忍者ブログ
天音花香の小説をUPするブログです。個人サイトの小説はこちらに移しました。現在二時創作と短編を中心に書いています。
カレンダー
11 2017/12 01
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
リンク
フリーエリア
最新コメント
[10/10 ブランド激安市場N級品専門店]
[09/22 プラダバッグコピー]
[08/15 激安ブランド館N品激安専門店]
[06/26 カルティエ 結婚指輪 ラニエール]
[08/05 天音花香]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
天音花香
HP:
性別:
女性
職業:
主婦
趣味:
いろいろ・・・
自己紹介:
小学生のときに、テレビの影響で、小説を書き始めました。高校の時に文芸部、新聞部で文芸活動をしました(主に、詩ですが)。一応文学部でです。ですが、大学時代、働いていた時期は小説を書く暇がなく、主婦になってから活動を再開。

好きな小説家は、小野 不由美先生、恩田陸先生、加納朋子先生、乙一先生、浅田次郎先生、雪乃 紗衣先生、冴木忍先生、深沢美潮先生、前田珠子先生、市川拓司先生他。
もう一つのブログでは香水についてレビューをしております。
http://yaplog.jp/inka_rose/
こんな私ですが、宜しくお願いします。





ランキングに参加しております。よろしければ下のバナーをクリックしてください!


にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

ブログランキングのブログん家


ネット小説情報局


オンライン小説検索・小説の匣


文芸Webサーチ


カテゴリ別オンライン小説ランキング

オンライン小説/ネット小説検索・ランキング-HONなびtitle="オンライン小説/ネット小説検索・ランキング-HONなび"width="200"height="40"
border="0">



NEWVEL2


『小説家になろう』


『MEGURI-NET』


『NEWVEL』





別名で小説を出版しております。

クリックで救える命がある。
バーコード
ブログ内検索
P R
アクセス解析
フリーエリア
フリーエリア
[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] [ 6 ] [ 7 ] [ 8 ] [ 9 ]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「治雪の場合」6


 孝子の家の前で治雪は絶句していた。住所はここであっているはずだ。
「家と言うより、豪邸? 屋敷?」
 とにかく気を取り直して、と大きな門の前のチャイムを押した。そして、しばらく待つ。
 反応がない。
(寝てるのかな? 帰ったほうがいいのかな?)
 いや、もう一度だけ、とチャイムをおすと、孝子の苦しげな声が聞こえてきた。
「か、春日、君……?今、門を解除……する、わ」
 鉄でできた大きな門がキイと音を立てて開いていった。
 覚悟を決めて、敷地内へ入る。広い。とにかく広い。玄関が遠い。
 しかし。
(草ぼうぼうだ)
 孝子の暮らしが見えた気がして、治雪はちょっと悲しくなった。こんな、豪邸に一人で住む孝子。
 とにかく一秒でも早く入ろうと思った。
 家の中へ入ると、孝子が倒れていた。
「堀内さん!」
「ごめん、ね。みっともない姿、みせ、て」
 意識はちゃんとあるようだ。
 パジャマ姿で、熱で上気させた顔をした孝子は、治雪の理性を奪おうとする。
(こんなときに、何を考えてんだ、俺。しっかりしろ!)
「とにかく、ベッドは?」
「二階」
 治雪は孝子を抱きかかえてベッドに寝かしつけた。
「よく俺だって分かったね」
「インターホン、に、カメラがついて、いる、のよ」
「すごいな! 俺んちとは大違い! っとそんな話より、ね、タオルはどこにあるの? 後、パジャマ」
「タオルは、一階、の洗面所の棚。パジャマ、はそこの箪笥、の、一番下」
 治雪は、まずは箪笥の一番下から、パジャマをとりだして孝子に渡した。
「ちょっと待ってて。タオル取ってくるから」
 治雪は急いで階段を下りると、タオルを数枚取り出した。そのうち一つはお湯で濡らして固く絞る。そして、再び階段を駆け上がった。
「はい、この熱いタオルで身体拭いて、パジャマ着替えて。かなり、汗かいてるから。新しく汗出てきたら、この乾いたタオル使って。俺は、下ですることがあるから」
 そう早口に言って、治雪は部屋を出ようとし、「あ」と思い出したように買ってきた袋の中をあさって、ヒエピタを取り出した。そして、問答無用で、孝子の額に貼り付けた。
「着替えたら、おとなしく寝てなよ?」
「ごめん、ね。ありが、と」
「こないだのお礼! 今は何も考えずに寝ること!」
 孝子の言葉に瞬時に返してから、どたどたと階段を下りた。多分、あの調子じゃ、何も食べてもいないだろう。お粥ぐらいなら治雪にも作れる。
「よし、ちょっと冷蔵庫を失敬して」
 治雪は卵粥を作ることにした。料理することは嫌いではなかった。治雪には小学校四年生の妹がいるので、働いている母親が遅いときには、治雪が作ったりしているからだ。
 米をとぎ、ご飯を炊く。その間に、冷蔵庫にあったレモンを絞り、蜂蜜をたっぷり入れてホットレモンを作った。そして二階に持っていく。
「入って大丈夫? 堀内さん」
 ドア越しから声をかけると、
「うん」
 という返事が返ってきた。ドアを開けて、パジャマを着替えて寝ている孝子のベッドの横に、ホットレモンを置く。
「汗かいてるってことは水分が出てるってことだから、ちゃんと補給しないとね。着替え終わったこのパジャマは洗濯機に入れとけばいいかな?」
「う、うん」
 さすがに恥ずかしいらしく、顔を赤らめる孝子。
「病人は恥ずかしがらなくていい!」
 と言いきり、またばたばたと治雪はパジャマを持って階段をおりた。
 ご飯が炊き終わるまで時間がある。とりあえず、孝子に要望を聞いてみようと、治雪はまた階段を上がった。
「堀内さん、なんか、不自由はない? 俺にできることなら何でもするよ?」
 ホットレモンを飲んで、一息つけたのか、孝子は少し顔色をよくして、
「大丈夫」
 と答えた。
「それより、随分手馴れている春日君に驚いたわ」
「あー、俺のところ、共働きでさ。んで、小学校四年生の妹がいるんだ。母さんが仕事のときに妹の看病するのは俺だったしそのせいかな?」
「自分が風邪のときは甘えんぼさんなのにね」
 と孝子はくすりと笑った。
 治雪は複雑である。
(はっきり言って嬉しくないぞ)
「でも、じゃあ、私も甘えさせてもらおうかな。これ、とっても美味しかったわ。もう一杯頼める?」
「了解いたしました」
 自分の作ったものを気に入ってもらえたことが嬉しく、治雪は一気に機嫌をよくして階段を下りていった。


