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小説をおいております。 『いざ、出陣 恋戦』シリーズの二次創作、『神の盾レギオン 獅子の伝説』の二次創作、そして、高校生の時に書いた読まれることを前提にした日記と、オリジナル小説を二編のみおいております。
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プロフィール
HN:
天音 花香
性別:
女性
職業:
主婦業メイン
趣味:
いろいろ・・・
自己紹介:
小学生のときに、テレビの影響で、小説を書き始めました。高校の時に文芸部、新聞部で文芸活動をしました(主に、詩ですが)。大学時代、働いていた時期は小説を書く暇がなく、結婚後落ち着いてから活動を再開。

好きな小説家は、小野 不由美先生、恩田陸先生、加納朋子先生、乙一先生、浅田次郎先生、雪乃 紗衣先生、冴木忍先生、深沢美潮先生、前田珠子先生、市川拓司先生他。

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天音です。

月に恋した2をお送りいたします。
こちらの小説はサイトにあるものを移しているものなので、一度読まれた方は、内容が変わっていませんので、ご了承ください。



ココから小説





 九月になった。まだ暑さは真夏並みである。ただ、蝉の声がつくつくぼうしのものに変わった。
 学校が始まり、また、一日のほとんどを、学校と塾に支配される日々が戻ってきた。
 そんなある日、塾で英語の質問をしていると、ほとんどの生徒が帰ってしまい、先生の去った教室は寂しいだけの空間になっていた。月子は不思議な気分になりながら、テキストをカバンへ詰めこんで、教室の電気を消そうとした。が、その手を止めた。スイッチの横に貼ってあったのは時間割と、その担当者名だった。田村の名ももちろんある。そこで、月子はふと思った。田村の名前は?
 自分のことをフルネームで紹介する先生が多かったが、田村は言わなかった。
(先生の名前……)
 なぜか無性に気になって、月子は電気の消された他の教室にも、載ってないか探した。
(どこにも、ない)
 がっかりしながら階段を下りていると、
「おや、随分遅くまで残っていたんですね」
 職員室から、偶然、当の田村が出て来た。
「英語の質問をしていたんです」
「熱心ですね。数学もそれだけやってほしいですね」
 田村は何も知らずに笑っている。
(この人は、なぜ光って見えるのだろう。自分にとって田村は一体どんな存在なのだろう)
 田村を見ると、疑問符で月子の頭はいっぱいになる。でも今は一つ。
「先生。先生の名前は、何て言うんですか?」
「また君は突拍子もなく。
私は秘密主義なんです」
 と田村は笑った。月子はその顔を見て、我に返った。馬鹿馬鹿しい。自分は何をしているんだろう。聞いてどうするつもりだったのか。そう思い、月子は自分の不可解な行動を後悔した。
「そうですか」
 月子は力なく言うと、靴に足を突っ込んだ。そして、さよなら、と言おうとした。
 田村は少し不思議そうな顔をして、一度口をつぐんだ。しかし。
「秋の夜ですよ」
 頭上からの声。月子は、訳が解らず、田村を仰いだ。
「秋の夜と書いて、あきやと言います。のんべいの父がつけた名前です」
「秋の夜……! 読書、そして」
 月子の脳裏には、煌々と輝く秋の月があった。
「君と同じ、月、ですね」
 月子の言葉の続きを田村は言った。
「のんべい……。李白」
 熱にうかされたように、月子が紡いだ言葉に、田村は、
「ああ、そうだったのかもしれませんね。父が李白ですかー、考えもしませんでした」
 と言い、新しい発見に楽し気であった。一方月子は。
(分かる。李白が水面の月をとろうとした気持ち)
 古文のプリントが頭に浮かぶ。動詞プラス「てしがな」で、願望。得てしがな。
月子はぼんやり思った。月を得てしがな。

 月は。欠けていたピースがはまる。黄色の多いパズルは完成した。
(私の月は)
 光を放つ秋の月が目前にいた。
(そうだったんだ。私は月に恋をしてしまったんだ)
「野乃原?」
 月が月に恋を。どちらにしても叶わないことには変わりない。
「秋の月は、一年の中でもっとも美しいですよね。色は淡いけれど、くっきりとした輪郭。高くから、地上を照らす。その光はとても儚いようで、強い。私も、自分の名前に月があるので、太陽より、月派なんですよ?」
 月子の口は止まることなく開くが、心はしぼんでいた。苦しいと思った。月子は悟った。田村に恋をしていたから、こんなにイライラして、苦しかったのだと。
「そうですか。私も、月が好きなんですよ。幼い頃の夢は宇宙飛行士だったんです。結局は叶わず、三番目の夢の教師に納まりましたがね」
「そうなんですか……。先生にもそんなときがあったんですね」
「こらっ、失礼だな、君は!」
 いつもより、多くの会話。それは月子を嬉しくもさせたが、苦しさは消えなかった。
(先生が夢を持っていた頃に出会いたかったです)
 月子は田村との年の差を憾んだ。そして、以前、他の先生の口から出てきた、田村の「しっかりした奥さん」とやらを羨んだ。
「もう、こんな時間。帰ります」
 苦しさに、思わず月子の口から出た言葉に、何も知らない田村は、
「そうですね。迎えはきとるんか? 気をつけて帰りなさいよ」
 と笑って言うと、職員室へ消えた。
 塾を出ると、母が待っていた。
「遅いわよ! 早く乗って」
 母の言葉に促されるままに、月子は車に乗った。

