回までより、恋愛の日記の占める割合が物凄いことになってあり、
かなり恥ずかしくもあるんですが、
我慢我慢。
これが私だったので仕方ないですね。
失笑される場面、多々ありますが、よろしくお願いいたします。



最初から読む



ココから日記



 一九九五年 八月二十九日


 今、かっこいいなあとかがんばってほしいなと思う人がいる。星稜の投手の山本省吾君。マイフレンド・フォーエバーに出ていたブラッド・レンフロ君。ユニバーシアードバスケで活躍していた、イギリスの五番、マーティンさん。みんなに共通していることは一生懸命だということ。それぞれ、目的は違うけれど、それに対する情熱はきっと同じ。とても羨ましくなる。私は何がしたいんだろう。



 一九九五年 九月二日


可愛い女子になりたい。
誰にも負けない強い子になりたい。
勉強ができるようになりたい。
とりえのある子になりたい。
善い人でありたい。
皆から好かれる子でありたい。
肝心なときに実力が出せる、しっかりした子になりたい。
自分に自信が持てるような人になりたい。
素直に自分が見せれるようになりたい。
夢中になれるものが欲しい。
 こんなに欲がある。自分からは何もしないのに、願うばかりだ。行動を起こさないと手に入る訳がないのに。でも、これは正直な私の心だ。背伸びして、何も欲しくないふりして、大人のふりして、強がり。本当は臆病なのに。らしくない。私はまだ子供なんだ。これから、だ。さあ、先は長い。素敵なレディーになるために頑張ろう。




 一九九五年 九月十七日


 今日は運動会があった。うちの学校の運動会は県でも有名で、盛大にやる。今日は恥ずかしさなど忘れて、一生懸命やった。応援して騒ぎまくった。すっごく楽しかった。結果はそんなによくなかったけれど、よくがんばれたと思うとすがすがしい気分になれた。練習のときはむちゃくちゃきつくて、何度もめげそうになったけれど、それまでのことがこの一日で終わってしまうのは物悲しく思う。明日も練習があるような気がするのに、心のどこかでは終わったってちゃんと分かっていて、それがなおさら寂しい。久々に熱中できたのにな。超のめりこんだ。輝いている人の中で、自分も輝いていられたらいいなと思った。運動会よ、ありがとう!!

<感動>
衝動的に湧き上がるものがある
何かいいたいのに
なんて表現していいかわからない
ただただ
広がるのは微笑みだけで
それでいて切なくて
胸が熱くなる
これを人は
感動と呼ぶのかもしれない



 一九九五年 十二月三十一日


寒空の下
湯に手を突っ込んで
雑巾を洗う

木々の間から
お日様までもが
こんにちわ

HAPPYな気分になる
小沢健二の歌を
口ずさみながら
きれいになった雑巾を
いつまでも洗い続ける

今日は忙しい大晦日だけど
なんてやさしい時間なんだろう

こんな平和な日々が
いつまでも続くといい


 上は祖父母の家で大掃除をしているときの心境。
 来年こそはすべてにおいてがんばりませう。




 一九九六年 一月十七日(祖父の命日)


 私には、口うるさくて、でも心優しい母と、おっとりしていて、でも怒ると恐い父と、お調子者で、姉を姉とも思っていない弟がいます。今日は体の調子がよくなくて、元気がなかったのですが、そんな時、力になってくれる友達がたくさんいます。私って幸せだなと思います。今日は阪神大震災から、丁度一年の日。その日、父は、母の祖父の命日のために偶然福岡の実家に帰ってきていて、単身赴任していた先の地震に遇わずにすみました。本当に幸運でした。たった一日で今までの幸せを奪われた人。命までも落としてしまった人。本当に可哀想で、気の毒で、なんていったらいいか分かりません。それと同時に、「幸せ」というものが、どんなに些細なことか、どんなに大切かを実感します。この幸せがずっと続くといい。私は生きていて本当に幸せだと思います。
 さてさて、今、読んでくれているあなたは、何歳ですか? 何をしている人ですか?
 今よりも、ずっとずっと科学は進歩していることでしょう。そんなに変わらない? でも、私にとっては、十年違えば随分変わると思うのです。自然はありますか? 地球は大丈夫でしょうか? 私の少し前の年代の人たちが、随分地球を汚してしまいました。私も毎日の生活の中で、知らない間に汚していることでしょう。ごめんなさい。でも、いろいろ対策を考えている途中なの。
 あなたは幸せですか? もし、今、辛いときであっても、決して諦めないでください。いいように考えてください。周りを見て、頼っていいと思います。きっと幸せになれます。もちろん幸せであるならそれは本当によいことです。続くといいね。
 一方的な会話ですね。あなたの答えが聞きたいのに。私はそのとき何歳なのかな? いつか会えるといいですね。