 「これ、春日君が作ったの?!」
 目を大きく開き、孝子は湯気を上げている卵粥を見て声を上げた。
「ま、このくらいは序の口」
 他にも作れると、アピールも忘れず、治雪は胸を張った。
「じゃ、早速いただきます」
「自分で食べれる?」
 食べさせることをちょっと夢見ながら治雪が言うと、
「……大丈夫よ」
 と孝子。
 少しがっかりしながら、孝子が食べるのを見る。
 ふうふうと息を吹きかけ、少し冷ましてから口に運ぶ孝子。
「美味しい!」
 本当に美味しそうに言った孝子に、治雪は安堵し、嬉しくなった。
「そりゃ、よかった」
「で、でも、そんなに、じっと見ないで。なんか、食べているところを見られるのって恥ずかしいから」
 頬を朱に染めて言う孝子は、教室で見る孝子とは違った感じがして、思わず治雪は頬を緩ませた。
「もう、笑わないで、あっちむいていて」
「はいはい」
 なんだか、教室での立場と入れ替わったみたいだ。こんな孝子を知ってるのは自分だけなんだろうなあと思うと、なおさら顔がほころんでしまう治雪であった。
「ご馳走様でした。本当に美味しかったわ。ありがとう」
「いえいえ、喜んでもらえて嬉しいよ。じゃ、食後のお茶でもついでこようかな。堀内さんは緑茶派? 紅茶派?」
「じゃあ、紅茶でお願いします」
「了解」
 上機嫌で、階段を下り、治雪は台所で紅茶の茶葉を探した。
 紅茶は苦く出したら美味しくないので、色が明るい赤色になって少したった程度で茶葉を除く。そして、孝子と自分の分をティーカップに入れるとまた階段を上がった。
「これも、美味しい」
 一口飲んでまた出た孝子の言葉に、治雪はちょっと苦笑いをする。
「そりゃ、茶葉がいいんだよ」
「でも、お店によっては苦くて美味しくなかったりするじゃない? 春日君、お料理のほうに進んだら?」
「そ、そんな今更」
 なんて会話をしながら、ちらりと壁にかかった時計を見ると、もう午後八時を過ぎていた。母親も心配しているだろうし、何より、自分は男で、孝子は女なのだ。遅くまで相手の家で二人っきりというのはよろしくない。
「じゃあ、そろそろ、俺は帰るとするかな」
 と言って治雪が立ち上がると、
「ねえ、もう一杯入れてくれないかしら?」
 と孝子が言った。
「わかった。それから帰るよ」
 治雪はもう一度紅茶を入れに行った。
「あれ? 今度は甘い」
 予想通りの孝子の反応に、治雪は、
「喉にいいので、蜂蜜をたっぷり入れてみましたー! それに、寝る前に甘いものをとるのは睡眠を促すんだよ」
 と満面の笑みで答えた。
「物識りなのね、春日君て」
「勉強以外なら」
 治雪は今度は苦笑しながら答えた。そう、無駄な知識だけはなんだかある。
「じゃあ、そろそろ」
 治雪がそう言って鞄を持ったときだ。
「待って。あの、その」
 振り返ると、迷子になってとり残されたような顔の孝子がいた。
「無理なのはわかってるの。でも……」
「何? どうしたの?」
 いつになく、弱々しげな孝子に、治雪は真顔になって尋ねた。
「帰らないで。ここにいて欲しいの」
「……」
 孝子の言葉を理解するまでに数分かかった。
「ええ?!」
 やや遅れて、治雪はリアクションをする。
「帰らないで、そばで、手をつないでて……」
 泣きそうな孝子の声。
 治雪はうろたえた。
「ごめんなさい。子供みたいなことを言ってるのは解ってるの。でも、母がいなくて、一人で、病気で、なんだか心細くて。
小さい頃は、両親も仲がよくて、そのころは、風邪をひいても母が手を握ってそばにいてくれた。……でも、高校生になってからは、母の肩を私が抱きしめることが多かったの。
だから、せめて、一人の今、風邪のときぐらい、誰かにそばにいて手を握ってて欲しいの。相手が春日君ならきっと安心できるから。
ちょうど明日は土曜だし、学校に行かなくてもいいでしょ?」
 恥ずかしげに小さな声でそう言ってくる孝子を無視できるわけがない。
 だが、しかし。
(いいのか? 堀内さんには警戒心ってものがないのか? というより、俺は男として見られてないだけ? あ、そうかも)
 心で悶々としていると、
「あ、ごめんなさい。いやね、私ったら。こんなこと言われても困るよね。ほんとにごめんなさい。帰っていいわよ、春日君」
 孝子は無理矢理笑顔を作ってそう言った。
 こんな笑顔はさせたくないな、治雪は瞬時にそう思った。
「俺、家に電話してくるよ。許可が下りてからでいい?」
 治雪がそういうと、孝子はちょっと驚いて、次に嬉しそうに微笑んで、ええ、と頷いた。
 さて、厄介なのは、この電話である。
 佐々木の所に泊まるってことにするか。本当のことを言うか。
 しばらく考えた末、治雪は本当のことを言うことに決めた。何もやましい事など無いのだから。
「あ、母さん? 今、友達の家にいるんだ。覚えてる? 前、お見舞いに来てくれた人。俺が風邪うつしちゃったみたいで、今大変なんだ。しかも、その人のお母さん入院してて、お父さんも出張で、一人なんだ。そばにいてあげたいんだけど、駄目かな? 絶対やましいことはしないから。俺を信じて許可して欲しいんだけど」
 治雪の母親は、しばらく黙って考え込んでいた。そして。
「この前の人だね? ま、うちの息子が度胸なしなのは知ってるから、大変ならそばにいておやり」
 母親のこの言葉に、信用されていると思って、治雪は嬉しくなった。
「ありがとう! 母さん! 俺一生懸命看病してくるよ」
「まったく、その娘も可哀想にね。うちの馬鹿息子なんかを見舞いにきたばかりに。その分しっかり助けるんだよ? じゃあ」
 電話をきると、治雪は一目散に二階に向かった。
「許可、出たよ! 助けておやりって!」
 治雪が嬉しそうに言うと、孝子は目をちょっと見開いた。
「本当のことを言ったの? 凄いわ。本当に正直なのね、春日君て」
「だって、何もやましいことなんて無いしさ」
 治雪の言葉に孝子はふふっと笑った。
「正直な春日君だからこそ、お母さんも信用してるのね、きっと」
「これで、ここにいれるから」
 と言って、治雪は黙り込んだ。
 そうだ、母親の説得がうまくいって有頂天になっていたが、本番はこれからだ。
 緊張で、首筋を汗が伝うのがわかった。
「えっと。も、もう紅茶はいいのかな?」
「ええ。欲しくなったらまた入れてもらうわ」
 と笑顔で孝子。
 さて。
 ……さて。
「あ、あの、さっき、手を握るとか何とかって言ってたよね? どうすればいいのかな?」
「言葉の通りだけど?」
「そ、そうだよね。ちょっと、俺、手洗ってくる」
 ゆっくり階段を下りる。
 落ち着け。相手は病人だ。しかも、自分を信用して一晩ついていてと言ったのだ。それを仇で返すわけにはいかない。ここからは自分との戦いだ。
 治雪は石鹸で念入りに手を洗うと、またゆっくりと階段を上った。
「そこにある椅子を持ってきて使うといいわ。ごめんね。私のために椅子で寝てって言ってるようなものだもんね」
「いや、別に俺はどこでも寝れるから」
「そう、よかった」
 にっこりと孝子。
「……」
「……」
「春日君? あの、手を出してもらいたいんだけど?」
「あ、そう、だったね。はい。」
 差し出した治雪の手をそっと孝子が握ってきた。熱がある孝子の手は熱かった。そして、細くて、柔らかかった。
 孝子は本当に嬉しそうに笑った。
「嬉しい。春日君の手、やっぱり私より大きいのね。ちょうど、小さかったときにつないだ母の手みたい」
 その言葉に治雪は切なくなった。
 やっぱりこの人は母親に甘えたかったのだと。もう、今夜は自分が母親になろうと思った。
 思ったのだが。
 孝子は安心したのか、安らかな寝息をたてている。その寝顔は冗談でなく天使のようで、触れようと言う気にもならなかった。が、どきどきするのは事実で。 当然である。自分が恋してやまない相手が、目前で寝ているのである。
(堀内さんは寝顔を見られても平気なのかな?)
 女心はわからないが、自分は恥ずかしかったので考える。
(まあ、熱もあるし、思考も麻痺してるのかもな)
 もう一度孝子の寝顔を見る。
 本当に綺麗だ。長い睫が閉じられた目を縁取り、形のいい鼻と愛らしい唇がある。その唇は少し開かれている。癖の無い肩までの黒髪が、枕に広がっていた。 見れば見るほど魅入られてしまう。
(駄目だ。気が変になりそう)
 この唇を未来で奪う誰かに治雪は嫉妬した。天使の唇を奪うなど、許されない。それならいっそのこと……。
 治雪はゆっくり立ち上がった。駄目だ、という心とは裏腹に、孝子のそばに近づき、その顔を凝視する。
 そして。
 孝子の唇と治雪の唇が触れる寸前で、治雪は勢いよく身体を孝子から離した。
(犯罪だ。本人の意思を無視して、俺は何を!)
 そう思って、椅子に座りなおす。
(それに、俺が欲しいのは唇じゃないはずだ。もちろん唇もだけど)
 時計の針は、もう午前二時をさしていた。
 なんだか、一人悶々としている自分が虚しくなってきた。
 孝子の心は孝子のものだ。当たり前のことをいろいろ考えても仕方がないのだ。
 そう思うと、あくびが出た。そして暫くすると、治雪は眠りに落ちていった。


 朝の光に目を覚ますと、身体のあちこちが痛んだ。
(あれ? 何で俺、椅子で寝てるんだっけ?)
 そう思って、昨夜のことを思い出し、孝子のベッドに目を移すと、孝子はいなかった。そして、自分には毛布がかけられていた。
 どこに行ったんだろうと思いながら階段を下りる。すると、リズミカルに刻む包丁の音がした。
「?! 堀内さん?」
「あら、起きた? おはよう、春日君。昨日は本当にありがとう。今、朝食を作ってるから食べてから帰って。ね?」
 孝子の手料理、それはかなり魅力的だが、その前に。
「堀内さん、寝てなきゃ! 風邪なんだから!」
 叫ぶように言うと、孝子はにっこり笑った。
「それが、春日君が看病してくれたおかげか、凄く今朝は調子がよくて」
「そう、それはよかった。でも、まだ安静にしてないと」
「はいはい。春日君は心配性ね。朝食を食べたら、また寝ておくことにするわ。
あ、そこの食器取ってくれる?」
 まだまだ言い足りないが、気がつくと治雪は反射的に孝子の言うことをきいていた。
「ありがとう」
 テーブルにベーコンエッグとサラダ、チーズトーストが並べられた。
「好き嫌いは無かった? 大丈夫?」
「うん、無い」
 そして、二人は食卓につき、朝食をとる。
 なんだか、妙な感じである。新婚みたいな、と考えて、治雪は慌ててその妄想を頭の隅に追いやった。
「堀内さんは朝は洋食なんだね」
「春日君のところは和食なの? じゃあ、そうすればよかったわね。ごめんなさい」
「いや、俺はどっちでもいいし、堀内さんの作ったものを食べれるってだけで、もうなんか天国にいる気分だよ」
 正直な気持ちが口からでてしまった。孝子はちょっと顔を赤らめて、
「そ、それは、よかったわ」
 と言った。
 そして。孝子はさらに顔を赤くして、視線を下げた。
「あの……、春日君の手、春日君の優しさが伝わってくる感じだったわ。だから安心して眠れたんだと思うの。本当に、ありがとう」
「そ、そう? よかった」
 治雪は昨夜のことを思い出して声が裏返った。孝子が口にしなければ、夢のような感じがしていたからだ。眠っている好きな人の手を握り、そばにつきっきりでいるなど、考えてみたら、恋人がするような行為である。
 その後、二人は無言で朝食を食べ終えた。視線を交わすことさえなんだか恥ずかしくなり、治雪はずっと下を向いていた。
 治雪は「身体に障るから」と無理矢理皿洗いをかって出て、洗い終わると、家に帰ることにした。
「本当にありがとう、春日君。また学校でね」
「うん。
あの。
朝食美味しかったよ。ご馳走様。まだ無理しないようにね。じゃあ、また学校で」
 玄関で挨拶を交わすと、治雪は家路についた。
 これで、また、元通りの毎日が戻って来るわけだ。それはかなり残念な気がしたが、孝子が元気なのが一番だ、と自分を納得させた。