 空には、まだ夏の月。
 月子は少しほっとした。


 好きになるとブレーキは効かないようだ。月子はそれを思い知った。田村に妻がいようが、諦めがつかなかったのだ。ただ、二人の仲を裂こうとまでは思わなかったけれど。
(それをするには、私は若すぎるし、何より先生が不幸になる)
 結局は、あのとりまきと同じなのかと月子は思い、嘆息した。
(いや、あの娘たちは、憧れ。私は本気。本気? だと思うんだけどな)
 あまりの年の差に、時々月子自身、おかしいのではと思うこともある。
 月子にとってこの恋は、今までの恋とは異なっていることは事実だ。月子は、今まで好きになった男子の特徴を覚えていない。それぞれ違ったタイプだったからであろう。しかし、今回の恋で、月子の好きなタイプは「田村」と限定された。具体的に言えば、外見は、眼鏡の似合う少し色白のややほっそりした人。性格は、一見クールで皮肉屋、だが本当は優しく、自分に自信があるのに謙虚である人。田村を好きになってから、そういう人に目が行く自分を月子は止められなかった。それは、今後、田村を「好き」ではなくなっても続くことになる。それに。
(前ぶれがなさすぎる)
 田村は、なんだかよく分からないままに、月子の心の大事な場所に居たのだ。未だになぜか分からない。月子にとって、初めてなことばかりだ。
 今、月子の月――田村は、照らす存在というより、視界いっぱいに広がって、目も眩むような存在だった。
 受験期に田村を好きになったことは、月子にとってよかったかと言えば、答えは一つではない。田村を喜ばせたい一心で修英館高校に受かろうと思い、勉強を頑張ったということではいい面に働いたが、田村の些細な言動で、月子の心は揺れ、それに伴って成績も揺れることとなった。そして、月子を悩ませたのは、自分が素直になれない点だった。好きになってからというもの、それまで以上に田村に対して素直になれず、暴言ばかりを吐くという問題児になってしまったのだ。だが、当の田村はあまり気にしてはいない様子であった。
(大人だからか。それとも私の成績を下げないためか)
 月子にとってそれは重要だった。月子は、成績でなく、自分自身を見て欲しかったのである。


 九月も半ばになったが、相変わらず、気だるくなるような暑さが残っている。これは果たして、温度のせいか、他の熱のせいか。
(ああ、私、自分がこんなにおバカだとは思ってなかった。先生にマジになるなんて。先生はみんなの先生なのに)
 もう限界が近い、と月子は思った。毎日見せつけられる光景。それを横目に見る月子の目は、どこまでも暗い。あの輪の中に入ればすむことだろうにそれができない。月子自身がそれを許せない。それが悲しい。
(恋ってこんなものだったかな?もっとうきうきして、ドキドキして)
 暑さは残るのに、月は秋の月に変わっていた。車窓からそれを仰いで、月子はその遠さ、神々しさに、一人涙を流した。

 月子の一日は、今や田村に左右されるようになっていた。授業をうけながら月子は思う。なぜ田村は数学の先生なのだろう。なぜ自分は数学が不得意なんだろう。
「こんなところで間違う奴は、点いらんと言ってるようなもんぞ」
 田村が言う度に、月子の胸は軋む。全て月子に言われている気がする。返された回答用紙を直視することができない。
 この頃は涙線が弱くなったらしく、涙がすぐにたまる。月子はそれを流さないようにするのに必死だった。そんなとき、塾の狭い教室がとても広くなったような感じがして、そこに一人、月子だけがとり残されたような気分になる。月子以外の生徒は皆、解っている気がして。
(嫌。追いていかないで)
「野乃原」
 恋しい人の冷たい声に、月子が条件反射的に視線を上げると、涙が頬を伝った。田村の瞳が一瞬揺れた。
「……。顔を洗って来なさい」
「は、はい」
 その後、気分が悪いということにして、月子は一時間、初めて授業をサボった。
(こうしている間にも、私は遅れていくんだ)
 何の解決にもならないことは分かっていた。月子は自分の馬鹿さ加減に悔やしくて、悲しくて、涙が止まらなかった。そして、田村が自分を見放すことを何よりも恐れた。成績が悪い月子になんか価値はないのだから。
 その日、階段を力なく下りている月子に田村が声をかけてきた。嬉しい、そして苦しい。でも、まだ田村は自分を見捨ててはいない、と思って少しほっとした月子だった。
「今日は……どうした? 調子悪いのか?」
 月子は正直に答えるべきか迷った。
「……私だけ、解っていない気がして、恐くなったんです」
 すると、田村は、少し笑って、
「君らしい。心配しすぎです。皆、分かっている訳ではありませんよ。そして、皆、不安です」
 と言った。
「皆、不安……」
「そうです。
全く、君は何のために先生がいるのか分かっていないようですね。そういうときこそ、質問をしなさい。補習をしてもいいんぞ。今から受けるか」
 月子の心は少し軽くなった。
「今日は、遠慮します。でも、次からは質問することにします」
 月子はいつのまにか笑っている自分に驚いた。
「そうか。ま、頑張りなさいよ」
 田村に言われると頷くしかないではないか。
「はい。今日はすみませんでした。さようなら」

 今日も秋の月は平等に光を降り注いでいた。
(そう、みんなに優しいんだよね、先生は。成績とか男女とか関係ないんだ。私はなんて馬鹿げたことを考えていたんだろう。先生は先生なんだから)
 でも。だから、届かない。いくら勉強しても、可愛くなっても。分かっている。先生にとっては、生徒は皆同じなのだ。それでも不安が消えないのは、月子が恋をしているから。  
 一生徒の一方的な恋。
(それは、嫌われないのと同時に、特別にはなれないということ)
 月子は分かっていながらも、夜の空に手をのばした。指のすき間から、優しい光が見えて、切なさが増した。得てしがな……。