 一九九六年 一月十七日


 やまざき貴子の「っポイ!」という漫画を読んだことがありますか? とっても面白いです。人間はとってもおろかなことをしてきてる。でも、これをよんでいると、人間って良いなあと思う。きっと世の中には一生懸命生きている人がいるんだなって思う。もちろん、私も一生懸命生きているつもりです。あなたはどうですか?




 一九九六年 一月十八日


 病気のときは健康の有り難さがよく分かるものです。たいした病気ではないのに、吐き気や胃痛、頭痛だけで、心までもがどんより。大変な病気をしている人たちは本当に可哀想だなと思います。でも、病は気からと言いますし、滅入っていては駄目ですね。今日はゆっくり寝て、明日こそは「快調!」といえるようにしよう。テストも近いし。




 一九九六年 二月十九日


 大切な人に会いに行こうと思います。
 もう二年近く会っていないけれど、ずっと心の支えになってくれていた人です。言葉が出てくるでしょうか? また心と反対のことを言ってしまうのではないでしょうか。とても不安です。でも私は言わなければいけないのです。今までずっと言えなかった、「ありがとうございます」を。
 大切な人に会いに行こうと思います。
 これから先、その人を思い出せなくなっても、いつまでも心に残って支えになってくれるような……そんな言葉をもらいにいきます。




 一九九六年 三月十五日
 

 会いに行きました。わざわざバスに長時間乗ってです。でも、いませんでした。
 これで五回目です。運命の神様は、もう一生会わせてくれないのでしょうか。
 友達と手紙をおいてきました。
 でも、実際、習ったことがないけれど面白そうな先生とたくさん話すことができました。本当に面白い人でした。ジュースまでおごってくれて、いい方だなあ。
 さてさて、家に帰って私は電話がかかってくるのを待っていました。以前、訪ねて、置手紙をしたときも、電話がかかってきたのです。必ずかけてくる。私は確信を持っていました。
 案の定、八時二十分ごろ、電話の音。ドクドクと心臓が鳴り出します。ご飯食べているのになあ。
 母の声の感じで相手が先生だというのはすぐ分かりました。
 「元気にやってるか?」「ハイ」ハイばっかりしか言えない私。
 「今日はあんまりしゃべらんなー」「口に入ってますから」
 それも一理ある。でも、久々に聞くT先生の声がじーんとしみて……。あー、心臓バクバクいってるよ。息があがるよ。でもあなたはいつも現実へ話を持っていくんだ。
 「がんばっていますか?」「うーん、ぼちぼち」「なんだそりゃ」「得意なのは極端にいいのですが」「何の教科かね」「地学です」「前からそーだったか?」「理科は好きでしたから。でも英語がとても悪いんです」「英語がとれんと、大学受からんやろが」厳しい口調に変化した。「はい、分かってます」「私は高三の夏休み、一日十時間ぐらい英語しましたよ。それで受かりました。君もそれくらいしなさい」「……はい……」言葉が途切れそうになって、私はあわてて言葉を紡ぐ。
 「先生、辛くて苦しいときも闘志がわくような、そんな言葉をください」「闘志……ですか? そう、急に言われてもな……。君には目標があるんかね?」「はい」私は答えた。「目標があるのなら、そんな状態、弱気にはなっていないと思うんだがね。それは目標のつもりじゃないんか」
 その言葉に私は胸にザクっと何かが入ったような感じと息苦しさを覚えた。私には実は迷いがある。教師にはなりたい。私はピアノに挫折して、すぐ国語、と思ったけれど……。確かに国語は面白い、そう思える。でも、私は地学のほうが興味がある。それを自分は知っている。でも、私はあえてそれを心の奥に抑えこみ、なれる確立の高い国語にしたのだ。私は見透かされたような気がして、しばらく声が出せなかった。
 「そんな……。音楽から最近変えたから、ちょっとまだ迷いがあるだけで、『つもり』なんかじゃないです……」自信なさげな声が自然と出てしまった。「だったら目標に少しでも近付けるように努力するしかないいんじゃないかね」「……はい……」当たっている。私は何もしてない。先生の言葉が直接胸に響いて痛くてたまらない。一番こたえるね。どうして分かるんだろう。弱気な声なんか出したつもりないのにな。
 「君の言うような言葉にはならんかもしれんが、私がいつも言っている言葉があります。『原因のない結果はない』です」
 !! 心が悲鳴を上げる。分かってる。私は今、とてもサボっているんだ。その結果が出てるんだ。分かってる!
 「原因は誰にあるか分かりますか」「私、です……」かすれた声が出た。「そういうことです。今日はわざわざ来てくれたのにすまなかったね。高校受験の合格発表のときは行きますから、そのときは学校あるんかね?」「終業式です」「そんときに顔見せなさい」「はい。友達と一緒に」「まあ、がんばりなさい。来年の今頃は大学も決まってますね。君ならがんばれるね?」そう言われると頷くしかないじゃないですか。「はい」
 君の電話番号を見つけ出すの大変でしたよ、とぼやきながらも電話をかけてくれたT先生。あなたがそういうなら、私はがんばらなきゃいけなくなる。きっと夢を実現させてみせます。
 やっぱりあなたは凄い。たかが一本の電話。されど一本の電話。嬉しくもあり、でもこたえる電話でした。ありがとう。お礼は手紙でしかいえなかったけど、心から本当にありがとう、先生。私、きっとがんばるね。