            「治雪の場合」7に続く

          感想やコメントを頂けると喜びます。
アルファポリス「第3回青春小説大賞」(開催期間は2010年11月1日~2010年11月末日)にエントリーしています。

よろしければ、
のバナーをクリックしてくださると嬉しいです。(このバナーは「高校生日記」ようです)

拍手[0回]

PR
高校生日記最終回「治雪の場合」7

*天音です。おはようございます。

このブログは小説を掲載しております。
高校生日記は続きものですので、できれば、最初から読んでくださると嬉しいです。







センター試験当日の朝。

天気は冬にしては珍しく快晴。太陽の光の暖かさを冬だからこそ余計に感じる日だった。
「春日君、一緒の大学行きましょうね。まずはセンター、緊張せず受ければ大丈夫よ」
孝子の心強い言葉に、
「うん」
と頷いたものの、心は弱気だった。
(行けたらいいんだけど)
ふう、とため息一つ。
(いや、行くんだ。同じ大学に)
そして、様々な思いを、様々な人が抱えてセンター試験に望んだ。




「朝希さーん!」
「卒業なんて嫌ですぅ!」
「朝希、ボタン頂戴!!」
まだ蕾の桜の木の下で、もみくちゃになっている女子の姿が見える。
確か、前田朝希だったはずだ。
「駄目なの! 朝希ちゃんの第二ボタンは私がもらうの!」
朝希の前で埋もれながら叫んでいる女子がいる。
あれ? 翔の彼女じゃないか。
「そりゃないよー、梨呼ちゃんー」
案の定、翔が苦笑している。
「翔君のボタンもちゃんともらうんです。でも、朝希ちゃんのボタンも譲れないんですー!」
(あの娘あんな娘だったっけ?)
そこへ、もう一人の男子がやってきた。バスケ部の花形だった竹田広大だ。
「馬鹿言っちゃいけないよん。朝希は俺のもの。だからボタンも俺のもの。わかるかなー? 藤木さん」
「これは譲れません!!」
「梨呼。わかった、第二ボタンは梨呼に渡すから……。
って、広大、あんた男でしょ? 普通私に第二ボタンくれるはずでしょ?」
広大にくってかかる朝希。すると、
「ジャジャーン! そういうと思って第二ボタンだけは死守しました。どうぞ、姫」
と広大が朝希にボタンを渡した。きゃあきゃあと歓声があがる。
自分には縁遠い人たちだと治雪はそれを遠くから見ていた。佐々木はというと、案外ボタンが減っていた。
(どうせ、俺は帰宅部で、地味な三年間を送ってましたよ)
と思っていると、女子たちと写真を撮り合っていた孝子と目が合った。孝子は女子たちに何か告げると、治雪を見てにっこり笑って近づいてきた。
(この笑顔も見納めかもしれない。よく見ておこう)
なんて思っていると、孝子が治雪のもとへたどり着く前に後ろから肩を叩かれた。
どうせ、佐々木が自慢でもしに来たんだろうと思いながら振り返る。するとなんとなく見覚えのある女子が二人立っていた。
「あのぅ、覚えてますか? 一年のとき、一緒のクラスだったんですけど」
「そのときから、ずっと好きでした。ボタンください」
二人から言われ、目を白黒させていると、逆側の肩を誰かが叩いた。
そして。
「治雪君、第二ボタンはとっておいてね。約束でしょ?」
(え?)
治雪は眩暈を覚えた。もう何がなんだかわからない。
しかし、その声は間違いなく孝子のものであった。
(『治雪君』だって? 
それに、第二ボタン!? ええ?!)
孝子はにっこり笑っている。
「昨日電話で約束したじゃない?」
(してません)
「えーっと。……。
ごめん、第二ボタンはそういうことなんだ。他のでよければ、あの、俺のでよければ……」
「それでもいいです。ください」
と言う二人にボタンを渡して孝子を見た。
「はい、『孝子』さん」
孝子さん、に力を入れて言いながら、第二ボタンを孝子に渡す。
すると、孝子は本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう! 欲しかったんだ、治雪君の第二ボタン」
「……」
女心は本当に解らない。多分一生解らないだろう。



そして、桜散る四月。風も暖かくなり、あたりの気配が春を告げる中、
「治雪くーん、こっち!」
スーツ姿の「彼女」、孝子に手を上げて治雪はK大学の門をくぐった。 


高校生日記 おしまい

感想やコメントを頂けると喜びます。

次は「空の時間」でお会いしましょう。


 ランキングに参加しております! 下2つの他はプロフィール下にございます。 よろしければ、ポチっとしていってください! 励みになります! ・「高校生日記」が気に入ったらクリックして投票してください ネット小説ランキング>【現代・恋愛 シリアス】>高校生日記 アルファポリス「第3回青春小説大賞」(開催期間は2010年11月1日~2010年11月末日)にエントリーしています。 よろしければ、 のバナーをクリックしてくださると嬉しいです。(このバナーは「高校生日記」ようです)

拍手[0回]

天音花香です。こんばんは。

早速、「高校生日記」を読んだ下さった皆さん、ありがとうございます!
本当に嬉しいです!
クリックをしてくださった方もいらして……。
天音は幸せ者です。

共感できるところも、できないところもあるかもしれませんが、
彼らの成長を見届けて頂けたら本当に嬉しいです。


さて、アルファポリス「第2回青春小説大賞」のことなんですが、
どうやら、私は勘違いしていたようで、
今は、まだエントリー段階のようで、
期間は2009年11月1日~2009年11月末日
ということです。


ですので、
できれば、その期間にクリック頂けたらと思います。

よろしくお願いいたします。

これからも小説載せていこうと思っていますので、
どうぞ暖かい目で見守ってください。

コメントとか頂けるととっても喜びます。

それでは失礼します。

拍手[0回]

再び天音です。

こんばんは。


えっと、登場人物紹介をしておこうと思いまして、書いております。


藤木 梨呼(ふじき りこ)

・・・「梨呼の場合」の主人公。男性恐怖症で、いつも親友の前田朝希の後ろに隠れている。百五十二センチの華奢な身体。黒く真っ直ぐなストレート のセミロングの髪。小動物のような大きな瞳。小さい口にふっくらとした赤い唇。可愛らしいという言葉が一番似合う少女。



前田 朝希(まえだ あさき)

・・・梨呼の王子役をかってでている少女。サラサラのベリーショートの髪。切れ長の目。薄く、形のいい唇。長い四肢に、細身で長身で、一見だけでは「格好いい」という表現が最も似合ってしまう女子。バスケット部に所属していて、女性ファンも多い。
広大とは幼馴染であるが、朝希は広大に片思いをしている。



竹田 広大(たけだ こうだい)

・・・朝希とは家が隣同士で、幼馴染。男子バスケ部の部長だが、そのほとんどの仕事は副部長の羽柴翔に任せている。バスケの腕は素晴らしい。お調子者、自信満々、自己中心的だが、なぜか女子にもてる。背が高く、体格もがっしりしている。



羽柴 翔(はしば かける)

・・・バスケ部副部長で、学級委員長。責任感が強く、性格は穏やかで、優しいが芯はしっかりしている。背がすっと高い。3Pシュートを得意とする。容姿端麗で、性格もいいので、ひそかにあこがれる女子も多い。


春日 治雪(かすが なおゆき)

・・・容姿といい、性格といい、どこにでもいるような、平凡な男子。特徴といえば、素直で若干幼いこと。現在の生活にどこか不満を感じている。


堀内 孝子(ほりうち たかこ)

・・・翔と共に、学級委員を務める女子。華道部の部長でもある。長い睫、形のいい鼻と愛らしい唇。癖の無い肩までの黒髪。しっかりした、大人な女子。色々苦労をしているようで、また、誰かに片思いをしている様子。


サブキャラクター

佐藤 真樹(さとう まさき)

・・・中学から朝希と一緒の学校だった様子。心優しく、やや恥ずかしがりな男子。


佐々木(ささき)

・・・治雪の親友で、書道部の部長。やや大人びた性格で、治雪をサポートしている。実は結構人気のある男子。
(名前をつけていないので、募集してみたり・・・)


以上が登場人物になります。
どなたか絵とか描いてくださる方とかいたらとても喜びます。


アルファポリス「第2回青春小説大賞」(期間は2009年11月1日~2009年11月末日に)エントリーしています。

よろしければ、
のバナーをクリックしてくださると嬉しいです。(このバナーは「高校生日記」ようです)