 空が透き通り、青く高くなってきた。秋である。
「月子!」
 教室の自分の席で、窓からぼんやりと空を見ていた月子に声をかけてきたのは、高井奈々美だった。
「月子って本当に空見るの好きだよね」
「まあね」
 実際そうなのだが、逃避しているというのもある。月子は学校大好き、というタイプではない。教室は騒がしく、絵の具をごちゃまぜにぶちまけたような印象をうけるからだ。むしろ統一感のある塾の方が好きであった。
「月子ちゃん、はい、これ」
 豊田ゆりもやってきて、手紙を渡してきた。
 手紙交換。学校での唯一の楽しみだ。中学生女子の手紙の内容といえば、やはり恋につきる。読んでいると、なんだか可愛いくて、月子も楽しくなる。月子は自分が田村を前にすると素直になれないから、ゆりが羨ましいのかもしれない。
「月子の好きな田村先生にも会ってみたいなぁ」
 学校には、田村のとりまきがいる訳でもないので、月子も、恋する一少女になれる。
「ななしゃん、うちの塾、入ればいいじゃん。頭いーんだし、もったいないよ。そしたら田村センセも見れるし。光を放ってるのも分かるって」
 つい、熱く語ってしまう月子に、奈々美もゆりも笑っている。
「でたでた、光発言! ほんと月子ちゃんて、おもしろいよね」
 ゆりの言葉に、月子は頬をふくらませる。
「だってほんとに光が見えるんだもん! 人と違うオーラが……」
 一生懸命になって説明する月子に、二人は笑っている。
「もういいっ」
「あ、でも塾の件、私、考えてみるよ。丁度探してたし」
「本当? ななしゃんが一緒なら、ますます楽しくなりそう!」
 そう言いながら、一方で、田村の興味が奈々美に注がれるのではという不安が一瞬よぎり、そんな自分を嫌だなと月子は思った。
「私ももう一つ、用があったんだった。いつも悪いんだけど、これ」
 ゆりが差し出したプリントを月子は受けとり、
「いえいえ、これでまたセンセに質問する口実ができました」
 と笑った。ゆりは違う塾に通っていて、そこで分からなかったプリントを持ってくる。まず月子が考え、それでも分からなかったときには田村に質問するのが、最近の習慣である。
 というのも。
 月子は、塾に行くと、入り口の先生方に挨拶をし、職員室に入って行く。そして、田村に、「ここ、分からないんです」と告げると、教室に行く。後ろから、田村の、
「はい、教室入りなさいよー」
 という声が追ってくる。そして、月子が席に着くころ、田村がやってきて、教室の入りロで月子を手招きをするのだ。月子はその瞬間がたまらなく好きだ。
「ここだが」
 もちろん田村にかかれば、難問もすぐに解けてしまい、時間にしてはほんの少しの間なのだ。けれど、月子は、そのときだけは田村を一人占めしている気分になれるのである。
「よく分かりました」
「熱心なことはいいことです。じゃあ授業があるから」
「ありがとうございました!」
 思わず笑んでしまう。田村と話せて、問題も解けて、一石二鳥だ。そう、この時間は、月子は純粋に好きだった。だが。
 一日の授業の終わり。
 月子は分からなかったところは、その日に解決したいので、質問をしに職員室に入る。そして質問するのだが、月子は、期待と不安でドキドキしている。そのとき、ほぼ七割の確率で田村が声をかけてくるからだ。
「野乃原。ちょっと。このプリントだが……」
 田村から声をかけてもらえるのは嬉しい。だが問題はここからなのである。
「この問題の解き方! 君はセンスがあるなと思ったよ」
と田村がボールペンで月子の頭をぐりぐりとするとき、月子は本当に嬉しくて、
「えへへ」
と言いながら本当の笑顔になる。
 しかし。
「君はこの問題、なんで解けんかね。初歩ぞ」
と冷めた口調で言われたとき、月子は、胸が押しつぶされそうになり、泣くのを堪えるために、笑んでしまう。心は悲しみに染まっているのに。
 すると田村はますます怒る。
「君は、真面目に私の話を聞いているのかね」
 心はズタズタになり、でも顔からは笑みが消えない。
「君は!」
「すいません。すいません」
 こんなとき、月子はどうしていいか分からず、ひたすら謝るしかない。
(先生、ごめんなさい。馬鹿でごめんなさい。本当は反省しているんです)
 後者だった場合、その日の月子の夢にまで田村は現れる。
「君のように、たるんだ生徒がいると、周りにも伝染するんだよ。自覚を持ちたまえ」
 夢の田村も、現実とそっくりな冷たい目をして冷たい声で、月子の胸をえぐる。夢の月子は耐えられず、涙を流す。
 そして、その冷たさに、月子は目を覚ます。枕が濡れていて、まだ朝になっていない闇の中で、また月子は声を殺して泣く。
(先生、私を見捨てないで。嫌わないで。冷たくしないで。私、もっと頑張るから。お願い!)

 最近、夢には月ではなく田村しか出てこなくなった。そしてそのほとんどが、悲しい夢である。月子の枕は乾く暇がない。
(夢でさへ 現と変はらぬ つれなさに 冷めても残る 胸の傷かな。……だめだ。苦しい。平安時代の華やかなお姫さまたちも、枕を濡らす恋をしていたのかな)

 だが一度だけ、月子は妙な夢を見て、一人悩んでいた。友達に言いたいのだが、軽蔑されそうで、怖いかった。しかし。
「月子ちゃん、最近田村先生の話、しないけど、どうかしたの?」 
 教室を移動しているときに、ゆりが話しかけてきた。月子はドキリとした。
「月子ちゃん?」
 月子は自分の頬が熱くなるのを感じた。言うべきか。言わざるべきか。
「あ、あのさっ。とよちゃんは、変な夢とかって見たことある?」
 月子は意を決して言った。ゆりは、首をかしげ、
「変なって、どんな?」
 と聞いてくる。口に出したことを後悔しても、もう後に引けなくなった月子である。
「あの、ね。内緒だよ」
 月子はそう言ってゆりの耳元に口を寄せた。
「キスされる夢とか見たことある?」
 瞬間、今度はゆりが顔を赤くした。
「見たの!?」
「しぃー!
頬に、だけど」
 月子は小さく言って俯いた。
 正直、自分でも訳が分からないのだ。こんな夢、初めてだった。第一、そんなこと、考えたこともないのだ。だから余計に困惑していた。
「私、考えたこともないんだよ。だから、びっくりしちゃって。もしかして、心の奥底で思ってるんだったらどうしようって」
 ゆりは少し黙って考えているようだった。
「……好きなら、そう思ってもおかしくはないんじゃないかな」
 ゆりがポツンと呟いた。
「そうかな。なんか、こんな自分、恥ずかしくて。内緒ね、絶対!」
 懸命に言う月子に、ゆりは少し笑って、
「約束する。私も見るかもしれないし、そのときは月子ちゃんに話しちゃうかも」
 と言ったのだった。
 そんな夢は一度だけで、相変わらず悲しい夢が続いている。
 いつのまにか九月も終わろうとしていた。