 一九九六年 三月十七日


 やっと、やっと会えました。
 いつもより二十分も早く登校して……。会うのは二年ぶり。一年前に、姿だけは見たのだけれど。
 両腕を胸の前で組んで、ゆっくり歩いてくる姿を見るだけで、胸が震える。ああ、先生だ。
 「わざわざきてくれたのに、すみませんでしたね」
 笑いながら、まず一言。ちょびっと勉強の話をして。友達も話しに加わります。みんなで先生を囲んでのたわいのないおしゃべり。塾では輪に入れなかったのに、私、ちゃんと今日は入ってる。
 ああ、本当に懐かしい。隣にいると思うと、どうしていいか分からなくて、なるべく平静を保とうと、先生をできるだけ見ないようにして。でも、よくこちらを向くので、目が合っちゃうんだな、これが。嬉し、はずかし、いやはや。肩をポンと叩かれたときなんて、心臓が止まるかと思ったよ。
 ちっとも変わらない先生。相変わらず素敵だ。それはきっと自身にあふれているから。謙遜してるけど、でもにじみ出るんだ。それが、先生なら何でもできちゃうって気にさせる。だから近くにいると安心するんだね。
 今日は本当に会えてよかった。いつもより素直になれたし。最後はやっぱり、「がんばりなさいよ」
 受験のときもそうだった。この言葉を言われるとがんばるしかないんだよね。がんばるぞって思うんだよね。
 さっと手を上げて立ち去る先生。あー、本当に凄い人だよな。でもね、私、前よりずっとずっと気持ちの整理がついているみたい。先生は私の敬愛する人となってしまったようだ。それでよかったのかもしれない。きっと先生は、これからも私の心の支えとなってくれるでしょう。
 先生、大好きだよ。体に気をつけて、がんばってね。私もがんばるからさ。