拍手[0回]


こんばんは、天音花香です。

「高校生日記」は楽しんでいただけましたでしょうか?
こちらは、「空(そら)の時間」というまったく別の小説になります。
蒼は感情移入しにくいキャラクターかもしれませんが、
この子も温かい目で見守ってくださればと思います。


    「空(そら)の時間」
 

登場人物


立野 蒼(たての あおい)
・・・短い髪、小麦色の肌をした、一見男子のような中学一年生の女子。陸上部でハイジャンをしている。空が好き。中学生になり、複雑な思いを抱えている。


青木 澄広(あおき すみひろ)
・・・一見平凡な男子だが、笑顔がとても素敵。彼の周りにはよく人が集まる。ハンドボール部に所属している。


       一


「ねえねえ、浅野君見た?」
「見た見た。髪切ってかっこよくなったよねー?」
「やっぱり? 私も思った!」
廊下で女子とすれ違う度に聞こえてくる、高く、華やいだ声。
自然と目に入ってくる濡れたように艶のある唇。自前だとは思えない、長くカールした睫と、綺麗に形の整えられた眉。そして彼女たちが去った後に残るのは甘いシャンプーだか香水だかの香。
(女臭い……)
「……」
あたし、立野 蒼(たての あおい)は、女子とすれ違うとき、自然と眉間にしわが寄り、急ぎ足になる。息さえ止めているときもある。
そんなときに感じる、同学年の女子が得体の知れないものに変わっていくような、妙な感覚があたしは嫌いだ。
思わずくんくんと自分の臭いをかいで、安堵のため息をつく。
自分は違うと思いたかったし、実際違うと思う。

あたしは陸上部に所属し、ハイジャンを種目としている、中学一年生。七月は中体連がある。ハイジャン選手がうちの学校は少ないので、あたしが出られる可能性も十分あるのだ。
毎日夕日が沈むまでグラウンドを走り、自分の背丈に近いバーを跳ぶのに精一杯。部活がきついので、授業はうとうとしながら受けているが、決してやる気がないのではない。多分。
すべきことはたくさんあって、そのどれもが待ってくれない。だから、くだらないことに時間を割いてなんかいられない。
そう思っていた。
同い年の女子たちのように、自分の容姿に気を配ったり、色恋に現をぬかすなど、無駄なことだと。
それなのに。
青い空を見ると、思い出してしまうのは何故なのだろう。
(ああ、眩しいからか)
「青木、元気でやってるのかな……」
自然と呟いて、ちょっと寂しくなって、それを振り払うかのように頭を振った。
自分に特別な男子ができるなんて、想像もしていなかったことだ。特別ではあるけれど、恋とかそういうものではない、はずだ。
(判らない……)
この気持ちを何と呼ぶのか。
でも、青木は、青木 澄広(あおき すみひろ)はあたしの中で、どこか他の男子とは違っていた。


 青木は特に目立つような男子ではなかった。よく話すわけでもなく、容姿もすこぶるよいわけでもない。
ただ、青木の周りにはよく人が集まった。休み時間ごとに、多くの男子たちに囲まれて談笑する青木の姿がよく見られた。青木が話の中心にいるかと思えば、そういうわけではなく、青木は笑いながら相槌を打っているほうが多かったのではないか。
そう。青木はよく笑っていた。青木の楽しそうな明るい笑顔は、見ているこちらまで嬉しくさせるような、快晴の空を思わせるような、眩しさがあった。
 その笑顔に惹かれてか、いつのまにか、あたしの視界に青木の姿が入ることが多くなっていった。自分も青木のいる男子たちの輪の中に入れたら、と思った。
小学生のときのあたしだったら、間違いなく、あの輪の中に仲間として入っていたはずだ。
数ヶ月前までは、実際そうだった。小学生のとき、あたしは男子の集団に属していて、様々な球技や、エアガン、テレビゲームなどを一緒に楽しんできた。あたし自身、男子の中にいる方が気が休まったし、男子も、あたしを女子とは見ていなかったようで、男子と同じ扱いをされていた。いつも家に連れてくる友人が男子だったため、母は心配していたようだが、そんなことはどうでもよかった。女子がグループを作り、どのグループに属すかで小競り合いをしているのを見て、うんざりし、くだらないと思った。どこに行くにも一緒、なのに、数日後には違うグループに変わっている、そんなものが友情だとは思えなかった。その点、男子は気が楽だった。何も考えず、日が暮れるまで遊ぶ。純粋に楽しかった。
 だが。
(この、忌々しいセーラー服! これが悪いんだ)
 中学校に入り、それまでほとんどスカートをはいたことのなかったあたしは、スカートであるセーラー服を着る羽目になった。

 それは女子である目印であった。

 それからだ。男子の態度が変わりだしたのは。
 もう彼らは仲間としてあたしを見てくれていないのが解った。何かが違うのだ。もう、球技にも誘われない。輪の中にも入れてもらえない。
 あたしは悔しくてたまらなかった。
(何が違うの? お前たちとどこが違うって言うの? あたしは変わってないのに……!)
 だから、青木のいるあの輪の中にも入れてもらえないのは解っていた。もっと青木を知ってみたい、友人になってみたいと思うあたしにとって、それはやはり悔しいことだった。


 青木の笑顔に惹かれたのはあたしだけではなかったようで、同学年の女子の口から、青木の名前を聞く機会が増えていった。その度にあたしは心がざわめくのを感じた。経験のない感覚だった。
 少し高めの媚びるような声で、青木の名前が囁かれるのは我慢がならなく、自分の想いは、彼女たちとは違うと思おうとした。だが、いつしか、あの笑顔を独り占めしたいと思った自分に愕然とした。
(この想いは何? 解らない。私もあの女子たちと同じなの? 
 いいや、違う。だって、私にとって男子は『仲間』だもの)


 あたしは自分の気持ちを量りかね、青木を見るのをやめた。そうしたらきっとまた以前と同じように戻れると思った。だが、見なければ見ないほど、青木のあの笑顔に対する執着は強くなる一方で、目を瞑ってもなかなか消えない青木の笑顔に焦がれる日々が続いた。
(なぜ、こんなに青木の笑顔が気になるの? 私にとって青木はどんな存在だというのだろう)
 初めての気持ちに、心は揺れるばかりだった。だが、実際、青木と付き合いたいという欲求はなく、やはりあたしの想いはどこか変わっていたのかもしれない。


 そんなときだ。青木は、突然、父親の仕事の関係で、転校することになったのだ。
 クラスにとってももちろん衝撃的だったが、あたしにとってはそれ以上だった。「見ない」のと「見られない」のは全く違う。見なくてもいつのまにか感じとれるようになっていた青木の気配。笑い声。それらが全く感じられなくなるのだ。
 青木と会えなくなる。
 世界が変わる……?


 分かっていても、何ができるでもなく時間は過ぎ、青木は転校した。あの笑顔だけを残して。
 あたしの初恋とも呼べないような淡い想いは昇華されることなく、胸の奥隅に抜けない棘のように残った。


 休み時間の度に、青木の周りに集まっていた男子たちは、青木が転校してからしばらく居場所を失ったかのような奇妙な感じでいたが、時というのは不思議なもので、そのような彼らの姿ももう見られなくなった。
 青木がいない時間は当たり前のように過ぎていき、違和感は日常の中に溶けて消えた。そんなものだろう。
 時間というものは全てを流し去ってしまう。留めておこうという意思がなければ、人の脳は段々過去の記憶を手放し、その分を新しい情報が埋めていく。あたしはそれが嫌だった。これからも青木のことを覚えていたい。そう思った。でも、あたしが覚えている青木はもう、過去の青木で……自分の知らない青木が毎日増えているのかと思うと、怖かった。
 唯一の救いは、青木と連絡をとっている男子から、青木の話題がたまにあがることだ。転校先でも、青木は変わらないようで、そんな青木の姿を想像するとき、教室にはちょっと幸せな明るい空気が漂う。そんな瞬間があたしにはたまらなく愛しく、そして切ないのだった。
(青木、今日も笑ってるのかな……)
 青い空は、あたしの中で、青木を思い出す鍵になっているようで、空を見上げると、あの眩しい笑顔を思い出す。
 やはり、ちょっと幸せな、それでいて切ない気持ちになり、でも、頑張る元気をもらって、あたしは今日も部室への足を速めた。



 中体連のバーは百二十五センチから。あたしの最高記録は百三十六センチ。あたしの身長は百五十八センチ。もう少し跳べるはずだ。
 練習はきついけれど、自分のペースで、自分の限界に挑むのは悪くない。何より、バーを越えるときの、一瞬が気に入っていた。浮遊感とともに視界が空に支配される瞬間。そしてマットの衝撃。世界が一瞬どこかへ飛んでいってしまうような感覚。
 その感覚に酔ったように跳び続ける。この部活時のバーを飛ぶ瞬間だけ、あたしは青木のことを忘れるのだった。