 空には清い秋の月。地上には月明かりにうかぶ金色のすすき。物悲しく響く鈴虫の声。うさぎが餅つきをしていてもおかしくないような、幻想的な夜。でもそれは田村を思い起こさせるだけで、月子には、眩しく、痛い世界だ。









 十月。花より実がなる、秋まっ盛り。奈々美が塾へ入って来た。
「君が野乃原の学校の子? 野乃原はおもしろい子なんだが、なぜか私にだけ冷たくてね。学校での野乃原はどんな子なの?」
 フロアで楽しげに聞いてくる田村に、奈々美はどう答えていいか分からない顔をして笑っている。
「別に先生だけに冷たくしてる覚えはありません! もう! ななしゃんに変なこときかないでください!」
 なんだか自分の想いを見透かされている気がして、あわてて、奈々美を教室へひっぱる月子であった。そのとき、奈々美が笑って月子に耳うちした。
「声、高くなってたよ、月子。分かり易い」
「そ、そんなことないもん」
 周りにも本当は悟られているのだろうか、と、月子は少し不安になった。

 「弱点特訓をとり入れることになった。五教科のうち、どの教科にするか、書いて出すように」
 授業後、田村が言った。月子は迷っていた。数学か、社会か。数学は相変わらずで、社会は最近点が落ちていた。
「ななしゃんは、何にした?」
「私は国語」
「そっか。前から苦手って言ってたもんね」
 数学にすれば、田村に会える時間が増える。同時に、胸の痛みも増す。一方、社会の山田とは、ツーカーの仲だ。
(今回は楽しく成績を上げる方にしよう)
 月子は紙に「社会」と書いた。

「おや、野乃原は数学じゃないんですか?」
 フロアで早速田村につかまった。
「社会も、落ちてるんで、今回は社会で」
 力んで月子が答えると、田村は不思議そうに、
「そうですか。ま、質問はしなさいよ」
 と言って、職員室へ消えた。
「月子、これでいいの?」
 奈々美が心配そうにきいてくる。その奈々美に、
「これ以上、センセと会う回数増えたら、私の心臓はもたない。社会でよし」
 と、少し強がって月子は答えた。
 もうふりまわされるのは苦しい。補習一つで変わるものではないことは十分承知だったが、月子は「社会」にこだわった。逆にそれで田村の気を引きたかったのかもしれない。無駄なことだ。だが恋する少女は、時として間違った方行に暴走するものなのだ。多分。
(素直になれないって、損だよなあ)
 月子は未だに、田村の回りにいる女子にはなれないし、田村が言ったように、田村に冷たくあたってしまう。嫌われるようなことを自分からしてしまうのだ。でも、それを月子は直せない。これでは小学生の男子みたいだ、と月子は内心苦笑し、重いため息をついた。


九 


 秋の空は本当に綺麗である。木々の葉も、色付き始めた。
 月子はほんのり赤く染まった紅葉を空に透かして見る。きらきら。紅葉が光る。その朱と空の青の対比がまた美しい。月子はため息をつくと、その紅葉を放った。空に赤い放物線が描かれた。

 最近は、朝晩の空気が澄み、冷えるようになってきた。受験生の顔つきも、その空気のように、しまってきている。その顔を見て、月子は焦っていた。焦るのに、スランプから抜けだせない。相変わらず、机については涙を流す日々が続いている。
(どうしてなの? 今まで、勉強だけは普通にできる唯一のものだったのに)
 そして、その結果は、目に見えるものとして現れた。月子は、クラス発表の紙の前で、ただ、呆然と自分の名前を見つめた。
 クラスが、落ちていた。初めてのことだった。
(ああ、もう私は……)
「月子……」
 声をかけてくる、奈々美とも、大きな壁ができたように月子は感じた。
(担任も田村先生じゃなくなるんだ……。数学は先生のままだけど。でも、もう恋に現をぬかしてる場合じゃないよね。ホントなんて間の悪い)
 月子は、昔から要領の悪い子供で、よく母にしかられていた。
(そんな子が二兎を得られるわけないじゃん)
 クラスが下がっても、授業はちゃんと受けなくては、と思うのに、どこかぼんやりしてしまっている自分を、月子はどうすることもできなかった。落ちこんでいる暇はないというのにと思う。でも、頭で解っても、心はどうすることもできなかった。
「野乃原、帰り際、職員室に来なさい」
 田村の声が月子には遠くから聞こえた気がした。

「野乃原」
 田村の声が遠い。月子は、どこか客観的に、職員室で、田村の前に俯き、たたずむ自分を見ていた。
「呼ばれたら返事はしなさい、と言ったことがあったね」
 月子は怒られると思っていたが、田村の声は優しかった。
「なんて顔をしている。この世の終わりみたいだぞ」
 実際にそんな気がしているのだから、仕方ないと月子は思った。だから声が出なかった。田村はため息をついた。
「私は、原因のない結果はないと思っているんですよ。今回のこと、君は、原因に心あたりがあるんじゃないか?」
 そう。なるべくしてなったことだ。月子は頷いた。
「君は、以前、綱渡りをしているようだと言っていたね。今回は、いつもと違う方に落ちてしまったという訳だ。でも、そもそも、綱渡りは何のためにしているんですか?」
 月子は少し顔を上げた。
(何のため? それは、ゴールまで渡るため。ゴールは)
「受験で受かるためのものではないんですか? いや、もっと先のこと……。
君は高校で、何かしたくて受けるんじゃないのか?部活とか」
(私の目的。なぜ高校を選び、受けるの?)
 月子は心で自問して、愕然とした。目的……。母に褒められたいから。田村を喜こばせたいから。
(あれ?)
「目的はないのか、野乃原?」
 田村の何気ない質問。月子は。答えることができなかった。
(私、ちゃんとした目的が、ない! 何のための勉強? 純粋に楽しかった。でも今後はそれだけじゃ続かない! 目的、目的! 私、何も考えていない。自分が、ない!)
「野乃は」
 月子の様子に気付いたのか、田村は月子の名前を呼ぼうとした。その瞬間。
「判らない。もう何も判らない!
どうせ、先生は、仕事でやってるんだもん。そりゃ、励ましたりしますよね!」
 もう、八つ当たりでしかなかった。月子の瞳には、傷ついた顔の田村が映っていた。田村だけでなく、職員室中がしんとしていた。
「確かにそうかもしれません。でも、今頃人間不信は悲しいですよ。みんな一生懸命やってるんです」
(分かってる! 先生たちは悪くない! 私は本当に……)
 月子は逃げるように、職員室を出た。先生方の、特に、田村の傷ついた目が頭から離れず、月子を責めた。涙が止まらない。
(私、救いようのない人間だよ!)