 一九九六年 三月二十四日


 私は方向音痴です。友達の家から帰るとき、新しい道路ができていて……。でもそんなことちっとも知らなかった私は、なんだ、この道路は! 一本道だから間違うはずはないけど、この道路はなんだ! とあせりまくり……。六時半。もう辺りは真っ暗。雨も降ってきました。自分だけ異世界に置いてけぼりをくらった感じです。このまま帰れなかったらどうしよう! 私は泣きたくなってきました。でもでも、とにかくどうにかしなきゃ。
 私は……。来た道を引き返し、友達の家まで戻ります。(そのときも途中で迷ってしまった。なんせ、暗いから距離がわからないし、回りがよく見えないんだもん)なんとかたどりつき、「ごめん、帰り道がわかんない。なんか大きな見たこともない道路に出ちゃって」
 K子は一瞬驚いて、その後、「ああ、新しい道路、できたもんね。言ってなかった私も悪かった」と、丁寧に私の分かる道まで、雨の中、案内してくれたの! なんてやさしいんだろう!!! 風邪の治りかけで、きついのに! 私は、ただただ、「ごめんね。ありがとう」を繰り返すのみ。あー、本当に助かった。やさしいなあ。友達ってありがたいなあ。感動しちゃった。それにしても、私ってなんて方向音痴で、迷惑なやつなんだろう。すみません。




 一九九六年 四月三日


 最近いろんな夢を見る。それはそれは現実的なものから、非現実的なものまでと様々だけれど。T先生の夢を見てしまった。夢の中でも私はいじっぱりで、向こうが気づくまで声をかけない。気づいて声をかけられたときは本当に嬉しくて。中学生のとき、恋心を抱いていた、その気持ちが夢の中の私にはあった。それにしても、あきれてしまう。夢の中の先生は、本当に実物そのものって感じで、実際とちっとも変わらないんだ。自分の観察力にあきれてしまうよ。でも、今はそこまで燃えられた自分が羨ましい。私は、今、ちっとも燃えるものがないのだ。受験生なのに。なんか、自分がちっぽけ過ぎる存在のような気がしてくる。自分に自信が持てるようになりたいな。



 一九九六年 四月四日


 未来人と電話で話している夢を見た。なんて幼稚な夢なの!! でもそんなことができたら面白いよね。あなたとも話せるかもしれないなんてさ。




 一九九六年 四月二十六日


 今日、偶然国語の先生に図書室に行って本を片付けてきてくれと頼まれて、私はそれをしぶしぶ引き受けました。一度、部室に行って、帰りに寄ろうと思い、部室に行くと、偶然部室を出るときに、O君も部室を出てきたんです。どこ行くんだろうと思いながら、図書室へ行くと、N子に会いました。「図書委員やけん、今、図書室にO君おるよ」
 うそー! って感じ。本返すように言われなかったら、図書室にも行かなかったわけで……。凄い偶然だな!


偶然は
いつか奇跡になり
そして、それもまた
重なる毎に
もう決まっていたことなのだと
必然に変わる
度々の必然は
運命だったとしか思えなくなる      なーんてね。大安だ。




 一九九六年 五月二十三日


 私は四歳の頃からピアノを習っていますが、今は高三ということで、休んでいます。しばらく弾かないと随分指がなまるもので、全く弾けなくなっていて悲しくなります。なんだかピアノに拒絶された気分。さらに、自分の心がピアノから離れていっているようで悲しい。凄く凄く好きなのに、最近ほとんど弾いていないという負い目があるのかもしれない。しかし、私の考えは発展し、このまま一つずつ好きなものを失くしていくのではと思ってしまう。そう思うと、心がなんともいえない焦燥感に襲われる。とりあえず、ピアノを弾いてみよう。



 一九九六年 六月二十五日


 私の中にはきっともう一人の自分がいる。いや、間違いなくいる。
普段の私は、ぬけてて、幼くて、でも素直な人間だと思っている。それで、よく、人にからかわれたり、世話してもらったりしているわけだが、それはそれで楽しい。しかし、それはふいに現れる。私は冷淡で、自己中心的な自分を見つけるたびに悲しく、恐ろしくなる。誰だ、これは、と……。でもそれは間違いなく自分なのだ。凄い人に会ったときも、私は胸が疼くのを覚える。「凄いな」という尊敬や憧れはもちろんある。しかし、それと同時に、苦しさや妬みが私の心に生まれるのだ。私は自分でそれに気がついて、口で褒めながら、そうやって妬んでいる自分が嫌で、それを思うと後ろめたくて、胸が苦しくなる。性格美人になりたい。