 授業、部活、睡眠の繰り返しで毎日が忙しく過ぎていくと、あたしの心の中で、青木の存在は段々と隅のほうに居場所を変えていった。もちろん失くなることは決してなかったけれど。
 そうしている間に七月を迎え、中体連も去っていった。
 あたしは一年生ながら、中体連に出ることができた。一日中肌を太陽が焦がす下で、バーを睨み、足を踏み出したその日の記録は百三十九センチ。
それまでの練習の成果は、たった二度の跳躍で判定された。もう少し跳べたのではと思うような中途半端な気持ちが残ったが、自分の種目が終わってからは、仲間の応援に徹した。
 中体連が終わると一気に力が抜けたような、焦燥感に襲われ、それは再び青木を思い出すきっかけともなり、ちりちりと心が痛む日々が戻ってきた。
(青木、元気でいるだろうか……)


 そんなときだった。



     二



 青木と親しくしていた都築という男子が、目を腫らして教室に入ってきた。
 空は快晴。あたしは自然と青木を思い出した。だが、その日は嫌な予感がした。
「みんな、聞いてくれ」
 都築の悲痛な声に教室中が都築に注目した。
「あ……青木が……」
 都築はそこまで言うと顔を歪めた。次の言葉がなかなか出せないようだった。
「青木がっ、死んだんだっ!」
 最後は搾り出すように叫ぶと、都築は大粒の涙を拭おうともせずに零した。教室は静まり返った。
 久しぶりに聞く青木の知らせが、こんな訃報だとは誰も予測していなかった
だろう。
「っ、飛び出した犬をかばってらしいっ!」
 あたしは。
 笑いが出そうになった。
 犬をかばって? 今どきそんな死に方する奴がいるわけないじゃないか。
 青木ならやりかねないという思いを無理やり隅に押しやりながら、あたしはかぶりを振った。馬鹿馬鹿しい。
 離れていても、眩しい青木の笑顔はこんなに鮮やかに思い出せるし、実際そうに決まっているのだから。
(死んだ? 死んだってなんだよ?)
 あたしはもちろんそんな事実を受け入れることはできなかった。教室から、すすり泣く声がどこからともなく聞こえてきても、腹が立つだけだった。
 なんでみんなそんな簡単に受け入れられるんだ? 青木は死んでなんかいない。ここにはいないけど、名前も知らない土地でちゃんと暮らしているんだ! すすり泣きは、やがて嗚咽となった。そんな中あたしは無表情に空を見つめるだけだった。

 認めるなんてできなかった。
 
 葬儀には、前学校元クラス代表として、都築が参列した。予想通り、全開の笑顔の遺影だったらしい。あたしはそれを他人事のように聞いていた。誰の葬儀だというのだ。
(信じられない。信じたくない)


 数年前、祖母の死を看取ったときもそうだった。死んだという事実を受け入れることができなかった。目前にある祖母の身体に魂が宿っていないという事実。この世に祖母がもう存在しないという事実。
 それはとても不可解に思えた。
 ここに寝ているのに?
 祖母の身体には温もりがなく、冷たかった。ただ、それだけだ。
 他人事のように進んでいった祖母の葬式。涙は出なかった。
 あたしが、祖母の死を受け入れられたのはそれから数週間たってからだった。お棺を閉めるとき、そっと触れた、冷たい祖母の頬の感触。思い出して、涙があふれた。
 人は死ぬ。
 ではなぜ生まれて来るのだろう。何のために生きるというのだろう。
(解らないよ)
 悲しさもあった。それより悔しさが勝った。神様はいない。そう思ったのを覚えている。



(青木。生きているよね? 灰になんかなってないよね?)
 現実じゃなくて嫌な夢を見ているとしか思えなかった。
 だから毎日に実感がなく、自分だけどこか違う世界で暮らしていて、周りが勝手に進んで行くような感覚だった。
 虚しい毎日が過ぎていく。ここ数日は部活にも身が入らない。すべてが色あせて見えた。こんなに世界はつまらないものだっただろうか。
 現実の中で居場所を失ったあたしの心は、空っぽのままだ。
 青木のいない世界なんてありえない。あってはならない。
 しかし。
 数日後、ふと空を見上げると、秋の目の覚めるような快晴が広がっていた。開けられた教室の窓からは気持ちいい秋風が入ってきて、あたしの頬を優しくなでた。
 何の変哲もない日常。ただ青木がいないだけで。
「……」
 あたしは呆けたように空を見た。そして、青木の笑顔は、秋の快晴の空というよりかは、春の晴れた空だよな、なんてふと思った。暖かい柔らかな春の快晴。
その瞬間、不意に視界がぼやけてきた。
(嫌だ。認めちゃ駄目だ。違う!)
 しかし一度溢れ出した涙は、ノートに大きな染みを作り、それがきっかけとなっていく筋もの涙がノートをめちゃくちゃにした。
(青木、いないの? 本当に死んでしまったの?)
 青木が死んだというのなら、青木の一生はいったいなんだったんだろう。あまりにも短いその一生に青木は何を見い出せたというのか。
(嫌だよ。青木。死んだなんて嘘だよ! なんであんなに良い奴がこんなに早く死ぬんだよ! おかしいよ!)
 あたしの涙は止まらなかった。


 
      三



 青木の夢を見ることはよくあることだ。この日も夢の中で青木は明るい笑顔
を見せていた。
(……青木……)
 夢で見る青木はいつも笑っている。見ている者も嬉しくさせるような、眩しい輝き。青木のいない日常より、青木のいる夢の世界の方があたしにとっては幸せだった。
(ほら、青木は生きている。笑っているんだ)
「――」
 (? 何だろう)
「――」
 幻聴だろうか? 何か聞こえる。
「た・て……の」
 あたしを呼んでる? 
 それに、この声……。
「立野? あのー、立野蒼さん?」
 ぼんやりと聞こえてきたそれは間違いなく青木の声だった!
「はあ……。立野ぉ。そっちが呼んでて……」
 あたしは喜びに胸が震えた。青木、やっぱり生きてたんだ。
(よかった……!)
 きっとすべて夢だったのだ。
「青木……よかったよ……。生きてて……」
 夢現で瞼が重くて開けられなかったけれど、あたしは声だけを出していた。これでまた青木の存在する日常生活が戻ってくる。目を覚ませば悪い夢はどこかへいくのだ。開かない目から、熱いものがあふれてくる。だが。
「いや、俺は死んだ。死んだんだ」
 今度はしっかりと青木の声が聞こえてきた。まるですぐそばにいるように。認めたくない言葉を青木自身の、どこか冷めたような声で聞いた。
 聞いた? 
 これは現実? それともまだ夢なのだろうか?
 夢だとすれば嫌な夢だ。本人に断言される夢なんて。目を覚まさないと。夢でくらい幸せでいたいから。ベッドの上で目をこすり、うっすら目を開けるとぼんやりと人影が見えた。
 人影……?
 一気に目が覚めて、弾けるようにベッドから身を起こした。
「!?」
「しー。大声を出すのはなしな」
 唇に人差し指を当てた、人影は、間違いなく青木だった。
「……」
 状況が把握できない。思考が停止する。
(青木がいる。しかも。あたしの部屋に?)
 ……とりあえず。
「本物? 青木?」
「ああ。正真正銘青木だ。でも、残念ながら生きてない」
(……。ここにいるのに? 生きてなくてここにいる……?)
 あたしは混乱しながらも、無理矢理青木の足元に視線を移動させた。幽霊であれば足がないというじゃないか。
 だが、足はあった。ただそれは地面についてはいなかった。
(う、浮いてる!!)
 あたしは気を失いそうになるのをなんとか堪えた。
「……」
 青木本人はというとあたしの視線に気づいて頭をかきながら、困った笑みを浮かべた。
「うーん。まあ、予想通り、幽霊って奴みたいなんだよね、俺」
 幽霊を見るなど、初めての体験だった。その割にあたしはかなり落ち着いていた。別の意味では落ち着いていなかったが。
 幽霊でもなんでもいい。青木がいる。それはあたしを嬉しくさせた。しかし。
(待って。ここはあたしの部屋。しかも寝起き。え? え? えー?)
 思考が再び動き出し、またもや混乱した。
「……青木。あたし、一応、パジャマなんだけど」
「ああ、それパジャマなの? Tシャツに短パン。立野らしいよな。
毎日ハイジャンの練習してたよなー、確か」
 自分を思ったより知っている青木に驚いた。でもその反応は何か違うような……。
「ち、違うよ。そういうことじゃなくてさ。青木。今は夜で、ここは一応、女子の部屋なんだけど」
 言って自分でも驚いた。私にとって男子は仲間なはずなのに。なのに、なんだかくすぐったいような、変な感じがした。青木にこんな姿を見られるなんて。
 青木はというと、小さく「あっ」と言い、少し顔を赤らめた。
「わ、悪い。
でも、でもだな、その、他意は全くなくて、気が付いたらここにいたというだけで……」
 青木にもその理由は解らないらしく、ただただうろたえていた。
「……ま、仕方なかったみたいね。いいや、ちょっと顔を洗ってくる」
 幽霊になってしまった青木。それはなぜなのだろう……?
 顔を洗って、開き直ったあたしは、再び部屋で青木と対峙した。幽霊になるからには、何か現世に強い想いを残しているのかもしれない。そうだ、あれだけ短い人生だったのだから当然だ。
 あたしは自分にできることなら役に立ちたいと思った。青木の笑顔には何度も助けられてきたから。
 それに、それが果たされるまで青木のことを見ていられるのだ。一緒に入れるのだ。不謹慎だがそれはあたしにとって嬉しいことだった。
「青木、今まではどこにいたの? 青木が死んでから、数日経ってるんだけど」
 死んでから、という言葉を口にしないといけないことに、胸に痛みを覚えながらも、あたしは青木に訊いた。
「そうなのか? 記憶はないな。気が付いたときはここに……」
 ここに青木の何かがあるというのだろうか。
 あるとしたら。
(……。あたしに少しでも特別な感情を抱いていた、とか?)
 ふと思い立ったことに自分で馬鹿馬鹿しくなって、小さくため息をついた。 
(馬鹿だな、あたし。偶然に決まってる。
でも、まあ、でも好きな人とやらがいてもおかしくはないよな)
 心の奥でそうあって欲しくないと思いながらも、あたしは訊いてみることにした。
「青木にも好きな人とかっていたの? 多いじゃん。中学になってからその手の話。それで、幽霊になってまで、現世に残っちゃった、とか? でも恋愛相談するんだったら、あたしはむかないよ。だってあたしには理解できない感情だから」
「えーっと……。俺異性に対して特別な感情抱いたことないんだ。みんなそれぞれいいとこも悪いとこもあるし、よく解らないんだよね」
 じゃあ、好きな人に対する未練ってのは没ってことか。
(なんだ、青木も好きな人いなかったんだ。あたしと同じじゃん)
 なぜか嬉しくなっている自分がいた。
「家族は? 兄弟はいるの?」
「二つ下の弟が一人」
「かなり心配な子?」
「いや、俺よりしっかりしているような」
 ――青木には未練なんかなさそうな気がするのは気のせいだろうか。
「部活はハンドボールだったよね? レギュラーだったっけ? 試合はどうだったの? 悔いないところまで頑張れた?」
「よく知ってんな。悔いはないよ。予想してたより随分勝ち進んだし、勝つよりも仲間とハンドをしてんのが楽しかったんだよね」
 ふう。
 あたしはなんだか疲れてため息をついた。
 そうだ。あたしの知っている青木はこういうやつだったじゃないか。そう、一日一日を楽しんでいるようなやつだった。
「うーん、でも、死んだショックで未練自体を忘れているのかもしれない。あ
たし、明日も学校あるし、寝るから。気長に理由を探そう」
「いや、でもさ、俺、未練なんてないと思うんだけど。俺は俺なりに精一杯生きたから」
 青木はしっかりと自分の死を受け止めていた。短くても、未練はなかったと……。
 あたしは複雑だった。本当に青木はそう思えているのだろうか。あたしだったらどうだろう。毎日やるだけのことはやっているつもりだけれど、明日死んだら、未練なしでいられるだろうか? 
(あたしじゃ、無理だな。
それに、青木だって未練がないなら、なんでここにいるのさ)
 あたしの疑うような目線に気づいてか、青木は苦笑いをした。
「まあ、でも立野がそういうなら、原因探しとやらをやってみようかな……」
 なんとなく無理矢理言わせたようで、罰が悪いと思っていると、青木は今度は全開の笑顔を見せた。
「立野っていい奴なんだな。俺のためにこんなに遅くまで、ありがとな」
 ああ、この笑顔、やっぱり青木だ。でも、今いる青木は、幽霊なのだ。本当に信じられない。こんなことってあるのだろうか。
 あたしは一つ嘆息すると、無理矢理に笑顔を作って青木を見上げた。
「別にいいよ。これもなんかの縁。力になれるなら、なるよ。
そうそう。明日学校に着いて来るのもいいけど、実家とかにも行ってみたら? 何か思い出すかもよ。
それから、一応、あたしも女だから、寝てるとき、トイレのとき、お風呂のときは近くにいないでね」
「それぐらいは心得てるよ。今日は仕方なかっただけで……。それじゃおやすみ。俺どっかいっとくわ」
「……おやすみ」
 青木と寝る前の挨拶を交わすというのがなんだか不思議で、くすぐったかった。あんなに遠かった人なのに。人生は不思議だ。
 自然と微笑んでる顔を隠すように布団をかぶると、たちまち睡魔に襲われた。