 その日、月子は、月を仰ぐこともなかった。先生方に会わす顔がないと思った。次の塾の日、どうすればいいのだろう。それだけが月子の頭の中でぐるぐる回っていた。


 その夜、月子は夢を見た。

 月子は、川原で山積みのプリントを必死でやっていた。ところが、プリントが川に次々に流れていってしまうのだ。まだやっていないというのに。
(待って。まだできてないの)
 でも、今しているプリントを止める訳にもいかない。月子は、とにかくやるしかなかった。やるしか。

 朝、目が覚め、月子は、なんとなく判るものがあった。
(あれは、現状だ。目的? 人のためでもいいじゃない。自分の目的は、高校に入ってから探しても遅くはないよ。とにかく、教師になるには大学まで行かないと。そのためには、もう迷ってる暇はないんだ。迷ってたら川に流されるプリントが増えるだけ。先生方には、まず、謝罪。そして自分のできる限りを今はやるしかない)

 月子の瞳に、強い決意の光が宿っていた。

 塾に着き、早々、月子は先生方、一人ひとりに謝まって回った。さすがに、先生方は大人で、「気にしてないよ」と言ってはくれていたが、先生方も人間である。傷ついていないはずはないのだから、月子は、今後このようなことは決してすまいと心に誓った。後は田村だけだ。田村は丁度職員室を出ていくところだった。
「先生! 田村先生!」
 田村はいつものように笑顔でふり返った。
「おや野乃原。早いですね。どうかしたんですか?」
(え?)
 田村のこの反応に、月子は困惑してしまった。田村のことだから怒ってるはずはない。
(多分)
「あの、こないだは、失礼なことを言って、本当に申し訳ございませんでした」
 月子は言って、深々と頭を下げた。
「何のことですかね。最近もの忘れが多くて……。
そう言えば、言い忘れていたことがありました。今回のクラス変えは、君にとって、辛い経験になったでしょうが、経験は財産です。いつかきっと役にたちますよ。それに、今回落ちても受験本番で受かればいいんです。私は、君は次のクラス変えで、上がってくると信じていますしね。なんせ君は負けず嫌いだから」
 月子は田村の言葉に、泣き笑いを浮かべた。
(ありがとう。ありがとうございます、先生)
「ええ、絶対このままでは終わりません! 頑張ります」
 月子はもう一度頭を下げると、軽い足取りで階段を上がって、教室に入った。知らない顔ぶれ。みんなそれぞれ自主勉強をしていた。月子も、負けるものか、とテキストを開いた。いつのまにか無心になって勉強していた。

 「一生徒」――毎日心で繰り返す呪文。

 月子の恋の嵐は消えはしない。だが、どうにか自分を保つように月子はしていた。それでも、プリントに書きこまれた、「Good」や「精神が強ければ点も強くなる」といった田村からのメッセージは、月子の心を浮上させ、励みになった。

 毎日は平坦ではなく、やる気にもムラがあったが、以前田村が言った「学ぶ姿勢」とやらを学んでいるのだ、無駄ではない、と自分に言い聞かせ、月子は頑張った。
 だが、この頃から月子はよく風邪をひくようになっていた。心身のストレスが原因だろう。教室で、コホンコホンと響く自分の咳の音に、回りが迷惑しているのではと思うと、塾を休む日もでてきた。しかし、そんな月子にも先生方は優しく、遅れた分を取り戻すための個人授業をしてくれたのだった。それは田村も例外ではなかった。

 田村と、額がくっつきそうな程、近い距離で授業を受けるのは、ある意味地獄だった。
(心臓、落ちつけ! 先生に聞こえたらどうするの)
 月子は心で自分を悟したが、効果はなかった。紅葉のように顔が赤くなっているだろうことが分かる。手には汗がにじむ。プリントがふやけるのを田村に悟られないよう隠す。本当に地獄。でも、とても幸せなひと時だった。強く怒られることもなかったし、逆に、よく褒められたせいもある。
「最近頑張っているようだね。いいことです」
 説明が終わった後、教室を出る際に田村に言われた言葉に、月子は本当に嬉しくなって微笑んだ。その瞬間は粉れもなく、恋する一少女の顔になっていた。
(でも、勘違いをしてはいけない)
 月子は一少女であって、特別な少女ではないのだ。