 一九九六年 六月二十五日


 ピアノの発表会のビデオを見た。自分を客観的に見ることができたと思う。一番ショックだったのは、私の尊敬する人と私とでは、音の響きがまったく違うということだ。同じピアノを弾いているのに! 私より、高い音に聞こえる。なんであんな音色が出るんだろう。私はまだまだだな、と痛烈に感じた。練習して一歩でも近づきたい! それより、まず勉強だけど。




 一九九六年 六月二十六日


 私には醜い心がある。それは弟に対するものだ。
 私と弟は一歳違い。よく比べられる。そう、私は弟にコンプレックスを持っている。
 私が彼に敵うのはピアノ、それとかろうじて勉強ぐらいだろう。しかも、私は今、自分の限界を見たような気がして、自信を失くしている……。
 私の弟はわがままの一言に尽きる。ものすごく気を使わなければならない。私はいつもむかむかしている。でも、心の奥では弟を可愛いと思っている自分がいる。私が友達に弟の話を浴するのは、多分そのせいだと思う。
 その一方、私は第三者が現れると、弟を嫌いになる。いや、憎むまでいっているかもしれない。
 弟は外面がいい。うちではめちゃくちゃなのに対して、外では、うーんとうなりたくなるほどの変わりようだ。もちろん皆、よくだまされる。私はそれがむかつくのだ。早い話が、ひがみというものである。しかし、いつも弟のせいで苦労している私にとって、これ以上屈辱的なことはない。弟には、「自分は好かれている」という自信から来る、傲慢さがある。でも、外ではそれを微塵にも出さない。彼は自分自身気づかずにすべてを計算しきって行動している。これは過言ではない。なんて要領のいいやつなんだろう。しかし、彼は深い友達がいないと見える。浅く広くが弟の友達のようだ。これは気の毒だ。今、最も弟を理解しているのは彼女であろう。しかし、同性にいないというのは後々寂しいものだと私は思う。
 このように、私はものすごく気になる存在が身近にいる。もし、弟がこの世から消えたら……。私はものすごく悲しむだろう。今、考えてみるだけでも泣きたくなるほどだ。だが、ほっとする自分がいるのではないか……? と思うと怖くなる。私はなんて嫌なやつなんだろう。

(現在は弟は大人になり、しっかりしています。わがままではありますが) 



 一九九六年 七月十六日


 私は中三から高一まで、塾のT先生が好きだった。
 区切りがついたのは、今年会ったとき。この人はこれからも心の中で私を支えてくれる人だという結論に至った。しかし、中三の頃は本当に好きで……。私は生徒で、先生は先生。それがものすごく悲しくて切なかった。でも、どこか安心していた。生徒の私は、少なくとも嫌われるはずはないと。だから思い切ってぶつかっていけた。
 でも今は違う。同学年の人。キラワレタクナイ。と思う。自分に自信がないから、目が合ってもすぐふせてしまうし、話しかけることもできない。ただ、気付かれないように見つめるだけ(ストーカー?)。時々、彼がものすごく綺麗で神聖なものに見えて、ドキドキすると同時に悲しくなる。届かない人だと。彼は私の存在すら気付かないのだと。一日会えないだけでも、名前を何度も呼んではため息をついてしまう。でも言えない。迷惑になりたくない。そして何より恐い。嫌われるのが。でも他の人と付き合っては欲しくない。だからといって、今以上に距離が縮まるのも恐い。私はわがままだ。 
 でも、このごろ気持ちが溢れそうになる。こっちを向いて! 話してみたい! っていいそうになる。凄く恐い。私、どうしちゃったのかな。




 一九九六年 七月十七日


 受験生というものは神経質になるからだろうか。様々なことが気になりだして、いろいろと考えてしまう。自分でも分かる。感覚が冴えるというのはこのことではないのか?
 思うに私は今の教育方針は間違っていると思う。大切なことはちっとも教えていないから、欠けた人間ばかりを生み出していく。私は、学生にはもっと考える時間が必要なのだと思う。いろいろなことを感じて、自分自身がどんな者であるかを考えなければならないのだ。そうしなければ、ただエリートになるだけが目的の、薄っぺらな人間になってしまう。そんなの生きている意味が無い。しかし私は今、後悔している。そう思うからこそ、高二のときに、遊ばず、いろいろ考えておけばよかった。今、私たちは大学に行くために勉強している。私は教師になるという夢を叶えるために、そのハードルを越えなければならないので、頑張らなければならないのだ。今は考える時期ではないのだ。だがしかし、その大学に行くことを考えると私はますます分からなくなる。なぜ大学に行くのに試験が必要なのだろう? 学びたい人が学べばいい。それだけのことだ。誰だって学ぶ権利はある。どうしてなのだ? 朝課外だってそうだ。受けなくては遅れる。それだけのことだ。強制することはないのではないか? 今頃こんなことを考えるのは勉強からの逃げだろうか。でも、これは考えれば誰でも思うことだと思う。