 ――でも勘違いしちゃいけない。青木はもう死んだ人なんだから――
 



 あたしは朝に弱い。毎日起きているのか寝ているのかわからない状態でトーストを黙々と食べ、サラダを口に押し込む。そして部活の朝練に出るのだ。
 起きてみると、昨夜のことは夢のようで実感が湧かなかった。だから、焦げ気味のトーストをガジガジと食べているときに、頭上から、
「おはよう。目、ちゃんと覚めてるのか?」
という青木の声がしたときは一瞬、頭が真っ白になった。
 そうだった。昨夜からあたしには、そう、あの青木の幽霊がついてる(憑いてる?)のだ。
「……おはよう。朝は弱いの」
 とにかく、朝錬に遅刻すると部長から地獄の課題を出されるので急がなければ。
「いってきまーす」
 教科書は部室に置き勉しているので、ほとんど空のスクールバックを手に、あたしは学校まで軽くジョギングをする。朝錬の前錬みたいなものだ。そうしているうちに目が覚めてきて、朝日を見る余裕などがでてくる。日課のようなもの。でもやはり、毎日朝日は美しいし、その光をいっぱいに浴びると、身体中にエネルギーが満たされる気分になるのはなぜだろう。
「立野はこうやって毎日学校へ行くんだな。なんだか自分以外の人の生活を見るのって楽しいな」
 青木は心から楽しそうに笑ってる。
 青木がいつも笑っていたのって、人より楽しみを多く見つけられるからなのだろう、とあたしは思った。
 ただ、こんなに近くでそんな顔をされるのは反則だ。でもその反則は、嬉しいもので、青木の笑顔が自分だけに向けられていると勘違いしてしまう。
「ハンドボール部も朝錬あったでしょ?」
「あったよ。でも陸上部ほどきつくはないんじゃないかな」
 その通り。あたしの学校の陸上部の朝錬はとにかく四十分間延々とジョグとダッシュを繰り返す、横っ腹の痛くなるものである。他の運動部は、十五分後から各部特有の練習に入るのだが、陸上部は走る部である。だから、ひたすら走るのが朝錬である。あたしは走ること自体はそんなに好きではないので、朝からどうして跳ばせてもらえないのかなと思っていた。朝の空に支配されるのは、夕方とはまた違った感覚だろうに、と。
 そんな考えに浸る暇もなくジョグとダッシュ地獄を今日もこなし、あたしは着替えて教室に入った。と、そのとき青木の声がした。
「俺、ちょっといろいろ見てくる」
 願ったり叶ったりだ。授業中の自分を見られたくはなかった。問題を解けずに悶々とする姿や、時折居眠りをする姿などを青木に見られていいはずがない。ところが、青木は予想より早く戻ってきて、親切にも数学の解き方の間違いを指摘したり、英語の和訳を訂正してくれたりしたのだった。
(青木って頭よかったんだ……)
 そんなかなり不本意な授業を終えたため、部活にいくときは自然と足取りが軽くなった。
 今日も雲ひとつない快晴だ。秋の空は遠く見えるのに、ほかの時期よりも一段と青色が濃く、光って見える。涼しい風も気持ちいい。こんなときに小さな幸せを感じるあたしだった。
 そのときだった。
「空見上げるのって、立野の癖なの?」
 青木の声が降ってきた。
「そんなに見上げてた?」
 さすがに空を眺めながら、青木の笑顔を思い出していたとは言えない。
「ああ。授業中も。眩しそうに」
「昔から空って好きなんだよね。毎日姿を変えるし、そのどれもが綺麗じゃない? 
 ……幼いころ、空は、地上に存在るみんなの想いを吸い込んでいるから毎日変わるんだろうなと思ってた。だって人の想いも毎日変わるでしょ?」
 空は想いの結晶のようなものだと。だからあんなに美しいのだと、小さなあたしは思っていた。チリが青く光るという夢のない現実を知ってからも空好きは変わらない。
 でも、最近は思う。人の想いは美しいものだけではない。人の心にはもっと汚い想いや、複雑な想いがあるのだ。綺麗なだけの空とは違うのだ。それは悲しいことだが、人の汚い面から目をそらすほど、あたしはもう幼くはない。
 あたしが複雑な顔をしていると、青木はちょっと驚いたようにあたしを見つめていた。
「立野って、変わってるって言ったら失礼かな? 空見てそんなこと考えてたんだ。なんか新鮮だな。
あ、でも俺の親父もそんな感じだったのかもしれない。俺の苗字って青木だろ? 澄広って名前。青くて澄んでて広い。空の好きな親父がつけた名前なんだ」
 あたしは微笑んだ。
 そうかー、名前の通り育って、青木は快晴の笑顔なんだ、と勝手に納得した。
「? 何で笑うんだ、そこで」
「うーん、言っても解んないだろうけど、青木は名前の通りに育ったんだなと思って」
「俺が空? やっぱり立野って変わってるかも」
 あたしはその言葉に目を細めて頷いた。どこか自嘲的な目になっていたと思う。
「そう。変わってるんだ。
あたし、人と違うの。特に同い年の女子とかと。だから、あの娘たちの思考回路とか行動とか解んないの。男子のほうが解っていたかも。……でも今は男子の心ももう解らない。あたしはどこにも属してなくて、それは属してたくないからかもしれないし、属せないからかもしれない。
でもいい。あたしは跳べるから。大好きな空でいっぱいになれる。他はいいや」
 本当は逃げているだけかもしれない、という思いはかき消して、あたしは空を仰いだ。
 青木はちょっと戸惑った顔をした。でもすぐに、
「それか。少し解った。
 俺、立野を覚えてたのってたぶんそのせいだ。持ってる空気が他の女子と違うなと思って。部活ばっかりやってたし」
「ふーん」
 やっぱり自分は浮いてたのか、ということを他でもない青木の口から再認識させられて、あたしは複雑な気持ちになった。でも、仕方ないことだ。事実なのだから。
「これから、三時間ぐらい部活ばっかだよ? どっか行ってたら?」
「いや、面白そうだから見とくよ」
「そ? じゃ、行こうか」
 だが、ずっと青木がそばで見ているというのは、思った以上に気が散るものだった。
「立野! 集中してる? フォームが乱れてるからバーを越える前にバーに肩があたるんだよ?」
 同じ種目の西月に怒られた。西月は女性から見ても格好いいと思えるような先輩で、あたしにしては珍しく心を許している人だ。
「すみません」
 いつもはしないようなミスで、バーを落としてしまっている。青木がそばにいると思うと、緊張してしまって、普段のように跳べないからだ。でも今はバーに集中しないと。大好きなハイジャンなのに。あたしは、一度頭を軽く振って、バーをにらんだ。
 半円を描くように助走し、なるべくバーと平行になるように跳ぶ。
 きた! 
 浮遊感。全視界が淡い桃色になったのは一瞬。トスッとマットに体が落ちた。
「その感じだよ。助走しても、その場跳びの時のバーとの平行の感覚を忘れちゃだめだよ!」
「はい!」
 やっぱり気持ちいい。
 バーを落とし、その上に背中から落ちたときの痛みは尋常でない。一度経験すると、跳ぶのが怖くなるという部員は多い。あたしも初めてバーの上に落ちたときはそうだった。
 でも。跳べた時の快感はそれ以上にあたしを跳ぶことに駆り立てる。
 桃色から橙に、そして緑、紺と色を変えていく空に支配されるがままに、あたしは跳んだ。いつのまにか、青木の視線が気にならなくなっていた。