 黄色い秋の蝶は、舞うのをやめてしまって、代わりに、黄色い絨毯を作った。昼も気温が上がらなくなってきた十一月。

 月子は、再びクラス編成発表の紙の前にたたずんでいた。
「よく頑張りましたね」
 田村の声がして、肩をポンと叩かれた。その熱さに、月子は夢を見ているのではと逆に思った。月子のクラスは上がっていて、それだけでなく、特待生になっていた。学費が半額になる。
「親孝行者ですね」
 田村の声は遠く、月子は落ちたときと同じように放心していた。ただ、思った。
(これが結果だというのなら、私は今後も頑張り続けよう)
 しかし現実はそれ程甘くはない。
(盛者必衰の理あり。まさにその通り)
 いつの時代も頂点に立ち続けるというのは難しいものだ。
 月子の場合、一位ではなかったので、頂点と言えるかは定かでないが、どうやら、あの模試の結果が、月子の頂きだったようだ。再び月子の成績はじりじり下がり出した。勉強をしていない訳ではない。回りが勉強をしている、というのと、月子の「テスト恐怖症」が加速したからである。そして、さらに、「特待生」というプレッシャーが月子の肩にのしかかった。
(私は特待生。だから成績を下げたら、他の皆にも示しがつかないし、塾に悪い)
 以前にも増して、テスト前の月子は不安定になっていった。少しのことで、イライラしたり、不安になったり。前日ともなると、それは他人の目からも明白なほど、月子の様子は変貌した。顔は青ざめ、目は虚ろで、カバンを持つ冷えた手は、微かに震えている。そんな月子を奈々美は心配したが、その状態のとき、月子はかたくなで、奈々美の助言や、励ましを聞く耳さえもたなかった。もちろん田村もそんな月子を心配し、テスト前日には必ず声をかけるのだった。
「野乃原。何も考える必要はないんですよ。明日は、自分の力を等身大出せばいいだけです。君ならできますよ。今日は早く寝なさいね」
 奈々美には失礼だが、田村の声は、ほんの少し、月子の心に届く。月子は小さく頷くと、おぼつかない足どりで塾を出るのだった。

 そして、テスト当日。

(テスト。結果が数字になって追ってくるもの。もうこれ以上順位は下げたくない。頑張らなくちゃ)
 何度もその言葉が月子の脳をぐちゃぐちゃにする。早めに席につき、勉強道具をとりだして、少しでも目を通そうとするのだが、テキストの文字は、このとき、月子の中で不可解な記号となって去っていくだけだ。月子は勉強を諦めて、テキストをしまい、筆記用具だけを机上に置いて、とにかく落ちつこうと深呼吸を試みた。だが、呼吸は浅く、速まる一方である。身体は熱いのに、指先だけが異状に冷えて、机上で震えている。冷たいのに、汗が机をしめらせた。月子の頭がぐるぐる回りだしたところで、
「野乃原! 大丈夫かあ? リラックス、リラックス」
 社会の山田が肩を叩いてきた。月子を思って、ロを「い」にして笑って見せる。その気持ちが嬉しかった。山田だけではない。奈々美を含めた友達、そして先生方が次々に声をかけてくる。本当に自分は恵まれていると、月子は実感する。
(なのに、結果が出せないのは嫌だ)
 結局その思考に陥る。

 そんな月子に容赦なく、テストは始まった。

 結果は、やはり、やや落ちていた。フロアに貼り出された順位表を一度見ると、月子はうな垂れて、重い足を引きずるようにして階段を上がった。すると、
「野乃原」
 田村が走ってきた。その肩が上下している。
「結果は気にするな。今できることをやりなさい。なぜ間違ったのか。順位よりそちらの方が大事です。入試までに調子を上げていけばいい」
「……はい」
 田村の優さに涙がにじんだ。
「よし。じゃあ、授業があるので」
 田村は足早に去っていった。
(しっかりしないと。先生は、まだ私を信じてくれているのだから)

 車窓から見える月が冬の月に変わっていた。

 冬の月は、冷たく白い。その眩いばかりの白銀の光で、冬の夜空を支配する。最も圧倒的で、無表情な月。でもそこに宿る静けさは、ときに見ている人の心までをも静め、無にしてくれる。
(模試の時、私に冬の月が宿ればいいのに)
 月子は心からそう思った。


十一


 冬の天気は曇りが多く、灰色に染まった町は見ているだけでも憂鬱になる。木々はすっかり葉を落としてしまい、細い幹で木枯らしに耐えている。その姿は、寂しくも見えたが、強さも感じられた。雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ。
(私も、頑張らなくちゃ)
 月子は気持ちだけでも前向きになろうと努カしていた。だが、それはとても不安定な状態で、前向きになろうと思っては沈む、の繰り返しだった。
 十二月に入ると、塾は、入試の予想問題を本番を思わせる雰囲気で行うことを始めた。毎週行われ、その結果でクラス編成がなされた。それは月子にとっては、まさに地獄だった。毎週月曜日が憂鬱で、学校が終わり、ゆりたちと下校をする足どりが自然と重くなった。そんな月子をゆりは心配していた。
「月子ちゃんの塾、大変そうだね。大丈夫?」
「辛いのはみんな同じだもん。受験までの辛抱だもん。がんばらなくちゃ」 
 ゆりの言葉に、無理矢理笑顔を作り、月子は答えた。
「そうだね」
 ゆりも神妙に頷いた。

 とりあえず、月子は、クラスを保持しきった。本当にとりあえずという感じだったが。月子は少し安堵はしたものの、まだ本番ではないから気は抜けないと思った。冬休みは三十日から年を越して三日までで、塾は四日から始まるということであった。その間、膨大な量の宿題を出された。とてもできる量ではないように見えた。