 一九九六年 七月十七日


 今日、クラスマッチでO君の勇姿を見た。あんなに運動のできる人だとは思わなかった。性格もいい(と思うんだけど……)、頭もいい、スポーツもできる。なんでそんな人が同じ人間なんだろう。自分がちっぽけなものに見えてくる。
 ああ、どうしてあの人はこんなにも私の気持ちをぐしゃぐしゃにしていくのだろう。魅了するのだろう。あの人は内面から光っているような気がする(当時、私は好きな人は光って見えた。T先生のときからだ)他の男子にない落ち着きがあって、自分が分かるまで物事を追求して、勇気があって、思いやりがあって、でも控えめで、押し付けがましくなくて、独立してて、そして、とても綺麗に見える。汚さがない。とても高潔に見える。私の彼に対する想いは、異性を好きになるという意味とは少しだけ違うような気がする。私の嫌いな『男』っていう感じが、彼からは漂わない。本当に透明で、いつまでも眺めていたい気がする。でもその透明の中に何が映っているのかが知りたくなる。とにかく話してみたい。お互いを最も理解しあえる関係になりたい。友達になりたい。でも、嫉妬という醜い女の心が私にはあるのも確かだ。私はO君にいったい何を望んでいるのだろう。



 

 一九九六年 七月十八日


 私は友人のことを照れずに心から「好き」と言えることが嬉しい。友人は私のその言葉にとても照れるけれど。でもこれは本心なのだ。それがまた嬉しい。その友人のことを解って、素直にその感情を持てる自分が好きだ。そんなとき、自分がとても成長していることを感じる。しかし、周りの人によく思われたいなどと、醜い心を持っている自分は嫌いだ。また、心で思っていても、言えない自分も嫌いだ。私は自分に自信が持てるような人間になりたい。


 一九九六年 七月二十三日


 運動会の作業があっている。性格がよく出る。黙って一生懸命やって、困っているときには無言で協力してくれる人。凄い。恩着せがましくなくて。うるさく言うばかりであまり実行しない人。凄くうっとおしい。男も女も無限実行型が好きだな。うるさいと、気が散るから。




 一九九六年 七月二十五日


 私の夢の中に、今、とっても好きなLUNA SEAのヴォーカルのRYUICHIが出てきてくれたのだ!
 いやはや。まったく持って自分勝手な夢だった。
 夢の中で、私とりゅーちゃんは同じクラスで、(ここからして無理があるけれど)友達か恋人か分からないような間柄になっていて……、うわー、恥ずかしい!! 本当に自分勝手な夢だなあ。でも、夢の中なのに、やっぱり心配は尽きなかったの。夢の中で、私はりゅーちゃんが、「好き」とはっきり言ってくれないからとても不安だった。本当は私のことなんとも思っていないんじゃないかって。やっぱ、両思いの人たちにも、そんな風に不安になることあるのかな? なったことのない私には分からないけれど……。
 でも、やっぱ、夢はHAPPY ENDってやつだね。りゅーちゃんが私のために曲を作ってプレゼントしてくれて終わった。ああー、なんて恥ずかしい夢! でも夢じゃなければよかったのになあ。目が覚めたとき、夢だとわかってとってもがっかりしてしまいました。現実はそんなに甘くないってね。うーん、私って、とても理想高くて、夢見がち。こんなんで、結婚できるのかなあ。




 一九九六年 七月二十五日


 何年か先の夢。眼鏡のよく似合う背の高い優しい人と、海の見える道をドライブする。そして、草原に立っている大きな木の木陰でお弁当を食べながら将来の夢とか、これからの二人のこととかを話す。真っ青な空。高いお日様。私がいろいろ話すと、その人は優しく笑いながら頷いてくれる。空気みたいな存在で、いつもそばで見守ってくれてるけれど、それを感じさせなくて、笑顔が多くて、口数は少ないけれど、自分の意見はしっかり持っていて、よきアドバイザーでもあるような人がいい。理想が高いかな。