「退屈じゃなかった? 」
「いや、全然。
気持ちよさそうでいいなと思った。もう俺にはボール、掴めないからなー」
 秋の夜風が心地よい。どこか懐かしさを感じさせる虫の声。どこからともなく漂ってきた夕飯の匂いが鼻をくすぐる。空には満月からは少し欠けた月が煌々と全天を照らしている。こんな夜は……。
「跳んでるときに見る月も綺麗だろうね」
 ふと青木が呟いた。あたしも同じことを考えていたから驚いた。
「ハイジャンって、身近で初めて見たけど、とても綺麗だね。背中の反りがしなやかで。バーを越える瞬間、立野にはどんなものが見えているのかな」
「空だよ。空に支配されて、その中で浮いてる感じ。そのときは時間が止まってるみたいなんだ」
「本当に飛んでる感じなんだね。気持ちよさそうだ」
青木はまた眩しい笑顔になった。でもそれは、いつもとどこか違っていた。
「青木?」
「ん?」
「どうしたの? 何か、あった?
……そうだ、実家はどうだったの?」
「母さんがいつもと同じように掃除してたよ。でも、仏壇に手を合わせるときは、泣いてた、かな」
 遠くを見つめながら、青木は言った。
「……」
 残された者はつらい。そして、幽霊になった青木はそれを見てきてしまった。それはどんなに苦しいことだろう。
「立野」
 青木はじっとあたしを見つめて、急に真剣な声を出した。あたしも構えるように青木を見た。
「今日、いろいろ回って判ったことがあるんだ」
「うん」
「俺には五感がなくなっている。幽霊だから当たり前かもしれないけれど。いや、視覚は少しあるかな。でも遠くから見ているように、ぼやっとしか見えないんだ。現実感がない」
「でも唯一例外があるんだ。立野のそばにいるとき。そのときは視界もはっきりするし、風の感触や、夕飯の匂いもわかるんだ。教室のざわめきも、空の色も……」
「?!」
「なぜかは判らない。でも俺は幽霊だから、五感がないほうが正しいあり方なのかもしれない」
「じゃあ……」
 青木はあたしのもとを去ろうとしているのだろうか?
「……」
 青木は言うのをためらうような、そして苦しさと哀しさが混じったような顔をした。青木のこんな表情を見るなんて。
「青木! 先を続けて。青木はどう思ったの? これからどうしたいの?」 
「立野。五感がないのはとても苦痛なんだ。そのまま溶けてしまうような気分になる。でも昇天できない。それが苦しいんだ。
 なんで俺は幽霊になんてなっちゃったんだと思う。こんな、中途半端な残り方は嫌だ。耐えられない」
 苦しげな言葉が放たれた。
 こんな青木、見たくない。青木は笑顔が似合うのに。
 ――と、青木はあたしにすがるような目を向けてきた。そして深く頭を下げた。
「な、何? どうしたの?」
「立野。迷惑なのは解っている。一日中観察されてるようなものだもんな。でも、もし立野が許してくれるなら、立野のそばにいさせてほしい。
いつまでも幽霊のままなんてありえないと思う。だから、昇天するまでの間、感覚だけは保っていたい。生きているときは当たり前すぎて解らなかったけれど、五感のない無の世界に、自分の意思だけが存在する状態は、きつすぎるんだ。頼む! それに……。
もう実家には帰れないよ……」
 あたしと共にあるということは、あたしの全てを見られるということで……。
確かに、青木から見られるのは死ぬほど恥ずかしい。今日だけでそれはよく判った。でも。あたしは青木にこんな顔をさせるのは嫌だった。青木には笑っていてほしかった。もともと青木を見られることがあたしの楽しみだったのだ。今度はいわば逆の立場になるだけだ。昨夜青木を助けたいと思ったことは嘘じゃない。
「そんな顔、青木には似合わないよ。ほら、顔上げて。もともとそのつもりだったから、気にしなくていいよ。あたしのところに現れちゃったのも何かの縁。青木を天国に行かせてあげれるよう頑張るだけだよ」
 青木は安心したような笑顔をやっと見せた。
「すまん。恩に着る。本当にありがとう、立野」
「ま、よろしく、青木」
 笑顔を正面から向けられて、思わず赤面したあたしは、ちょっと下をむいて誤魔化すようにそう言った。


       四


 立野の生活は、半眠りの朝食から始まって、朝錬、授業、部活、睡眠のほぼ繰り返しだといってもいい。
 でもなぜか見ていて飽きない、と俺、青木澄広は思う。
 朝錬はそんなに好きではないようだが、なのに一生懸命走ってしまっている立野は微笑ましい。授業中の立野はさらに面白い。睡魔と闘いながらも、解らないところを理解できるまで考え、理解できないときは必ず授業後質問に行く。
 そして、何度も窓から空を見上げては、嬉しそうに目を細めている。
 そんなときは、次の瞬間はっと我に返って、気まずそうに俺の方を見るのだ。そんな立野に思わず笑顔を返すと、ますます立野は気まずそうに教科書に視線を戻す。なんだかその様子は可笑しくて吹き出しそうになってしまう。
 給食時間は、黙々と食べる。一応班の人の話に頷いているのだが、多分あれは耳に入って抜けていってるだけだろう。無愛想そのものだ。
 そして午後の授業を終えると、一日でもっとも楽しげに部室に駆けていく。そのときも必ず空を仰ぐ。そして大きく伸び。
 最近は俺も真似をしている。
 そして感じる。空は本当に綺麗だと。毎日毎日微妙に色や形を変えるから見飽きない。本当に綺麗だ。
 立野といっしょに行動するようになってから、俺も空を見上げるのが楽しみになっていた。
 部活時の立野は、もっとも見飽きない。バーを跳ぶ前に片足で跳躍の練習をまず行い、それからバーのすぐ前に立って、その場でバーを飛ぶ。
 なぜそのようなことをするのかと聞くと、その場で跳ぶときがもっとも美しいフォームなんだそうで、バーと平行に跳ぶ感覚や、背中の反らし具合などを確かめるためとのことだ。
 確かに弓のように反って飛んでいるのがよく見える。助走がつくと、どうしても斜めから跳躍をするためにバーと平行に跳ぶのは難しいそうだ。だから跳ぶときに体を反らせてなるべく平行に近い形で跳ぶらしい。
 まあ、あんなに高いバーを飛ぶのだ。高い技術がいるに決まっている。
 だから、百発百中というわけには決していかない。バーを落としたとき、立野はしばらく立てないでいる。なんでも背骨にバーが当たるので相当痛いそうだ。
それでも最近はバーを落とすのは減ったほうらしい。部活を始めたばかりのときは、バーの上に落ちてばかりで、蚯蚓腫れが何本もでき、風呂に入るのも辛かったと立野は言っていた。何せ自分の体重にさらに重力がかかってバーに落ちるのだから、痛いのは当たり前だろう。想像したくない。
 バーを落としたときの立野の悔しげな顔は、ハンドボールの試合で負けたときの感覚を思い出させる。でも、バーを越えたときの気分は共感できない。俺も自分でシュートを決めたときが何度かあるが、それとは違う思いを立野は味わっている気がする。
 陸上選手はよく自分との戦いと言われるが、立野はそうでないように見える。バーを越えたときの立野の表情は、表現するなら恍惚とでもいうか。自分で跳んでいるのを忘れて、何かに支配されるがまま、それを至福として受け入れているような感じなのだ。
(そういえば、空に支配されるという言葉を立野はよく使っていた。多分そうなんだろうな)
 そして、マットに落ちたとき、達成感に満たされた爽やかな笑顔になる。
 一度跳ぶのなんて本当に短い時間だ。
 だけど、その一瞬に様々な表情を見せる立野を見ているとなんだか自分も、一瞬をとても長く感じる。