 「行ってらっしゃい」
 月子は家の門前で、父と母と弟を見送ることになった。野乃原家は、毎年父方の祖父母の家で年越をする。月子は、今年は受験勉強のため、一人、家に残ることになったのだ。
「風邪ひかないようにね」
「無理すんなよ」
「分かってるって」
「じゃあね」
 三人を乗せた車が遠くなっていくのを、月子はなんだか不思議な感じで見送った。門を閉めて、家のドアを開けると、ドアがいつもより大きく見えた。月子はそのドアを閉めると、しっかりと鍵をかけた。
(さあ、宿題が待ってるぞ)
 月子は早速机に向かった。最初は捗っていたと思う。何枚かのプリントを無心でやり終えたところで、ふと月子の手が止まった。月子はなんとなく自分の回りを見回した。静かだと思った。
(私の家、こんなに広かったっけ)
 いつも聞こえてくる、母の叱る声や、弟のドタバタと階段を上がってくる音がしな
いのはとても不自然だった。
(……やらなきゃ)
 月子は思い直してプリントを再びやり出す。だが、なんだか気が散る。月子は手を止めて、少し休憩することにした。
 一階に下りて、紅茶を入れる。そして、月子はいつも座ってる椅子に座った。一人で飲む紅茶は、熱いのに、冷えている感じがした。
「音がないって寂しいな」
 月子はわざと声に出して言った。
「バロック音楽はアルファー派が出て、勉強するときにいいって聞くよね」
 誰に言うでもなく、月子はそう言って、ビバルディの「四季」のCDを二階に持って上がった。そして月子は「四季」をかけ続けながら、プリントをやった。
 夜になると、広い家は不気味だった。九時を過ぎて、お風呂に入り、再び机に向かったが、なんとなく背後が気になって、見渡してしまう。月子は勉強を締めて、べッドに入った。 
「おやすみなさい」
 小さく呟いて、月子は布団を頭まですっぽりかぶった。だがなかなか寝つけなかった。
(みんな、今頃勉強しているんだろうか)
 そう思うと、遅れるのが怖くて、起き上がり、勉強をしようとする。だが、捗らないので、べッドへ戻る。その繰り返しで、結局あまり眠ることができずに朝を迎えた。

 一人で迎える大晦日。とにかく寂しいの一言につきた。宿題をする気も失せてしまって、月子はコンビニに年越そばとお菓子を買いに行って、一階のテレビの前に座った。
 パチンという音の後からは、静けさをかき消すような音と映像の洪水。
 月子はひどく安心した。お菓子をロに押し込み、テレビを見ながらプリントをする。寂しさをまぎらわすためにしたことだったが、当然の如く、月子の目は、テレビに向けられたまま止まる時間が増えた。その度に、宿題! と思い直し、視線をプリントに落とすのだが、テレビの続きが気になってしまい、また手が止まってしまう。そのうち、横に残っているプリントの山を見て、誰も全部はやってこないだろうと思い、ますます月子の手は止まり勝ちになったのだった。
(だって、こんなの絶対無理だよ。どうせ罰の正座すればいいんだ)
 いつのまにか、悪い方に開き直ってしまった、月子であった。結局月子は「紅白」を見ながら、そばを食べ、「行く年来る年」までしっかり見て、ベッドに入ったのだった。

 元旦。月子が目を覚まし、時計を見ると、時計の針は十一時を回っていた。それでも寝たりないような感覚で、月子は目をこすりながら、パジャマのまま一階に降りた。
 まず祖父母の家に電話をしようと受話器をとり、年明けの挨拶をした。
「勉強は捗ってるの?」
 母の問いに、ようやく現実に戻された月子であった。
「……ぼちぼち」
 答える声は自然と自信のないものになっていた。
「そう。そのために家に残ったんだから、頑張りなさいよ」
 そう言われ、全くその通りだと月子は頷くしかなかった。受話器を置いて、昨夜、紅白を見ながらやっていたプリントに視線をやる。まだ六分の一しか終わっていなかった。量が多いほどやる気は失せていく。やらなくては終わらないことは十分承知だが、月子はプリントから目をそらして、朝食をとることにした。母が作り置きしてくれた食事をすますと、月子は恒例の「ポスト見」をすることにした。毎年年賀状が誰から来ているかワクワクしながらポストを覗くのだ。月子は束ねられた年賀状を、早速部屋で分けだした。
(ない。ない。ない……)
 今年はさすがに受験生のため、月子自身も書かなかったように、月子の友達からも年賀状は来ていなかった。ピアノの先生など、一部の人からの数枚の年賀状を見て、月子はため息をついた。
(なんだか寂しいな)
 月子は思う。来年からは高校生だ。中学の友達から何枚年賀状が来るだろう。来なくなるか、または年賀状だけの仲になるか……。そう考えて月子はますます寂しくなった。
(きっとそんなことないよね。そんなこと)
 月子は少しの間リビングでぼんやりたたずんでいた。と、そのとき、携帯電話が月子の目に入った。手にとって見ると、何通ものメールが来ていた。奈々美を含む友達たちからだった。内容は「明けましておめでとう。お互い勉強頑張ろうね」というのがほとんどであった。返事を送ろうとして、そのメールが届いた時刻を何気なく見ると、今日の午前二時、三時などであった。
(っ!)
 自分が寝ている間にも、彼女たちは勉強をしていたのだ。月子は動揺した。
(私、間違いなく遅れてる)
 あわてて月子はプリントをやりだした。だが、焦りが気を散らさせる。
(だめ。やらないと。早く。早く!)
 結局、月子はプリントを終わらせることができぬまま、冬休みを終えた。