 一九九六年 七月二十六日


 老後の夢。もし、旦那様がいるのなら、和風の家で、縁側に二人で座ってお茶を飲みながら昔話をする。季節が移り変わるのを見ながら、二人でひっそり暮らしたい。もし、一人身なら、洋風の白い家。庭には薄いピンクの薔薇がたくさん。そして、テラスで薔薇を眺めながら読書。片手には紅茶。一人回想しながら転寝をする。時々訪ねてくる近所の子供たちを楽しみに。そして、五月ごろ、満開の薔薇に囲まれて、転寝しながらそのまま死にたい。私の死体は森の大樹の下に埋めて欲しい。今頃からそんなことを考えている私って一体……。(友人に話すと笑われる)



 一九九六年 七月二十九日


 七月十七日、実は私はあの人に対して電話で気持ちを伝えようとした。自分でもよく分からない気持ちだが、O君は6組だから、東大か京大を狙っている。ということは、離れ離れになるってことなのだ。それを思うと、早く友達にならないと、とあせってしまい……。
 ところが、その日出たのは弟君だった。「花火いってます」
 私はどうしようか迷い、いつごろ帰ってきますか? と聞いて、電話があったことは内緒にしてくださいと告げた。そして帰ってきただろうころに電話をかけると、「寝てます」とまた弟君がでて言ったのだった。
 私はますますあせってしまった。電話は内緒にとは言ったものの、兄弟である。しゃべっちゃうんじゃないだろうか。そう思い、人の口から伝えられるのは嫌! と思った私は暴走し始めた。
 隣の隣のO君の部室。だいたいO君はそこにいるので、部室を訪ねることにした。だが、名前を言うのははばかられたので、「三年生いますか?」という聞き方をした。「いません」と返ってきた。
 ああ、私はなんだか変な行動をしている。自分でも分かっていたが、それ以上に焦りが私を掻き立てた。
 伝えたかったのは、「友達になってください」。(後で大学生になり、異性の友人と話していると、これは一番困るとのことだと知ったが、無論、当時の私にはわかりっこない)
 女は苦手そうだし、いろいろ迷惑になるのは嫌だし、とにかく、話せるようになればよかったから。そして、気持ちに区切りをつけたかったから。
 それで、今日。
 私は不吉な夢を見た。「友達になってください」と言ったら、無視される夢。しかし。
 最近いつも見られなかったあの人が、今日は居た。どうしよう。でも電話とかしちゃったし、このままにしておくわけにはいかない。
 ああ、帰ってしまう。
 そこで私はダッシュ。自転車の鍵をはずしているあの人の後ろに立ち、彼のリュックをぐいと下に引いたのだ。なんてことをしてしまったのだろう!! O君はのけぞるような形になり、驚いて、後ろを振り返った。背が高いからリュックが私のちょうど胸の辺りにあったのだ。不可抗力……などではやっぱりないよね。もう、本当に後に引けなくなった私。O君を見上げて、おずおずと、
「あの……頼みがあるのですけど……」「……はい?」「えーっと。……あの、私、あなたにとても興味があるんです」な、何を言ってしまったのだろう、私は!! 案の定、あの人はコーチョクした。
 ああ、ああ、神様、どうしたらいいのでしょう。私はこんなにも馬鹿です。
 失敗したと思った。先にそんなことを言うんじゃなかった。でも、もう、本当に後に引けない。
「私とトモダチになってください!」しばしの沈黙。「はい」小さな声が聞こえたような気がした。
「いいんですか?」「はい。さようなら」え? と思ったが、とにかく恥ずかしかった私は、「ありがとう!」といって、部室へダッシュ! これでいいの?! 自分でもよく分からなかった。トモダチになってくれるのかな。でも「さようなら」はどういう意味なんだろう。挨拶? それとも、お前となんかさよなら? もしかして、どーでもいいけど、早く帰りたいからとりあえず頷いて、さよならって言ったのかな? それが一番可能性が高い気がした。それにしても、私はなんてことをしてしまったんだろう。部室前の、人通りの激しいときに、あんなことを言われて、恥ずかしくないわけない。もちろん、私も思い出すと恥ずかしいけれど、あのときは暴走していたので、あまりよく分からなかった。ああ、私の言ったこと、どうとらえたのかな。迷惑じゃないのかな。うーん、不安。明日会ったらどうしよう。トモダチなら挨拶していいのかな。なんだか混乱。
 友達たちに笑いものにされたのは言うまでもないです。