「ほんと、毎日よく見飽きないよね。青木は」
 部活からの帰り道。呆れるように立野が話しかけてきた。
「うーん。ハイジャンって深い気がするよ。立野を見ていると。それでかな」
「なっ、なんでよ」
「それは、立野が一番解ってるんじゃない?」
「……」
「なあ、一度立野と一緒に跳んでみたいな。どんな感覚なのか。霊体だからできそうじゃないか?」
 俺は、立野が跳ぶのを見るたびに思ってきたことを口に出してみた。
 立野は一瞬困惑していたが。
「そんなに面白いもんじゃないかもよ?」
「それは俺が感じること。
だって、一日の中で立野がもっとも表情を出す瞬間だもんな。どんな感じだろうと思わずにはいられないよ」
 俺がそういうと、立野は頬を朱に染めた。
「そ、そんなにあたし、無表情じゃな、ないはず、よ」
「いつもが無表情って言ってるわけじゃないんだって。
とにかく、いいだろ?一度くらい」
「……構わないけど……」
「さんきゅ」
 俺が嬉しくなって笑うと、立野はますます顔を赤くしてこほんと咳き込んだ。


 立野が眉間にしわを寄せるときは、女子の横を通り過ぎるときが多いことが判ってきた。
(何の匂いだ? これ)
 甘ったるかったり、花のようだったり、人間からは匂ってきそうもない匂いが、すれ違った後も続くとき。
 さらに高い声で男子の話をしているのを聞いたとき。
 そして。
(唇光ってるぞ? それに女子の眉って綺麗なもんだな。ん? あの娘は頬がほんのり赤いや。こういうのが化粧ってやつか?)
 そのおかげで、どうやら、女子は男子とかなり異なることが判ってきた。まあ、確かに、よく手入れされた長い髪が風に揺れるなんて、男子にはないよな、と俺は一人納得する。
 立野は女子が嫌いなのだろうか?
 立野は自分はどこにも属していないといっていた。
 でも立野は性別上女だ。
 確かに立野からは不思議な匂いはしないし、化粧もしていないし、日に焼け放題だし、髪もベリーショートで、どちらかというと、見かけは男子に近い。(ごめん、立野)かといって、男子とつるむわけでもないようだ。
(やっぱり、普通の男子は化粧をしているような女子が好きなのか? あんまり考えたことなかったな)
 でも、と俺は思い出す。そういえば、自分の周りに集まってくる男子からも、よく「誰々が可愛い」とか「最近誰々が色っぽくなった」だのの話が出ていたのは事実だ。
 俺は「誰々」が誰かわからないときが多く、ただ、そういう話をするときの幸せそうな友人の顔を見るのが好きだった。そして、人を好きになるとはどんなことなんだろうと思ってみたりもした。
 自分は幼かったのだろうか。ただ毎日そういう話や、趣味の話を聞くのが好きだった。
 休み時間にサッカーをしたり、自転車で遠くまででかけたり。
 毎日いろんなことがあって、ただただ楽しかった気がする。部活できついときや、試験前の徹夜、進路についての悩み、大変なこともきりなくあったが、それさえも今しか経験できないと思うとやってこれた。実際、やり終えた後はつらかったこともいい思い出になったりするのだ。
 立野はどうなんだろう。部活のときの生き生きした立野と、そのほかの時間の時の、無愛想な立野。前者は解ってきた。でも後者は? 何が立野は気に入らないのだろうか?
 考えるたびに、立野への興味は増していく。
 きっと他の誰もが一人ひとり、いろんな悩みを抱えているのだろうけど。
(こんな風に一日中一緒にいることは普通ないもんな)
 興味が湧くことは当然のように思えた。
(だけど俺はなんで立野のところに現れたのだろう……)
 幽霊になって常に頭を占める疑問。まだ俺には判らない。



「青木、青木? 青木!」
 あれ、前にも確かこんな風に強く呼ばれたような……。
「青木が一緒に跳んでみたいっていったんでしょ? 跳ぶの? 跳ばないの?」
 は、と我に返ると立野の怒った顔があった。そうだった。今は部活の真っ最中。
「悪い悪い。ちょっと考え事。うん。跳ぶ。
どうやったらいいかな。立野についてけばいいのかな」
「毎日毎日跳んでるところは見てたでしょ? それっぽく跳んでみなよ」
「そうしてみる」
「じゃ、行くよ?」
「ああ、ついてく」
 助走をするときに一度リズムをつけるように、地面を蹴る立野の癖。そして、半円を描くように助走をして。
(うわっ。バーってこんなに高いのか?)
 バーを前に少したじろぐ、が、立野はこれを跳ぶんだ。一緒に跳べ!
 一瞬の浮遊感。

 空、空、空!
 
 眩しい。と感じた次の瞬間にはマットの上だった。隣に立野の笑顔。
「どうだった?」
「空」
 即答。
 他に答えようがなかった。
 視界が全て空になる。これを空に支配されると立野は言っていたのか。
「気持ち少しは解った?」
「ああ。なんか、全てが飛んでってしまって空だけになった」
「そう。いつもあたしが感じてるのってそんな感じ」
 立野が満足げに頷いた。
 なんだろう、この感じは。想像をしていた以上に気分のいいものだった。
「な、もう一回。駄目?」
「気の済むまでどうぞ」
 にっこり、という表現が最もあうように笑って、立野はもう一度助走の位置まで戻っていった。
(あれ? そういえば部活意外で立野が本気で笑うのって少ない?)
 立野に対して、俺はいろんな疑問でいっぱいになった。
 でも、まあ少しずつ聞いていければいいかと思い直して、俺も助走の位置まで駆け出した。



      五



(青木はなんであたしのもとに現れたのだろう……)
 青木が青木らしくない苦痛な表情で訴えてきてから数週間。青木との毎日は意外と普通に進んでいった。
 まあ、いつもそばに青木がいるというのが恥ずかしくないわけがない。いつも遠くから眺めていた青木が、今度は逆にあたしの毎日を見ているわけで。
 最初は気が抜けないままに一日を過ごしていたのだが、そんなことをしていたら身がもたないと悟ったのでやめた。青木があたしの生活に対してどう感じているかなんて一生解らないだろう。
 ただ、いつも青木は楽しげで、それがあたしを嬉しくさせた。
 青木には笑っていてほしい。
 笑っていてほしいのだが。
 なんとなく複雑な気分なあたしなのであった。
 いつも遠くから眺めていた青木の眩しい笑顔。それが今は自分に向けられることが自然と多くなる。仕方ない、青木は他の人には見えないのだから。さらに、笑顔だけでなく青木の様々な素の表情も見る機会が増えた。
 遠い遠い空のような存在だった青木。でも今はなんだか近すぎて戸惑ってしまう。
 自分が青木に抱いていた感情が、少しずつ形を変えていっている気がして、あたしは不安にかられる。そんなとき、あたしは自分の日に焼けた肌を確認するように見て、まだ大丈夫、と勝手に納得するのであった。


 そんなある日。
「なあ、一度立野と一緒に跳んでみたいな。どんな感覚なのか。霊体だからできそうじゃないか? 」
 毎日食い入るように部活の様子を見ていた青木が言ってきた言葉だった。
 驚いた。青木は部活を熱心にする姿のあたしや、ハイジャンのフォームを見ていたのではなかったのか。
 ――どんな感覚なのか?
 それはあたしが憑かれたように跳ぶ理由。それを青木は共有してみたいと言っているのだ。
 不思議だった。青木にはどうでもいいことのはず。
 だいたいハンドボールとはいたって違う陸上競技を見ているだけでも、飽きないのか不思議なのに。
 でも、正直嬉しかった。自分が味わってる、あの、感覚を青木にも味わってみてほしいと思っていたからだ。
 そして。その感想を青木は一言で述べた。
「空」
と。
 嬉しかった。あたしの最も好きな瞬間を、青木と共有できた気がしたのだ。
 その後も青木はあたしと一緒に跳ぶことが多くなった。マットに落ちたときの、惚けたような青木の表情がとても可愛いと思った。
 青木と一緒に過ごす時間があたしは嬉しかった。つい、青木が死んでいることを忘れてしまう。

――勘違いしちゃいけない。青木はもう死んだ人なんだから――



                       後編に続く




アルファポリス「第2回青春小説大賞」(期間は2009年11月1日~2009年11月末日に)エントリーしています。
よろしければ
                      


のバナーをクリックしてくださると嬉しいです。(このバナーは「空(そら)の時間」ようです)

拍手[0回]


Copyright © 天音花香の小説ブログ All Rights Reserved.
Powered by Ninjya Blog 
忍者ブログ [PR]