 年が変わってからの塾初日。月子はかなり不安だった。入り口では先生方が元気よく、「明けましておめでとうー!」
 と生徒たちに声をかけている。それに小さく返して、逃げるように階段を上がった。そして、教室に入るなり、月子は友人たちに声をかけた。
「プリント終わったー? ありえないよねーあの量! 私、終わらなかったよー」
 内心の不安を隠して、おどけながら言うと、友人たちは一瞬「え?」という顔をした。
「あー、私は終わらせたよ、なんとか」
「野乃原、勇気あるね」
 今度は、月子が「え?」という顔をする番だった。みんなしっかりやってきていたのだ。結局、やってこなかったのは、クラスで月子一人だけだった。月子は自己嫌悪でいっぱいになった。
(私、何やってるんだろう。みんな頑張ってるときに)
 その日の授業の間中、月子の足は震えが止まらなかった。
「野乃原。職員室に来なさい」
 授業後、田村がそう言った。
 月子は重い足取りで階段を降り、一階の職員室のドアを開けた。そして、田村の前に立った。
「どうしました、野乃原。正月、具合でも悪かったのか?」
 田村は心配しているようだった。月子は両の拳を強く握って、俯いた。
「……」
「野乃原?」
「た、体調は悪く、なかった、です。
私の怠惰、でした。私が甘かった。みんな、やってくるとは思わなかったんです」
 いつの間にか月子の目には涙がうかんでいた。
「……顔を上げなさい」
 田村の声は冷たくなった。
「君を見損ないましたよ。
今日、この後自習室でやって帰りなさい。だれた雰囲気は伝染するものです」
 いつか夢で聞いた田村の言葉が、現実として冷たく響き、月子は涙を流したまま頷くと、自習室へ駆け込んだ。誰もいない自習室で、月子は泣きながら、ひたすらプリントをやった。田村の冷たい声が頭から消えない。
(私は、まだまだ受験生の自覚が足りていなかった。受験はもうすぐだというのに)
 涙がプリントを湿らせ、でこぼこにする。それでも月子はやり続けた。
「野乃原」
 幻聴がする。田村の声だ。
(気を散らせてはいけない。今はプリントに集中しないと)
「野乃原」
(幻聴じゃない!?)
 月子は慌てて後ろを振り返った。月子と目が合うと、田村は少し視線をそらした。
「もう遅い。帰りなさい」
 田村に言われて時計を見ると、十一時を回っていた。
「でも、あと少しなんです」
 月子が言うと、
「君に付き合って、遅くまで残ってくださっている先生方のことも考えなさい」
 と田村に言われ、月子ははっとした。
「そ、そうですよね。すみませんでした」
 また涙が出そうになるのを、月子は必死で抑えた。
「明日まで。明日までにやってきなさい。――もしできなかったら……」
 田村は今度は月子の目をしっかりと見つめた。
「君にはクラスを下がってもらう。なんでかは、分かるね?」
 月子は静かに頷いた。
「気をつけて帰りなさい」
「はい。明日までには必ずやってきます」
 月子は田村に一礼すると、塾を出た。
「遅くなる」と電話していたのだが、母はそれでも少し待っていたようだ。
「なんで月子だけこんなに遅いの?」
 母が不思議そうに訊いてくるのに、月子は、
「私が、悪いの」
 とだけ返して、黙った。その月子の様子に、母は何も言わずにハンドルを握ると、エンジンをかけた。
 家に着くなり、月子は二階の自室に駆け込むと、プリントを引っ張り出し、黙々とやりだした。
「月子、お風呂に入りなさいよ」
 一階から母が言う声が聞こえた。
「やることやってから!」
 言い返して、月子はまたプリントに視線を落とした。
 時計の針が一時を回ったころ、月子はやっとプリントを終えた。
「ふう」
 カバンにプリントを入れて、月子はお風呂に入った。温かいバスタブの中から、ゆずのバスソルトの香が漂ってきて、月子の鼻を刺激する。お湯につかっていると、このまま眠りたくなってしまう。いや、実際寝てしまいそうだ、と月子は思い、慌ててバスタブからあがった。

 ベッドに入ると、田村の冷たい目を思い出した。気がつくと、涙がつうと目尻から枕に伝っていた。
(頑張るから。見捨てないで、先生)
 月子は横に寝返りをうって、涙を拭うと目を閉じた。疲れていたせいか程なく眠りに落ちた。が、夢の中でさえ、田村は冷ややかな目で月子を見下ろしていて、月子を苦しませた。


 「月子ちゃん、顔色悪いよ?大丈夫?」
 月子が学校の教室に入るなり、ゆりが声をかけてきた。事情を知っている奈々美は黙って心配そうに月子を見ている。
「えーと。私が悪いんだ。
さぼっちゃったんだもん」
「? さぼる?」
 ゆりが月子の言葉に首をかしげる。
「うん。冬休みの宿題やらなかったから。だから田村先生に怒られちゃっただけ……」
 また田村の目を思い出して、月子は涙ぐんだ。
「月子ちゃん! 大丈夫だよ! これからやればいいよ! それに、田村先生は一時的に怒っただけだよ!」
 一生懸命に声を出して励ましてくれるゆりに、月子は少しだけ笑った。
「だといいんだけど。まあ、自業自得だから、しょうがないんだ。今日、塾で謝ってくるよ」
(許してもらえるかな)
 今日も空は冬の曇天。未来みたい、と月子は思った。先が見えない。

「これ、やってきました」
 塾に着くなり、月子は職員室に入って田村の前に立って言った。そして、深々と頭を下げ、
「すみませんでした!」
 と謝った。しかし、その後、田村がどんな顔をしているか不安で、顔を上げることができなかった。
「っ」
 呼吸ができないような、時間が止まったかのような長くて短い時間。
「野乃原。顔を上げなさい」
 月子は恐る恐る顔を上げた。するとその拍子に、月子の目から、幾筋もの涙が頬を伝って落ちていった。
「ふう。野乃原。約束を果たしたと言うのに、なんて顔をしているんです。まるで私が泣かしたようじゃないですか」
 田村は困ったような顔をしていた。
「君は涙腺が弱いんですね」
「そうかも、しれません」
 月子の答えに、田村は笑った。
「困りましたね」
 だが、次の瞬間真顔になった。
「野乃原。これから受験まで、短い期間とはいえ、まだまだいろいろなことがあるでしょう。その度に、君は泣くかもしれない。悔し涙。悲し涙。でもその涙はすべて勉強に向けてしまいなさい。君が流していいのは、合格の嬉し涙だけです」
 月子は目を大きくして田村を見た。そんな月子に田村は笑った。
「でも、合格後は泣くより笑って欲しいですね。生徒たちのその笑顔のために、私たちは頑張れるのですから」
 月子は嬉しく思ったが、半分呆れてしまった。
「……前から思っていたんですけど、先生ってキザですよね」
「のーのーはーらー。君は元気になると口が悪くなるんですから、まったく!」
 田村がそう言って、月子の頭をわしゃわしゃとなでた。月子は笑いながら、心の中で田村は天才だと思った。
(私を笑わせる天才。いや、きっと生徒を勇気付ける天才なんだわ)
 職員室を出ると、奈々美が心配そうな顔をして、フロアで待っていた。月子の顔を見るなり、
「月子! 大丈夫だった?」
 と尋ねてくる。月子は嬉しくなった。
「大丈夫だった! さ、教室いこ!」
 月子の返事に奈々美は笑顔になり、頷いた。


        3に続く……

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