 一九九六年 七月二十九日


 クラスが違うので、学校ではあまり話せない友達と九十分も電話で話した。音楽仲間の子で、いろいろあったのだけれど……。最近話していなかったけれど、すぐにテンポを取り戻せた。いろいろ、友達についてや、恋愛について、自分についてなどを語った。不思議だなあ。その子は一生懸命話を聞いてくれて、考えてくれているのが分かるから、自分が優しくなっていくような気がする。「Hちゃん(私のこと)、好きだよ」と言われて、ものすごく嬉しかった。私ももちろん好きだよと言った。「冷たく当たったこともあったのに、変わらず好きだよって言ってくれる、Hちゃんはすごいってずーっと思ってた」だって。うーん、私はあまり実感ないけどそうだったのかな。でも嬉しい。お互いに考えを話し合えるっていいね。とっても勉強になるしさ。最後には「お互いにこの夏をがんばって乗り切ろう!」ってことで終わった。うん、がんばろう!

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 こんばんは、天音です。

 今日は1996年から1日分だけ……。
 というのも、次が8月8日だからです。
 一応、時期を平行して載せてみようという試みです。

 まあ、なんというか、今日アップする内容は、ますます恥ずかしいものになっております。

 私は主人に告白したときにも、付き合うということは全く頭になかったんです。告白されたほうからは困るそうですね。私は「好き」と伝えることで満足してしまうタイプのようで……。結婚できたのが不思議です。
 高校生のときはときで、また変わった考え方だったようです。
 それが今回の日記を読み返すとよくわかります。
 
 だれか共感してくださる方がいればいいのですが……。難しいかも……。
 

最初から読む方


 ココから日記




 一九九六年 八月二日


 まだ挨拶さえしてない私。ああ、話しかけるチャンスがない。
 さらに、私は一人、考える。私はとても迷惑をかけているのではないだろうか? 無理矢理頷かせたのでは? と。あの人に好きな人がいたら私は邪魔でしかない。あの人も誤解されたくないだろうし……。「友達になってください」と言ったときの、あの人のなんともいえない顔を思い出してそう考える。あの顔は照れじゃない。笑いもない。カタイ表情。目だけは大きく開かれていて……。明らかに困ってた。それでも私の話を聞くときは黙って私の方を向いて聞いてくれたのは尊敬に値する。嫌だったと思う。恥ずかしかったと思う。ごめんなさい。私は皆の前であの人に恥をかかせてしまったんだね。本当に馬鹿な私。電話も失敗だったな。いらぬ期待をさせてしまったし。他の大人しくて、可愛い子かもと思ってたかもしれないし。がっかりしたかもなあ。ぐすん。なんかいろいろ考えると悲しくなってくる。いまだに自分の気持ちもよく分からない。
「恋愛感情がないとはいえません。あなたの隣に特定の人ができると嫉妬してしまうと思います。でも、単純にそうとは言い切れないんです。尊敬とか憧れみたいなのがあると思うんです。私の中で、あなたはとても綺麗な存在です。でも、私のイメージするあなたは本当のあなたではないと思うんです。それなのに私の想像のあなたと、実際のあなたを重ねて、好きというのはとても失礼な気がします。だってそれは本当のあなたではないから。だから友達になりたいんです。もっと話して、あなたのことが知りたい。そうすることで、私の感情が何であるのかを理解したいんです」
 これが今の私の正直な気持ち。うまく伝えられたら苦労しないのになあ。

 それにしても、どうして私ってばこんなに暗くてじめじめした性格なんだろー!
 もっとスパーっと軽く考えられへんのかいなっ。

                          

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 だそうです。やっぱり変わった娘だったのかもしれません。
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